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扉の前で立ち塞がる獣人と、至近距離で対立するラシャドの足が止まった。息をつめて様子を見ていたら、ルトを守るように立つ目の前の背中が背後を振り返った。
「お前は中に入れ。陛下が待ってる」
「はい……」
ラシャドが身を引けば、扉の左側で待機する侍従がルトの訪れを告げる。重厚な扉の向こうから、張りのある低い声が響いた。皇帝の、よくとおる声だ。許可を得た侍従がゆっくりと扉を開ける。
漆黒の瞳に見守られ、ルトは灯篭に照らされた薄暗い寝殿に踏みこんだ。ごくりと生唾を飲みこむ。ラシャドの隣を過ぎ去ろうとしたとき、ルトの薄い肩を剛腕がとんと叩いた。侍従に先を促され、進むと、背後で扉が閉まる音がした。
皇帝と顔を合わすのはサイの獣人に襲われて以来だ。久々の感覚に緊張して姿勢を正す。十歩ほど先で、深く拝礼した。
「アメジストが孕み腹でございます、陛下」
「世辞はよい。顔を上げろ」
頭を下げたまま動きを止める。すぐさま皇帝の一言が飛び、遠くで寝台が軋む音がした。大きな体躯が揺れ動き、寝台の端に腰を掛けた気配がする。薄暗い空間で浮かぶ、皇帝の金の瞳が、妖しく光った。
どれほど距離があっても、帝王の威厳は肌を突き刺す。他者を一瞬で射抜く雄々しい姿に身を震わせた。
「近くに寄れ」
「は、い」
促され、軽く顔を上げて皇帝のいる寝台に近づく。どこまで進めばいいのか。一歩、一歩、心もとない足を動かした。まだ静止はかからない。近づくたびに圧し負けそうな空間が息苦しくて、ルトの足が震えそう。
大きな皇帝が腕を伸ばせばあっさり捕まる距離に来た。もしかして、寝台から伸びた腕に、このまま引きずりこまれるかも――張り詰めた空気に身を固くすれば、ようやく皇帝が片手をあげた。
巨大な寝台から数歩先の距離だ。知らずに詰めた息を吐きだす。その場で両膝をつき、頭を下げた。拝礼するルトに降って落ちた言葉。それは、ルトが考えもしない、耳を疑う言葉だった。
まさに青天の霹靂だ。切り出された核心を突く内容は、深く伏せたルトを、飛び上がらせる威力があった。
「人間を。我らシーデリウムから……そなたら孕み腹を、解放してやってもいい」
「は……?」
今、なんと。孕み腹の解放と言われたか。許可を得ていないのに、両目を見開いて目の先の皇帝を直視した。
驚愕に身を弾ませて瞬間的に顔を上げる。鼓動までもが強烈に跳ね上がり、身の内をうるさく叩いてルトを激しく揺さぶった。
皇帝は、ルトの様子をずっと見ていたようで、見下ろす金の瞳がまっすぐルトと交わる。視線を絡み取られたルトは、震える唇をどうにか動かした。
「今、なんて……孕み腹の解放? 本当に?」
「そうしてやってもいい。なれど、ヌプンタとは、今から具体的な交渉を詰めねばならん。さらにはツエルディング後宮の開門を公約した、シーデリウムの我が民衆の説得も必要だ。孕み腹の解放まで、少なくとも数ヵ月はかかるであろう。その頃にはそなたの子も、現時点で孕んだ腹も産まれている。孕み腹を自由にするのは、その後だ」
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