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馬より早いラシャドの疾走に、ルトの頭がぐわんと揺れる。落とされないとわかっていたが、荒々しく風を裂く感覚にルトの大きい目が回った。
ひとつ、ゆっくり深呼吸する。目をぱちぱちしていたら、荒れ放題の奥から、ひとりの魔術師が現れた。木の影に隠れていたのだろう。マントを着た細身の男性だ。フードから覗く瞳は若草色だった。
無言で、ルトたちに近づいてくる。互いの手が握れそうな距離に迫ったコルネーリォに、黒いマントを手渡された。差し出された手はルトにかざされ、重だるい体調も整えられる。
激しい風で冷えた体内が、ほわ、と暖かく染みわたった。知らぬ間に溜まった疲れが、身体の芯から拭われるよう。
「マントをかぶっておけ。もしものときのためだ。お前は紫水の瞳なうえ、癒しの力もある。誰かに見られても、魔術師の少年だと思われるだろう」
「ありがとう」
羽織れば、マントはルトの背丈にぴったりだった。さすがはルトを、念入りに点検するだけある。変なところで感心したが、これなら誰が見ても借り物とは思わない。しっかり着込めば、コルネーリォは、ルトの隣に立つラシャドを見た。
「もうすぐグレン殿もここへ来る。徹底して月白殿に近寄らせまいと、役人たちの足止めに多少てこずったようだが。精鋭兵は、あの人が、見当違いの方角を探させてくれるだろう。計画どおりだ」
「上々だな」
ラシャドが勝ち誇った笑みを刻んだ。そのすぐ後だ。かさりと、枯葉を踏む音がした。全員が瞬時に目を向ける。集中した視線の先で、息を弾ませたグレンが光陰のごとく姿を見せた。ルトの細い背が、ラシャドの大きな手でとんと押される。先を進めと。
力強く後押しされ、ルトは、木の葉を踏み締めながらしっかりと進んだ。決して後ろを振り向かず、前だけを見て、自分の足で。一歩、踏み出るごとにルトの気が引き締まる。すべてをかけた行動に、ごくんと生唾を飲みこんだ。
この先に進むルトの選択が、正しいかなんてわからない。そもそも正しい答えなど、初めからないのかもしれない。どんな選択をしても、何かしらの心残りはあるだろう。後悔が残る未来しかないのなら、それならば――。
「ルト」
ルトの静かな足音を聞き分けて、佇むグレンが振り向いた。動いた拍子に、グレンの清涼な髪がきらきらと輝く。枯れ木の隙間から漏れる、幾筋もの光が眩しかった。強くて綺麗な、琥珀の豹だ。颯爽とした微笑みを向けられて、ルトは泣きだしそうになった。
なぜだか胸が締めつけられる。たまらず駆け寄って、温かい存在に思い切り抱きついた。ルトを優しく抱き返す腕は力強くて、けれど、ラシャドよりもほんの少し細身だ。グレンは身体のすべてで、縋るルトを受け止めた。
「グレンさん。グレンさん、グレンさん、グレンさん……」
「ああ」
ルトの薄い背に回る、グレンの腕にぐっと力が入った。ああ。この腕が、声が、温もりが。彼の存在が。とてもとても恋しかった。そしてこの確かな温もりを、これほど間近で感じられるのは、これが最後になるだろう。
皇帝に残酷な要求を突き付けられてから、ずっと悩んで考え続けた。これでいいのかと、何度も自分自身に問いかけた。せっかくのチャンスを逃すのかと。悩み、迷い、苦しんで。
やっと、決心した行く末を、ルトははっきりと告げた。包んでくれたグレンの胸から顔を上げる。
一生をかけた、生まれて初めての告白だ。そしてルトの人生で、終わりを告げる告白になる。
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