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「俺、グレンさんが好き。これからもずっと好き。でも、でも、あなたと一緒には行けない……。俺は……、ここに、残ります」
皇帝のいる王宮に。すべてを投げ出し、何にも縛られずに生きられたなら、どんなに幸せか。命を懸けて逃げてくれる、大好きな人のそばで。でも。
見守るラシャドたちに緊迫感が漂う。ルトの背に回るグレンの手が、ルトの背後で、固い拳を作ったのがわかった。ルトの決断に、グレンは唇を引き結ぶ。
きらきらと綺麗な蜂蜜色の瞳を揺らし、甘く整う顔が、苦し気に歪んだ。ルトの好きな琥珀の瞳が静かに慟哭する。優しい瞳はルトの視線から逸らされて、瞼の奥へ沈んだ。
「君が……、陛下の要求をのむ可能性を、ひとつも、考えなかったわけじゃない。それでも、もしかしたらと……。ルト。今なら逃げられるんだ。俺は……俺たちは、一生をかけて君を守る。エミルたちもだ。後宮に残り、守ってくれるものがある。一日でも早く、あの子たちが解放されるように、俺たちは王宮を離れてからも尽力を尽くし続ける。でも君は、今を逃したら……ルトは死ぬまでひとり、王宮に閉じこめられる。それでも、意志は固いのか」
グレンの指先が、ルトの丸い頬を伝う。辛そうな声と悔しそうな表情に、ルトの胸がじくじくと痛んだ。薄い唇を噛み締めて、ルトは自分に触れる、長い指を握り返した。
「俺が、こうやって……手を伸ばしたら、いつでも支えてくれる人たちが、ここにいるから。だから」
ルトは、決してひとりにならない。ルトの心を温めてくれる確かな存在があれば、ルトはいつでも自分自身に強くあれる。どこにいようとも。
「決めたんです。だから……俺たちが別々の道を行く前に、あなたの時間を俺にください」
ルトが初めて好きになった人の、大切な時間を。みんながルトのために用意してくれた、二度とない一時間のひとときを、ルトだけのために使って。
大きな雫を一粒落とし、ルトはグレンに抱きついた。大好きな人のたったひとつの思い出を、ルトに。グレンの両腕が再びルトの背に回る。ぐっと、強く、抱きしめられた。
「最高の舞台を、君に送る」
シーデリウムは緑が豊かな、活気にあふれる大国だ。ひとたび王宮を出れば、行く先々で、ルトが初めて目にする景色が広がるだろう。
ルトの耳元で囁いたグレンは、細い背を抱き上げて、王宮の外に姿を消した。
獣人で大賑わい……どころか、いろんな魔術師も街中を出歩く。右を見れば出店を構え、自作の風変わりな魔道具を、はつらつと売るものもいた。鋪装された大通りも、両脇に並ぶ建物も、とても華やか。設備が隅々まで整っていると一目でわかる。
上を見れば、左右を繋ぐガラスの通路が大空に浮かぶ。真新しい建物だ。かと思えば、時代を感じる古めかしい建物もあった。少し先には、芸術的な巨大な壁画も。今昔の時代が絶妙に混ざり合い、ひっそりしたヌプンタでは見られない光景だった。
「あれ! あれは何ですか?」
マントのフードを深くかぶり、ルトは賑やかな街中を指さした。なんとも不思議な木だ。銀色の葉っぱは光沢を放ち、太い幹は桃色一色でできる。大きな花びらは色とりどりで、花の中心に大小の実をつける。
初めて見た立派な植物にルトの声が弾んだ。ルトの視線を追う、グレンの口元が緩む。指をさしたルトの手が、大きな手のひらに包まれた。手を繋いで、不思議な木の傍にある、出店まで連れられる。
「セレシスアのパイを、二つ頼む」
「まいどあり!」
出店の獣人にグレンが金銭を渡す。銀紙に包まれた菓子をひとつ、ルトに手渡してきた。不思議な木の実を練りこんで作ったパイだ。差し出された食べ物を、ルトは恐るおそる受け取った。
「えと、ありがとう……?」
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