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「笑うな。お前ひとりだけが犠牲になるんだぞ。わかってんのか」  わかってる。ルトだって、まさかこんな結末になるなんて思わなかった。人間で、奴隷で、孕み腹で。なのに獣人の国で、皇帝の妃になるなんて。どうしてこんなことになったのか。いつまでたっても実感はわかないし、ルトがいちばん驚いている。  何も変わらない日々で、ただエミルたちと苦楽を分け合うのだと思っていた。死が訪れるまで。 「こんな腐ったところ、とっととおさらばして飛び立てって言っただろがよ」  ルトは一度顔を伏せる。自分の気持ちを整理して、意志の強い顔を上げた。ラシャドは相変わらず険しいまま。渋るラシャドに向かい、凛と背を伸ばし、ルトは大きく息を吸った。 「いいえ。俺が…、ここにいることで……、これから先の未来に繋がるのなら、俺はようやく、ここに来た意義を持てます」  虐げられるだけの存在じゃない。孕むだけの道具でもない。ルトがルトとして生きる道だ。ルトらしく前へ進める。  泣き笑いの顔はどこかはかなく、しかし晴れやかなほほ笑みになる。この選択をしてよかったと、いつの日か、自分に誇れる日が来ると信じて。  それでもラシャドは納得がいかない様子。ひとり機嫌が悪いラシャドに、ルトは優しく両腕を伸ばした。怪訝そうな顔で、ラシャドが身をかがませてくる。近づく端正な顔を、細く伸びるルトの手が、柔らかく引き寄せた。  ルトの小さな手のひらが不機嫌な頬を包む。もたれるように、高い背を抱き寄せて背伸びをした。薄い唇を寄せ、そっと、無防備な片頬に口づける。瞬間ラシャドの体躯が跳ね上がった。  渋る端整な顔が一気に驚愕へと変わる。切れ長の目を見開き、ラシャドは大きな手を頬に当てた。ルトの唇が触れた、片頬へ。漆黒の瞳が凝視してくる。  強制された行為じゃない、ルト自らの、初めての口づけだった。固まるラシャドに、ルトの頬が穏やかにゆるんだ。 「あなたがいなかったら、俺の心はとっくに壊れていたと思う。俺にとって、あなたはまるで、荒ぶる雷神のようでした」  懐かしい、神話のおとぎ話で読んだような。グレンが運命ならば、ラシャドは運命を突き破る稲妻だった。暗闇で、たった一つの激しい閃光を放つ。真っ逆さまにルトの身体を打ち落とし、ルトの中にたちまち電流が走り去る。  その痺れは無視できないほど強烈で、運命をも引き裂いてしまいそうな。 「でもお前は、あいつのがいいんだろ。俺のほうが絶対いいのによ……ってか、あー、ちくしょう。今から俺がかっさらうかぁ?」  ぶつぶつ頭を抱えるラシャドに、思わずくすりと笑う。口では物騒なことを言うけれど、もうルトはわかっている。ラシャドはルトを裏切らないと。 「あなたは、俺が望まないことはしないでしょう?」  確信をもって言えば、すかさず舌打ちが飛んだ。不貞腐れたラシャドの隣でコルネーリォが短く笑う。低く鳴った声に顔を向けたら、若草色の瞳がかち合った。互いの視線が数秒だけ重なる。ルトは迷わず口を開いた。

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