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もしも、ラシャドやグレンが以前と同じく、人間を奴隷と虐げていたならば。ルトは早々に愛想をつかし、それこそ懐かしい故郷へ帰ったかもしれない。エミルとたちと一緒に。
横暴な獣人しかいないシーデリウムで、グレンたちの真摯な思いを実感できたから、ルトは希望を持てたのだ。
恐れも迷いもない実直な言葉に、ルトを見つめる隊長が瞠目した。目を見開いてルトを凝視し、いかつい虎はくくっと喉を揺らす。
「ほう……、そうかもしんねぇな。自分さえ変えられねぇ奴が、この世を変えてやると、豪語してくるほうが信用ならねぇか。しかし……。我らが誇る獣人王は、まこと、優れた眼力をお持ちだ。獣人も人間も、身分も関係なく、この少年を選んだ陛下に、俺は喝采を送りたいぞ。将来が、なんとも末恐ろしい少年だな」
何と気が強い。そして何とまっすぐな心だ。人間を奴隷とする獣人は、むろんルトに反発するだろう。それでも小さな少年に、感化される獣人も、この先増えていくだろう。そのとき、腐りきった世がどう変貌を遂げてゆくのか。
どこか誇らしげでもある隊長が、楽しそうに胸を張った。すぐあとだ。隊長の剛腕につけられた飛報石が、音を立てて光った。片腕を伸ばした隊長が淀みなく応じる。
「こちらムイック。月白殿で、アメジストが孕み腹を監視中だ」
『おー、ムイック隊長。精が出るねぇ。悪ぃが、ルトを陛下の執務殿に連れてきてくれ』
「お前な……隊長を使うな」
ラシャドだ。飛報石から響いた声は、想像よりずっと明るい。無事な様子にルトは自然と安堵の息をもらした。
不満をこぼす隊長の一言を受け、ラシャドのくぐもった笑い声がする。ずいぶん軽快な声を最後まで聞かず、隊長が指紋をあてて通信を切った。ぶつくさ文句を言う虎は、ルトに剛腕を伸ばしてきた。
「行くぞ、執務殿に。陛下と……ラシャドもいるだろう」
差し出された腕に従い、ルトは気を引き締める。次に皇帝の前に立つとき、ひとつ、叶えてほしい望みがあった。ルトの未来と引き換えに。
***
薄暗い寝殿とはまた違う。大きな窓から陽光が射し、執務がはかどりそうな明るい場所だ。虎の獣人に連れられて、ルトは初めて執務殿に足を入れた。
日の光を背景に、輝く獅子が、奥の王座からルトを見下ろす。ひれ伏すルトを待ち構えるのは、険しい顔つきの皇帝と、どこか吹っ切れた様子のラシャドだった。
隊長は皇帝の指示でもういない。強面だったが、豪傑な雰囲気は、意外と心強かった。ルトは広い中央で深く拝礼する。緊迫した雰囲気に指先一つ動かなかった。
ルトを守るように、皇帝の前へラシャドが進み出る。大きな体躯が、拝礼するルトの一歩前に並び立った。綺麗に一礼したラシャドが動きを止める。瞬時、厳しい叱責が低く飛んだ。
「顔を上げろ。よくも余を謀ってくれたな。覚悟の上か」
存在するだけで威圧を放つ。皇帝の怒りにルトの背筋が張り詰める。今回の件はすべてルトが決めたこと。自分の気持ちと向き合って、けじめをつけるためにみんなを巻きこんだ。どんな罰でも受けようと思う。
ルトが決意を伝えようと息を吸えば、隣から、ラシャドの責める口調が響いた。
「……陛下、こいつを脅すな」
とても皇帝にする態度じゃない。腰を折るルトは、斜め前のラシャドをちらと見る。ラシャドはもう顔を上げ、皇帝をじっとりと睨んでいた。
皇帝と、ラシャドと、静かに対立する気配に緊張感が走る。しかし張り詰めた空気は、皇帝の次の言葉で一気に霧散された。
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