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【序-②】運命の番

 その後僕は会食用の着物に着替え、部屋で待っていた。執事が呼びに来たのは、午後六時半の事だった。執事もまたαであるので、顔を見るのは久方ぶりだった。その後連れられて階下へと向かい、僕は父と合流した。会食は、この家では数が少ない洋間で行われるようで、僕は久しぶりにテーブルの前についた。 「久しぶりですなぁ、桐緋堂さん」 「ええ。宝灘総帥、ああそうだ、一人息子の、紫樹(しき)です」 「これはこれは――随分と大きくなられて」  宝灘総帥は七十代だろう。その隣には、一人の少年が座っていた。僕はまだ二次性徴が始まっていないのだが、あちらは始まっている様子であり、正確な年齢は判別できないが、同世代なのは間違いない。 「恢斗、ご挨拶を」 「――お初にお目にかかります、桐緋堂様。宝灘恢斗(たからなだかいと)と申します」  挨拶をした相手を見て、退屈そうな顔をしているなと僕は思った。父は僕の隣でゆっくりと頷いた。僕は、名乗るようには指示されなかったので、会釈だけを返した。  こうして会食が始まった。僕は終始、皿を見ていた。僕以外の三人は、仕事について話している。いいや、父も時折頷く程度で、専ら宝灘総帥が話している。桐緋堂家自体は働かないのだから、いつもこうだ。  その時視線を感じたので顔を上げると、宝灘恢斗がこちらを見ていた。一瞬だけ目があったからそれは確かだと思ったが、そのまま視線を逸らされた。だから僕も気づかないフリをした。  食事は一時間程度で、その後は、僕は下がるようにと言われていた。なので退出するタイミングを見計らっていると、不意に宝灘総帥が笑顔を僕に向けた。 「いつ見ても、桐緋堂の庭園は見事だ。ぜひ、恢斗にも良いものを見せたい。少し、孫を案内してあげてはくれんかね?」  ――以前であれば、僕は迷わず同意した。そして仕事の話に移行する父達と距離を保つ事に注力しただろうが……今回は、判断がつかなかった。僕はチラリと宝灘恢斗を見てから、父の横顔を窺う。  どう見ても、宝灘恢斗はαだ。後継者として指名されているという点からも間違いない。そして僕は、Ωなのだ。父は僕の視線に当初、気づいていないようだった。まだ行かないのかと言いたげにこちらを見た父は、僕を見ても、僕の視線の意図に気づいていない様子だった。小さく首を傾げると、視線で扉を指し示した。  ……父の命令である。それは、絶対だ。 「僕でよろしければ。どうぞ、こちらへ」  改めて宝灘恢斗を見ながら、僕は小さく笑みを浮かべた。作り笑いは、比較的すぐに、家庭教師から叩き込まれたスキルだ。僕の両親はともに、あまり笑わないため、心配した周囲が僕に笑うようにと指示を出した結果である。 「有難うございます」  宝灘恢斗の方もまた、作り笑いを浮かべていた。白々しい笑顔で顔を向け合った後、僕らは揃って、室内から出て、庭へと回った。使用人がついてくるかと考えていたのだが、それも無く、僕はこうして、宝灘恢斗と二人っきりになった。  秋の庭で、ライトアップしてある紅葉を、池の前に並んで見上げる。僕は暗記してしまった庭の紹介文句を、そうとは気づかせないように、するすると述べていく。  僕の意識のしすぎだったのかもしれない。やる事は、いつもと同じだ。  久しぶりに人と会うから、緊張していたのだろうか。 「――と、なります。勿論冬や、何より春も美しいのですが」  発言を終え、僕は隣を見た。僕は、そこに宝灘恢斗が立っている事を疑っていなかった。だが、もっとずっと近い距離に、宝灘恢斗がいたものだから、僕は咄嗟に息を呑んだ。何より――彼の瞳が獰猛だったからだ。 「あ、の……」 「……」 「宝灘――……っ、離」  名前を呼ぼうとした時、手首を握られ、強く引かれた。距離を取ろうとした足が、逆にもつれてしまう。 「っ!」  ぺろりとうなじを舐められたのは、その直後だった。途端、ビクンと僕の肩は跳ねたが、それっきり動けなくなってしまった。驚愕して目を見開いた僕は、慌てて宝灘恢斗の体を押し返そうとしたが、より強く引き寄せられ、今度はうなじを甘く吸われた。 「や、やめ……」 「悪いな。欲しいものは手に入れる主義なんだ」 「な」 「それにお祖父様も、見つけたら迷わず噛んでおくようにと話していた」  見つけたら?  何を……?  そう思ったのは一瞬で、直後僕は、うなじに熱を感じた。 「あ」  あっという間だった。僕は気づくと、宝灘恢斗の腕の中に倒れ込んでいた。そんな僕のうなじを何度も何度も宝灘恢斗が噛む。 「や、やぁ、ぁ」 「噛んで自分のものだという印をつけておくようにと習ってきた」  体からどんどん力が抜けていく。気づくと僕の体は小刻みに震え、息が上がり始めていた。すすり泣くようにしながら、僕は宝灘恢斗の腕を掴んでいた。正確には触っていたという程度で、本当に全く力が入らなかった。 「ひ」  一際強く噛まれた直後から、僕の記憶は無い。  次に目を開けた時、僕は一糸まとわぬ姿で、宝灘恢斗にキスをされていた。ねっとりと舌を吸われていて、そのキスがあんまりにも気持ち良くて、僕は思わず目をきつく閉じた。ボロボロと涙がこぼれ落ちていく。 「っ、ぁ……」 「起きたか?」 「ひ、ひゃ、あぁあああ、動かないで、あ、ああああ!!」  僕は激しく貫かれていた。それに気づいて再び目を開け、窓の外に月があるのを見た。 「や、やぁああ、あ、あ、おかしくなっちゃ――ああああ!」  そこでまた僕の意識は途絶した。正確には強すぎる快楽に、体が耐えられなかったのか、記憶が飛んだのだと思う。  次に震えながら目を開けた時、僕は後ろから宝灘恢斗に抱きしめられていて、うなじを舐められていた。そうされるだけで、昨夜知ったばかりの、発情の熱が再燃しそうになった。  怒鳴り声が聞こえるのを理解していた。既に周囲が明るい。  普段声を荒げる事のない父が、激昂している。隣には、震えている母がいる。その横には、宝灘総帥が腕を組んで立っていた。 「すぐに紫樹を離せ!」 「お断りします。既に俺が頂きました」 「何を言っ――、紫樹はこの桐緋堂のたった一人の大切な跡取りなんだ。何を考えて。こんな事は、犯罪だ!」 「いいえ。運命の番だと確信しています。運命であれば、犯罪とはみなされないという法があります」  父と、僕を抱きしめた宝灘恢斗が何かやり取りしているのは分かるのだが、さっぱり頭に入ってこない。 「桐緋堂さん。犯罪とは随分だね。こちらとしても、恢斗にはしかるべき伴侶をと考えていたにも関わらず、Ωの御子息をネックガードも無しに同席させ、誘わせるなど」 「な、そちらこそ桐緋堂の家格を狙って――」 「望まぬ番関係が生じた場合、一般的に誘惑したΩが罰せられるというのが当然の見解だと思うがね? そもそも宝灘に向かって何たる暴言。『突然ヒートを起こしたΩのフェロモンに誘惑されてしまった孫が哀れでならない』」 「!」 「だが、私の孫は心優しい子であるから、『運命の番』として、Ωによる触法行為を問題にせず、さらには責任まで取ろうと話している。無論、紫樹君のように見目麗しく確かな桐緋堂家の血筋の人間というのは、伴侶に相応しいとは思うが」 「……っ、しかし……」 「まだ桐緋堂さんもお若い。この二人には、宝灘と桐緋堂それぞれの後継者をもうけてもらえば良い。将来に期待しましょう」  その次に目を覚ました時、僕は自分の部屋で寝ていたので、全て夢だったのかと悩んだ。だが、首に包帯が巻かれていた上、全身が気だるくて重く、直後医師から緊急避妊薬についての説明を受けたので、どうやら夢では無かったようだと理解した。

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