11 / 21

 桐野の知り合いだという医師は、都内でも5本の指に入るほどの名医らしく、特に第3の性に関するエキスパートだということだ。この医師の処方する薬は効果敵面で、副作用も少ないことで有名らしい。でも、何故そんな有名な医師が桐野と知り合いなのかと不思議に思うが、芹沢はそれ以上余計なことを考える気力など最早なかった。  検査室に入ると、芹沢は血液検査から始まり、MRIなどを使って事細かに体を調べられた。そこで出た結果に、芹沢は涙も出ないほどの衝撃を受け、余りの絶望に頭が真っ白になった。 「芹沢さんは、後天性のオメガです。実を言うと私も長いこと医者をやってきましたが、後天性のオメガに出会ったのは今日が初めてです。本来なら殆どの人間は14・5歳で体が出来上がり、その辺りで第3の性を識別することができますが、ごく稀に芹沢さんのように、二十歳を過ぎてからゆっくり時間をかけて身体がオメガに変化していくという体質の方もいるんです。突然のことでお辛いでしょうが、抑制剤を処方しますんで、それを毎日飲めば、3か月に1回の発情期に対応できると思います。しかし、ごく稀に、体調次第では抑制剤でも抑え切れず、強い発情に悩まされる日があるかもしれません。その時は必ず家から出ず、ひたすら耐えてください。長くても一日程度でしょうから。もし、それが辛ければ、アルファと番を結ぶほかないのでしょうけどね」 「番? 番を結ぶとどうなるんですか?」 「少々荒々しいですが、アルファの人間にあなたの項を噛んでもらうことで番になれます。項でなければ駄目です。オメガの項に傷を付けて、そこからアルファの唾液をオメガの傷口を通して体内に入れます。そうすることで、あなたのフェロモンは番となったアルファの人間にしか効果を表しません。だから、他の誰かを不本意に誘惑するといった危険がなくなります」 「……ああ、なるほど。あはは、それは凄い話ですね。そんなことが現実にあるんだ」  芹沢には、医者の話が遠くの異国の物語のようにしか聞こえなかった。頭にコンクリートを流し込まれたみたいに思考がぐちゃぐちゃに固まり、心が砂漠のようにカラカラに干上がってしまっている。  芹沢は早速処方された薬を医者の前で飲むと、診察室を後にした。  待合室で自分を待つ桐野に、芹沢は静かに近づいた。桐野は芹沢に気づくと、気まずそうに立ち上がった。その顔はいつものように男らしく、魅力的に輝いている。 (もしこいつがアルファなら、俺はこいつを迷いなく選ぶかもしれないな……。)  ふとそんな無意味なことを考える自分に驚きながら、芹沢は急に切ない気持ちに捕われて泣きたくなった。  この男はベータだ。ただの親友だ。でも、もうその関係も終わりになる。自分がオメガだと分かった今、自分はもう己の人生を捨てたのも同然だからだ。  それでも、自分はやっと念願の教師になった。生徒たちとの絆も深まり、毎日の学校生活や授業がとても楽しい。そして何より、今まで誰にも心を開かなかった自分が、唯一安心できて、心から信頼できる相手を見つけたのだ。この桐野という男と、自分の今の大切な全てを、絶対に失いたくない。 「……黙っていてくれないか? 俺がオメガだということを……」  桐野はしばらく無言のまま芹沢を真っ直ぐ見つめた。芹沢は絶望的な気持ちで桐野の返答を待った。多分そんなことは許されない。桐野を巻き込んでしまったら、もしこれが明るみに出た時、自分は後悔してもし切れない。 「この病院の抑制剤は日本一なんだよ。だからここにお前を連れて来た」 「……桐野?」 「大丈夫。絶対にバレない。もし、バレても俺が何とかする。俺は絶対に嫌だよ。芹沢と離れたくないから」 「……バ、バカだよ。何言ってるんだ? お前にどんな力あるっていうんだよ。それにこんなでかい病院の医者と何で知り合いなんだよ」  芹沢は桐野の言葉に胸が詰まり、涙声でそう言った。 「さあな。何でだろう。まあ、今はそんなことどうでもいいよ。ああ、でも良かった。抑制剤早速効いてるみたいだ。今なら芹沢に触れられても平気だよ」  桐野はそう言うと、芹沢の背中に素早く手を回し強く抱きしめた。 「さっきは本当にやばかった。俺、あんな気持ちになったの初めてだったから、スゲー焦ったよ」 「あんな気持ちって……」  芹沢は困惑しながらそう呟いた。 「さあ、帰ろう。明日からまた今まで通りだよ。大丈夫。何があっても俺が芹沢を守るよ」  芹沢は桐野の言葉に、このままここで気を失いそうなほど安堵した。でも、自分が本当はオメガであるという事実に、じわりじわりと心が蝕まれていく恐怖を、心の片隅で危惧していた……。

ともだちにシェアしよう!