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こんな形で二人を引き合わせるなんて、これは神様による質の悪いいたずらなのだろうか。桐野は今ひどく悩んでいる。自分のこの気持ちをどう整理すれば良いか分からず困惑している。
芹沢がオメガだと知った時の桐野の衝撃は計り知れなかった。その時感じた感情は驚きと歓喜だった。でも、桐野はその感情をすぐに自分の心の中に押し込めた。絶望に打ちひしがれている芹沢の前で、桐野は興奮しながらやましい感情に支配されていたのだから。その相反する二人の感情はそのまま桐野のこの悩みへと繋がっている。
もし自分がアルファだということを芹沢に伝えたら、芹沢はどんな反応をするだろう。自分の正体を隠しながら白々しく親しくなった桐野を嫌いになるだろうか。
桐野はそれが怖い。芹沢がオメガな自分を蔑み、その感情のままアルファの桐野を憎む可能性があるかもしれないからだ。でも、桐野は芹沢がオメガだということに強い運命を感じている。二人は結ばれるために出会ったのだとそう確信している。桐野がアルファだと分かれば、芹沢も桐野と同じように、桐野との出会いを運命だと受け入れてくれるかもしれない。でも、今まで自分をベータだと信じていた芹沢にとっては、この事実は青天の霹靂以外の何ものでもない。こんな屈辱的な事実など、激しく受け入れ難いに違いない。
もしこれが自分の立場だったら、多分桐野も絶望に身を任せて、自分の人生を投げやりに生きていくだろう。でも、選択肢はある。前向きにアルファの相手を見つけて番となれば、その後の人生は幸せに満ちたものになる。ただ、アルファの人間の一部には、自分たちの希少価値に傲り高ぶっている奴もいる。オメガとの関係に性的には満足はできても、自分の相手として見合わないと分かれば、容赦なく切り捨てる非情な人間も多い。
(じゃあ、自分は? 自分はどうなんだ……。)
自分はアルファだが、そんな奴らとは違う。自分は教師だ。教師が一番してはいけないことは差別をすることと、偏見を持つことだ。この二つは自分がこの世で最も憎悪する感情だ。
桐野は常にこの二つを忘れないよう心に誓っている。でも、完全にその感情を持っていないかと問われたら、やはり自信はないが、それでも自分は戦いたい。アルファに生まれた以上、それが自分の使命だからだ。自分が序列のトップとして生まれ、この世界に存在する序列という差別に苦しむ人間がいる現実から目を背けたくない。だから桐野は、もちろん芹沢を差別などしない。するどころか、もう既にどうすることもできないくらい好きになってしまっている。芹沢がオメガだと知る前から桐野は芹沢に惹かれていた。これは、アルファとオメガが本能的に惹かれ合うという道理ではなく、桐野が一人の人間として、芹沢という男を好きになってしまっただけのことだ。
だからすべてを正直に話して、芹沢に好きだと伝えたい。でもそれが怖くて桐野は今足踏みをしている。桐野がアルファだということ。芹沢がオメガだから好きになったわけではないということ。それを上手く伝えられる自信がない。もしひどく拒絶されたら、桐野は多分生きる気力も希望も一瞬で失ってしまう。そのぐらい芹沢は、桐野の中心として深く存在している。
自分がこんなに臆病な奴だとは思わなかった。心のどこかで自分は、無意識にアルファという高尚な血に依存していたのかもしれない。桐野は今まで自分に対して真の自信というものを持っていただろうか。芹沢を心から好きだと伝える勇気がないのはそのせいじゃないのか。アルファやオメガなど関係なく、自分はただの桐野瑛太という男に、紛れもなく自信を持っているか甚だ疑問だ。
芹沢とは、芹沢の妹にプレゼントを買った日から距離を置かれている。カレーをテイクアウトするために入った店で何かがあったことは一目瞭然だった。あの後から急に芹沢は桐野に余所余所しくなった。その理由を知りたかったが、それを問う機会を得られず今に至ってしまった。
不安だ。自分のこの芹沢への思いとは裏腹に、芹沢は桐野から遠ざかろうとする。その真意は何なのか。あの時芹沢は自分に構うなと桐野に言った。桐野の人生が狂ってしまうからと。やはり芹沢は自分がオメガであることで与える桐野への影響を危惧しているのだと思う。桐野をベータと信じている芹沢なら尚更だ。もしそうなら、桐野は何もかもを振り切るように、芹沢さえ傍にいれば構わないと叫びたい。その勇気と自信が桐野は今心から欲しい。
駐車場に車を止め、職員玄関から職員室に入ると、桐野よりいつも早く出勤しているはずの芹沢の姿がなかった。近くにいた同僚に尋ねると、「今日は休みだ」と教えてくれた。確かに昨日芹沢はどこか調子が悪そうだった。普段から頑張り過ぎる傾向にあるから、遂に体調を崩して仕事を休んでしまったのだろうと桐野は思った。
抑制剤は効いているはずだ。あの病院が処方する薬は国内で一番信頼できるものだ。桐野の父親のかかり付けの医師で、政界の人間たちも多く利用している。もし今日の休みの原因がそれなのだとしたら。桐野はそんなことを想像してしまう自分が嫌で、深い溜息を漏らした。欲情を抑えられず苦しむ芹沢の姿が頭にちらつき、桐野は、ここは学校だということを強く自分に言い聞かせながら、頭からそんな芹沢の姿を必死に追い払った。
(くっそ、バカか俺は……。)
桐野はそんな自分が心底情けなくて、カバンをロッカーに乱暴に押し込むと、出席簿を抱えて教室へと向かった。
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