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第10話

 それから数日、レオーネとリゼロンは共に過ごした。  リゼロンが何を思っていたのか、レオーネにはわからない。不安が背中にこびりついて離れず、ずっとリゼロンの隣にいなければいけないほどだったから、彼の様子を気にかけることもできなかった。そしてリゼロンもまた、そんな状態のレオーネに何も言わなかったのだろう。  昼間もずっとそばにいてくれたし、夜ベッドで眠る時は特に不安だから添い寝もしてくれた。日が経つにつれ不安は収まって来たけれど、それでも悪夢にうなされて目を覚ます。その時には必ずリゼロンがそばにいてくれて、優しく抱きしめてくれた。怖いことなど何もない、と。そうして彼の温もりと香りに包まれている間、レオーネは本当に幸福な気持ちになったのだ。  リゼロンは薬草を加工してスープのようなものを作っていて、それを瓶に詰めていた。蓋を開けて部屋においておけば、精霊は寄り付かない。その間に体力が回復すればいいのだが、と言った後で、リゼロンは小さく呟いた。 「そなたの母の元へ行ってやれぬ、私を許してくれ……」  そう詫びる彼に、レオーネは不思議な気持ちになった。リゼロンは母の為に薬を作ってくれているのに、どうして謝るのだろう。率直に尋ねると、彼は困ったように微笑んで、心なしか力無く答えた。 「私は臆病なのだ。そなたとは違ってな」 「臆病? なにか、怖いの?」 「そうだ。森の外に出ることが恐ろしくてたまらぬ。だから、こんな霧などで身を隠しているのだ。だがそなたは違う。飼い犬のネイファの為、恐ろしくても立ち向かったその勇気、母のため私のもとへ駆けた優しさ。まさに獅子の名に相応しい。その心を大切にするとよい。そなたはきっとよい領主となる……」  そう言ってレオーネを撫でる手は優しいのに、何かその言葉が引っかかった。まるで、もう会えないような言い方だ。 「……じゃあ、じゃあ。僕が外の世界を怖くなくする! 立派な領主になって、リゼロンが外に出るのが恐ろしくないように」 「レオーネ……」 「そしたら、僕の屋敷に来てくれる? ずっと一緒にいてくれる?」  それはレオーネの真剣な願いだった。この美しいエルフと共に生きたい。この森の中ででもいいけれど、リゼロンも昔は外で暮らしていたのだ。せめて、どちらで暮らすかを選べるようにしてあげたかった。外が恐ろしいから出られないと言うのは、もしかしたら、そうでないなら出たいということの裏返しかもしれないのだから。  リゼロンは僅かに蒼い瞳を揺らめかせ、とても長い時間思案してから、囁いた。 「……そなたがそれを望み、私にそれができるなら……」  その時は突然訪れた。  レオーネの不安も安定してきた。薬は早く母親のもとへ持っていったほうが良いだろうという言葉にレオーネは従うことにした。屋敷に帰るのだ。 リゼロンは薬の入った瓶を鞄に詰めてくれた。あの日、野盗がぶちまけてしまった鞄だ。中身も綺麗にしてくれてすっかり元通りになったそれを、レオーネは大事に抱える。これがあれば、母が救えるかもしれない。  既に鳥に連絡させ、森の外まで従者たちが迎えに来ることが決まっていた。あとは、もう一度この森に出入りできるものを貰うだけだ。リゼロンも新しく用意すると言っていたし、レオーネはそれを心待ちにしていた。  ところが、鞄の用意が終わった頃。リゼロンは突然、何かに気付いたように顔を上げた。レオーネも彼が見ている方を見たけれど、いつもの壁が有るだけで何も見えはしない。 「リゼロン?」  名を呼ぶと、彼は深く眉を寄せている。ややして、今までに見たことの無い程真剣な眼差しでレオーネを見下ろした。 「……そなた、指輪を奪われたと言っていたな。その時、野盗は何か言っていたか? ただの物取りだったのか?」 「え、っと、……鞄を渡したら、他に有るだろうって……指輪を見つけられて、そしたら「これだ」って……」 「…………そう、か……」  リゼロンは目を閉ざして、何事か深く思案している様子だった。リゼロン、それがどうかしたの、と尋ねても返事は無い。何か、言い知れぬ不安を感じ、レオーネがぎゅっと鞄を抱いていると、リゼロンがゆっくりと眼を開く。  その時の瞳の冷たさといったら。レオーネは、忘れたことも無い。まるで、虫けらか何かを見るような、酷く突き放すような視線。 「リゼ、」 「ここから出て行くのだ。人の子」 「リゼロン、急にどうしたの⁉ リゼロン!」  そう言うや否や、リゼロンに抱え上げられる。それは今までしてくれていたような、我が子を愛でるようなものではなく、荷物を抱え上げるように乱暴なものだった。突然の事にレオーネは困惑して、鞄を抱きながらも暴れて抵抗した。 「なんで、どうしたのリゼロン、僕が何かしたの⁉」 「…………」 「リゼロン、ねえ、答えて、やだ! リゼロン!」  そのまま家の外に連れ出されると、途端に視界は真っ白な霧に満たされる。抱き上げているリゼロンの姿も朧気で、その表情さえ見えない。 「そなたとの縁はこれで終わりだ」 「な、なんで、どうして、リゼロン、だって、約束したじゃない! ずっと一緒にいるって、」 「私にはそれができなくなった。それだけのこと。そなたは人の世界に帰るが良い。そして、二度と私の前に現れるな。私のことは全て忘れろ」 「――やだ、そんなのやだっ、リゼロン!」  暴れても暴れてもリゼロンの腕はレオーネを離さず、そうした口ぶりである以上、森の外に追い出そうとしているのは明白で。レオーネは涙さえ浮かべながら懇願した。問うた。どうしてなのか、せめて理由を教えて欲しい。それでも返事が得られなくて、レオーネはもう殆ど泣きながら叫んだ。 「リゼロンは僕のことが嫌いになったの⁉」 「……っ」 「僕が何かしたなら謝るから、もう絶対しない、だから教えて、どうしてなの、僕、僕リゼロンが大好きなんだ、一緒にいたい、頑張るから、お願い、いさせて、お願い……っ。どうしてもダメなら、嫌いって言ってよ!」 「…………」  何の返事も得られないまま、突然レオーネは地面に放り落された。見れば、そこは既に森の外で、丘の上には見慣れた別荘がいつものように佇んでいる。遠くから従者たちが名を呼んで駆け寄ってきていた。  レオーネは慌てて森の方を見たけれど、霧が立ち込めていて何も見えない。「リゼロン!」と名を叫んで霧の中に入ってみたけれど、どういうことかすぐに元の丘へと戻ってしまう。 「リゼロン、リゼロン!」  名を叫ぶと、冷たい声で返事が有った。 「もう二度とここに来るな。もう二度と、私に会おうとするな。名を呼ぶな。私はそなたを決して受け入れぬ。私のことは忘れろ。よいな」 「……っ、リゼロン!」  レオーネは霧に向かって叫んだ。 「絶対に! 絶対にまた会いに行く! 理由を話してくれるまで許さない! 絶対に!」  返事は無くて、レオーネは怒りと絶望に震える手を握り込む。血が滲むほどに。  こんな理不尽な別れ、受け入れられるはずがない。嘘でもいい、嫌いだと言ってくれれば諦めもついたかもしれない。それもせず、ただ忘れろなどと言われ、こうして一方的に道を閉ざされて。  そんなこと、許せるはずがない。 「絶対に、許さないからな、リゼロン!」  幼いレオーネは、叫んだ。

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