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第四話 どうしても、言えない

 レオーネは深い溜息を吐き出し、首を振った。仕事を終え、自室に戻って。しばらく昔のことを、あの日のことを思い返してしまっていた。  今の自分はもう、リゼロンに抱え上げられるような背丈ではない。そしてリゼロンは、遠く届かぬ霧の奥ではなく、この別荘の地下室に閉じ込めてある。何もかもの状況が変わっていた。それなのに、レオーネの心は晴れない。どうしてなのかと問えば、簡単に答えは出る。  こんなことを、望んでいたわけではないのだ。  リゼロンが自分を拒絶し何も語らなかった以上、簡単に真実を明かしてくれるとは思えなかった。だから街の薬売りに求めて、エルフに効くという下種な薬をいくつか用意もしたし、こんな物も有ると色々押し付けてきたのも、使う気はあった。  しかしそれはリゼロンから真実を聞き出す為であったし、そもそも使うことになるならそれは強情なリゼロンのほうが悪いのだ。少なくとも、そう言い訳はできる。  だが、自分のしたことはなんだ。性的な関係を持つつもりなんて、無かったのに。感情の、劣情のままに犯してしまったことについて考え、一日仕事に身が入らなかった。とはいえまだ領主ではないレオーネの仕事とは、父からいずれ継ぐこの家のことや国のこと、他の領主達の関係を学ぶことであるから、そう困ることではないのだけれど。  何より自分がそうした欲望を持っていたこと、今でさえリゼロンの熱にうかされた姿を思い出すだけで、こみ上げる想いがあることにレオーネはやや動揺していた。  突き放され、多くを失ってもなお、あの日々で彼に感じたことは尾を引いているようだ。決して、誓って手籠めにする為にリゼロンを攫い、監禁したのではない。真実を突き止め、一つの納得をする為にそうしたのだ。  しかし、あんなことをしてしまった以上、それも言い訳に過ぎないのかもしれない。  そんなレオーネの思考は、扉をノックする音で途切れた。 「レオーネ様、準備が整いました」  昨夜と同じように、ミカが報告する。レオーネは無言で扉に歩み寄り、それを開いた。リゼロンと同じエルフであるミカが、静かに頭を垂れて立っている。  父から与えられたこの従者は、リゼロンとは違い一般的なエルフだ。自ら何かをするわけではなく、感情表現は薄く従順。そんな彼をそばにおいていたのは、この日の為だ。リゼロンの「拒絶の霧」を突破させ、彼を引きずり出す為に。  あの時、賊に襲われたレオーネの為に護衛が必要だと考えた父は、決して裏切ることの無い者をレオーネのそばにおいたのだ。エルフは主従関係を、人間に解消されない限り破らない。ミカはエルフながら一通りの武術を学んでおり、痛みや死に縁がないためどんな戦士よりも頼りになった。  そしてミカは単身リゼロンの森へと侵入し、標的を捕縛することに成功したのだった。 「ありがとう。ミカはもう休んでいいぞ」  ミカに微笑むと、彼は「かしこまりました」と顔を上げる。ひとつ頷いて地下室へ向かっていると、後ろから声がかかった。 「あの」 「なんだ?」 「……あの、レオーネ様。リゼロン様のこと、ですが……」  ミカは少し言い淀んで、何事か考えているように、視線を彷徨わせてから口を開いた。 「あの方は何か……私達とは少し違うような気がして……。それに、私にはとても、悪い方には思えないのです。レオーネ様のことをとても思っておいでと申しますか……理由無く、何かをするような方とは……。もちろん、私も詳しいことは聞けなかったのですが、このようなことになってまでお話にならないのです、よほど口にできない理由が有るのではないかと……」 「…………」  ミカがこれほど意見を言うことが、まず珍しい。レオーネはその事実に、少しの時間思案した。リゼロンのことを世話すると同時に、探りを入れるよう指示したのは間違いない。しかし、彼と会話することでミカも何か影響を受けたのだろうか。 「……だから、俺にこんなことは止めろ、と?」 「! い、いえ、そのような差し出がましいことは。ただ……」 「ただ?」 「……このまま問い続けても、口を開くかどうかわからないと、私は感じました……」  ミカはレオーネの眼を見ないまま、そう弱弱しく呟いた。彼が何を言わんとしているのかは、理解した。した上で、レオーネは微笑んだ。 「わかっている。わかっているさ……。貴重な意見をありがとう、ミカ。もう下がっていいぞ」 「……はい……」  レオーネは小さく返事をするミカをおいて、地下室に向かう。  言われるまでもなく、わかっている。リゼロンは何か、言えない理由を抱えているのだろう。わかっていて、レオーネもまた止まれない。それだけのことだった。  薄暗い地下室に入る。リゼロンはランプの灯りに照らし出された寝台の上に横たわっていた。布団のようにかけられた薄い布が、緩やかに揺れている。こちらに背中を向けているが、既に自分が来たことには気付いているだろう。  レオーネはゆっくりとリゼロンに歩み寄る。ベッドのすぐそば、手を伸ばせば触れられる場所まで来ると、リゼロンが背中越しに蒼い瞳をこちらへ向けた。その頬は赤く染まり、僅かに汗ばんでいる。ここまでくれば、その身体が揺れているのは、何も呼吸をしているだけではないのもわかった。 「……随分、待たせるではないかレオーネ……もう来ないのかと思うたぞ……?」  ふう、と深く熱い呼吸を繰り返しながら、リゼロンが厭味を投げかける。そんな彼の身体を、布越しにつつと指でなぞる。それだけで息を呑み、耐えるように目を閉じるのを静かに見下ろしながら、レオーネは極力無感情に答えた。昨日のように昂って、周りが見えなくなるのは避けたかったのだ。 「それはすまなかったな。しかし時間をかけるほど効くだろう? 昨日と同じやり方をしても口は割らないだろうしな……」 「……っ、ぅ……」  指で優しくリゼロンの首筋を撫で、その尖った耳を撫でる。弱いのか、身体がビクリと震えたのを見過ごさず、そのまま爪先で縁をなぞるとリゼロンは何も言わないままただ息を潜めた。  ミカには「下準備」を命じていた。後ろ手に縛ったまま全身に媚薬を塗り、後ろには男性器を模した張り型を押し込ませて、それからしばらくの時間をおいて呼ぶようにと。勿論、胎内にも媚薬が塗り込まれているから、過敏になった身体は呼吸により動くだけで刺激を受けてしまうだろう。相当辛いに違いない、とは思う。  「……っ、何を、されても、言えぬというのに、な、ぜ、こうまでして……っ」  リゼロンが、震える声で呟く。その瞳は熱で潤んでいた。本当はすぐにでも解放を懇願したいほどだろうに、まだ彼は己を保っているようだった。レオーネはその問いに、目を伏せる。 「……お前が俺を拒絶しただけなら、こんなことにはならなかったかもな……」 「なに……」 「お前があの時、俺ともう一度でも会ってくれたら、運命は変わっていたのかもしれない。そう思わずにはいられなかったんだよ、まだ十歳だった俺はな……」 「……そなた、……」  リゼロンはレオーネの言葉を受けて、何かに気付いたようだ。 「そうだ、レオーネ。そなた、母親はどうなった。私の薬は……」  リゼロンの問いに、レオーネは静かに答えた。 「……死んだよ」 「…………!」 「リゼロンの薬は、効果が無かった。母は高熱が下がらないまま衰弱して、……ほどなく永遠の眠りについた」 「そんな……それは、……それは…………」  リゼロンは悲痛な表情を浮かべ、目を閉じる。レオーネも、その時のことを思い出して目を閉ざした。  優しかった母が、目に見えて痩せ細っていく。熱に魘されて名を呼ばれ、握った手は細く冷たかった。何度名を読んでも返事は無く、ただ苦しんでいる姿を見ることしかできないまま、別れは訪れたのだ。  しばしの沈黙ののち、レオーネはその悲しみを言葉に乗せる。 「無意味なことだとわかっていても、考えずにはいられなかった。もし、リゼロンが母の容態を診てくれていたら、結果は変わっていたんじゃないか。あるいは、また会いに行って相談できていたなら。それでもダメだったかもしれない、ならせめて、何故こんなことになってしまったのか理由が知りたかった。お前が俺を遠ざけた、お前が森から出なかった、そのわけを……」  そうでなければ、お前を許せなかった。いや。許せないんだ。  思いの丈を吐き出すと、目を開く。リゼロンはしばらく何も言わなかったけれど、ややして「それは、本当に申し訳無かった……」と口にした。 「……っ、謝ってほしいわけじゃない! 理由を聞かせろと言っているんだ……!」 「……すまぬ……レオーネ……」 「謝るな!」 「……っ!」  謝罪を口にするばかりのリゼロンから布団を引き剥がす。裸のまま後ろ手に縛られた裸体が、ランプの揺れる光に照らし出されて艶かしい。蒼い瞳が深い悲しみを湛えてレオーネを見つめた。 「どれほど時間がかかっても聞かせてもらうぞ、リゼロン。俺はそれまで、お前を許せない……!」  レオーネはそう吐き捨てる。その言葉にリゼロンは悲痛な表情を浮かべ、それから静かに目を伏せた。

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