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第七話 約束
「れ、レオーネ……? どうして、ここに、」
安堵感より、信じがたいという気持ちで問う。己の見せた都合の良い夢なのではないかと思うけれど、強く抱きしめる腕は痛いほどだ。しかしそれは温かい。
夢、ではない。そう理解した時、リゼロンはぽろぽろと涙を零していた。
「レオーネ様、こちらを!」
ミカの声がする。それでレオーネが腕を離した。どうしようもなく名残惜しくて、リゼロンは「あ」と声を出す。レオーネは複雑そうに微笑んで、「もう大丈夫だ」と囁くと足元に視線を移した。
つられてそちらを見る。入り口が開いたからか、光が差し込み全てが見えるようになった室内。床にはうつ伏せに倒れたアーシェの姿が有る。暴れる彼を、ミカが押さえ込んだままレオーネに手を差し出していた。小さな鍵が握られている。アーシェから取り上げたのだろう。
レオーネがそれを受け取り、素早くリゼロンの手枷に差し込む。カチャリと音を立ててあっけなく解放された。その手が力無く落ちるのを、レオーネが掴み、引き寄せる。
「レオーネ、どうして……」
ここにミカやレオーネがいるのか。そう聞きたいのに、涙がこぼれてうまく言葉が作れない。しびれた手を握り、その生々しい傷に眉を寄せてから、レオーネはその甲に口づけた。愛おしいものを、確かめるように。
「……お前の言うとおり、母の死因を探していたら、元凶がアーシェだとわかってな。すぐにミカと森に向かったんだが……遅かった。お前の部屋の血を見て、頭がどうにかなりそうだったが……ミカがいてくれて助かったよ。エルフは死なない。そしてリゼロンを探していた理由が、主のもとに連れ帰ることだったなら、すぐにでも追うべきだと、言ってくれて……」
日が暮れてしまったことは言い訳にしかならないが、遅くなってしまってすまない、無事でよかった。
レオーネはそう話しながら、リゼロンの拘束を解く。それでも、薬のせいか脱力した体はうまく動かせなくて。拘束が全て無くなり解放されても、縋るようにレオーネの服を握ることぐらいしかできない。そんなリゼロンを、レオーネは軽々と抱き上げる。
聞きたいことも、言いたいことも溢れている。どうしてアーシェが、自分がここにいるとわかったのか。今が朝だとしたら、レオーネたちは夜通し駆けたのだろうか。それならきっと疲れきっているだろうに、大丈夫なのか。人の子はエルフに比べて脆いというのに。
何故。そなたに辛い思いをさせてしまった私を、助けに来てくれたのか。そなたから母を奪ったのは、私であるのに。
そう思いながらも、涙がこぼれて止まらなかった。来てくれてありがとうと言いたいのに、それさえまともに口にできない。
それに、安心したからだろうか。ひどく、眠いのだ。もしかしたら、使われた薬にそのような効果も有ったのかもしれない。徐々に遠のく意識のまま、リゼロンはレオーネの胸に顔を埋めた。
「ま、ちな、さい……ッ!」
声がしたのはその時で、リゼロンはびくりと震えた。見れば、床に倒れたアーシェが、エルフとも思えぬ恐ろしい形相でこちらを睨みつけている。
「逃がしません、逃げることは、許しません……っ、ラビア様が、ラビア様があなたをお求めなのです……!」
「ラビア様……? ……っ!」
レオーネがベッドに目をやって眉を寄せる。明るくなったことではっきりと目に映ったそれは、誰がどう見ても死んでいるとしか思えない姿をしていた。その腐臭をごまかすように、ベッドの周りには無数の香が置かれており、なんとも言いがたい不快な匂いが部屋に充満している。
こうまでしていながら、アーシェは彼の死が理解できないのだ。リゼロンは、彼のことがひどく哀れに思えた。
「まさか、わからないのか? お前の主はもうとっくに亡くなっている。こんなことは全て無意味だ。諦めろ」
レオーネがそう諭すのにも、アーシェは激しく首を振った。
「あなたたちは! 人間は、そうやって嘘ばかり! ラビア様はご存命で、リゼロンを今も求めておいでです! 何故、私の役目をまっとうさせてくれないのですか……!」
アーシェの言葉にレオーネばかりか、ミカまでもが顔をしかめる。と、そこにもう一人の人物が駆け込んできた。
「レオーネ、今、うちの従者たちが……っ。……お、……おじいさま……っ⁉」
部屋に入って、カナンは祖父の変わり果てた姿に悲鳴を上げた。そして口を押さえる。こみ上げそうになったものを耐えるようにして、それから床に押さえつけられたアーシェを見つめた。
「……アーシェ、これは、どういうことなの……。お爺様は今も健在で、……しばらく体調が優れないから、そばで面倒をみたいと言っていたのは、嘘だったの……?」
「私が嘘など! カナン様、アーシェを信じてください。私たちエルフに嘘をつくことなんてできません。ラビア様はまだ生きておられます!」
「何、何を言ってるの、アーシェ……⁉」
カナンもまた、青褪める。十年以上、共に過ごしてきたエルフの、狂気の一面を見ているのだからしかたない。そんなカナンに、アーシェは必死に訴えた。
「私はラビア様の忠実なしもべ。そこのリゼロンもまた同様でございます。ラビア様へのご奉仕をしているばかりで、このような侵入を受け、乱暴を受けるようなことは一切しておりません! 今はラビア様もお元気を無くしておられますが、きっとそのようにカナン様にも説明していただけることでしょう……!」
「……アーシェ……」
「ですから、……っ、離しなさい、あなただって同じエルフ、主に仕える身ならわかるでしょう! 愛する主に報いたいだけなのに、何故、止めるのです……っ! リゼロン、あなたはここに残りなさい、私と共にラビア様をお慰めするのです……!」
「…………」
もう、誰もアーシェに何も言えなかった。ミカもまた、苦い表情を浮かべている。リゼロンは、そんなアーシェに対しても涙がこぼれそうになった。
エルフというのは、そういう生き物なのだ。
「……リゼロン」
ふいに。レオーネが小さな声で囁いた。のろのろと視線を上げると、レオーネはきつい視線でラビアの亡骸を見つめている。
「もし。お前たちエルフが、人の死を理解していないとして。何をもって、人の命が失われたと認識する?」
その言葉に、リゼロンは上手く回らない頭で思案する。自分はどうして、あのラビアが死んでいると思ったのだろうか。肉体が壊れ、呼吸が、鼓動がしなくてもまだわからないという同胞に、どうすればあれは死んでいると教えられるのだろうか。
そして、呟いた。
「……肉体が、失われたら……」
骨となり土に還れば、わからないということはないだろう。
その言葉に、カナンのほうが息を呑んだ。それからややして、震える声で言う。
「……このままでは、アーシェは諦めてくれないだろうし……どのみち、しなくてはいけないよね……」
「何を、何の話をしているのです……」
アーシェはその会話の意図が読めなかったらしい。眉を寄せている彼に、カナンが答えた。
「……アーシェ。お爺様の葬儀を執り行うよ。法に従って、火葬した後、墓に埋葬する……」
「……!」
アーシェが目を見開いた。その部屋に、カナンの従者たちがやってくる。葬儀をする旨を伝え、アーシェを拘束するように伝えている間にも、彼は叫び続けた。
「何を、まだラビア様は生きておられます! おやめください、ラビア様を殺めるおつもりですか⁉ 離して、ラビア様! ラビア様!」
悲痛な叫びは、魂からのものだろう。感情の薄いはずのエルフが、身も世もなく声を上げる。そのあまりに哀れな姿を最後まで見られないまま、リゼロンは静かに意識を手放していた。
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