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第27話

 リゼロンの応えはまだだったけれど、もうすっかり体もよくなったというから、レオーネたちはこの屋敷を後にすることにした。  それにあたって、色々と迷惑をかけたカナンに挨拶をしようと、二人は彼を探した。ラビアの葬儀が終わった以上、既にカナンは正式な手続きさえまだだけれど、このアンドルフィ家の当主なのだから。  ミカには先に帰ってもらっていた。レオーネの予定をいくつか先延ばしにするためだ。しばらくは、リゼロンをただ大切に扱いたい。その時間がほしかった。その為に奔走するミカにも、全てが終わったのちにねぎらいが必要だろうとレオーネは思った。彼もまた、ひとりの「人格」なのだから。  アンドルフィ家の従者を見つけ、カナンの行方を尋ねると、屋敷の裏手にある墓地へ向かったという。途中、リゼロンが閉じ込められていた館が目に入った。  ラビアがアーシェやリゼロンと共に、秘密の時間を過ごした館。そこは、近く取り壊されることになったそうだ。古くからの従者は、ぽつりと漏らした。 「思えば、エルフに奥様の名前をつけた頃にはラビア様もおかしくなっていらっしゃったのかもしれません。それでも、ラビア様はお幸せそうでしたし、アーシェもたいそうラビア様を慕っていましたから、止めることもありませんでした。しかし、ラビア様のお気持ちが「エルフ」に向いていたのは、不幸中の幸いだったのかもしれません。あのような残虐な場所に、「人間」が連れ込まれていたらと思うと――」  そして従者は首を振る。 「いえ、今はただ、ラビア様が心安らかに、奥様のおられる地の底へと辿り着けますよう、お祈りするばかりです。あなたがたにもアーシェにも、大変申し訳ないことを致しました――」  その言葉に、二人はなんと答えていいかわからなかった。  この国でエルフとは人間に従順な奴隷である。不老不死の奴隷など、どのように扱っても構わないという者達も多く、ラビアに限らず「そうした」扱いをしている人間も決して少なくはないだろう。しかし、この屋敷の者達もまた、エルフに対して対等であろうとしたのかもしれない。そうであるなら、それを下々の者に教えたのはラビアだろう。  ラビアは真実、アーシェを愛していたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。憶測するより他はないし、そしてそれに意味もない。全ては地の底、肉体と魂の還る場所へ消えてしまったのだから。  従者の案内で屋敷の庭を抜け、裏手へと進む。  墓地へと続く道の途中で、カナンが立ち尽くしていた。声をかけると彼は振り返って微笑んだ。目元には濃いくまが刻まれていて、心労も疲労もはっきりと見て取れる。 「少し休んだほうがいいんじゃないか」 「ありがとうレオーネ。もう一つやることが終わったら休むつもりだよ。……リゼロンさん、お加減は大丈夫ですか?」 「今のそなたよりはな」  リゼロンが微笑むと、カナンも「はは」と困ったように笑った。 「そなたもつらかったであろう。私のことはあまり気にかけなくてもよい、過ぎたことなのだから……」 「……そう、言っていただけると、ありがたいです。ですが、アーシェやお爺様のことに気付けなかったのは、当家の責任でもありますので……」  無かったことにはできない。謝罪の代わりに、当家は今後エルフの保護とフェルヴォーレ家への償いを続けていこうと思う。  カナンの言葉に、レオーネも俺のことは気にするなと告げたけれど、こちらのけじめの問題であるからと返されればそれ以上何も言えなかった。 「……そろそろ俺たちは帰ろうと思っているんだ。世話になった」 「ううん。それぐらいしか僕にはできなくて。……ああでも、少し待っていてくれる? お見送りをしたいから」 「ああ、それは構わないが……」  頷けば「ありがとう」とカナンが微笑んで、墓地の奥へと向かう。レオーネとリゼロンは顔を見合わせて、彼の後を追った。  墓地の一番奥に、ひと際立派な墓が二つ並んでいる。そこに書いている名前までは見えないが、恐らくラビア氏とその妻のものなのだろうとは容易に推測できた。  何故なら、その重厚な墓石に縋りつくエルフの姿が有ったからだ。 「アーシェ……」  リゼロンが思わず呟く。レオーネははっとしてリゼロンを見たが、彼の表情には恐怖も怒りも見えない。強いて言うならばそれは、なにか憐れみにも似ているような気がした。  アーシェは誰に着せられたのやら、この国で伝統的な喪服である黒の装束を身にまとい、墓石に身をゆだねている。その瞳からは、壊れてしまったように涙が零れ落ち続けていた。声も無いその深い悲しみように、レオーネまでも心が痛む。 「……あれのどこが、感情の薄い存在なんだ……」  エルフといったって、心も愛すらも胸にある。そうとしか考えられない。リゼロンを奪い傷つけた相手だとわかっていてさえ、いたたまれない気持ちになる。こんな生き物を、下等だとみなす人間たちが信じられなかった。  そしてそれと当時に、レオーネはふと気付いた。  であれば。あの姿は、いずれリゼロンのものになるのではないか。  エルフは不老不死。しかし人は老い、やがて死ぬ。その時、先立たれたエルフの心はどうなる? 愛さなければ、愛されなければ、あんなにも苦しい涙は零さずに済むのかもしれない――。  するり、とレオーネの手のひらに、リゼロンの手が絡んできた。驚いたけれど、リゼロンの顔色は変わらず、彼はアーシェを見つめている。レオーネもその手を握り返して、そちらを見た。  カナンがゆっくりとアーシェに歩み寄る。そして、まるで子どもにでも語りかけるように膝を着き、アーシェ、とその名を優しく呼んだ。反応は、無い。 「君も、つらかったね。ごめん、お爺様を奪ってしまって……」 「…………」 「僕はお爺様と違って、不出来な主だったかもしれないけど……。そばにいてくれて、ありがとう。君のおかげで、僕は当主を継ぐ準備ができたし、頑張れた。僕には君が必要だった……今まで本当に、ありがとう」  アーシェの瞳は動かない。まるで死んでいるようなのに、涙ばかりが新しく流れ落ちる。返事は得られないままだったが、カナンは構わず続けた。 「それでね……アーシェ。正式に、僕の従者になってくれないかい」  その言葉に、アーシェは初めてぴくりと反応した。その瞳が僅かに動いて、カナンを捉え揺れている。 「もちろん、すぐ返事をしろとは言わないよ。でもね、アーシェ。知らなくても、犯した罪は罪で、何かの形で償わなければならない。お爺様と君の犯した罪を、僕も償う。そしてもし君が、自分のしたことに無自覚だったとしても、僕の隣で償いをしてほしいんだ」 「……つぐない……」 「そう。まあ……君にとっては、お爺様の後を追って地の底に還ることもできないのが、最大の罰かもしれないけど。でもね、僕の体には、お爺様の血が流れてる。そう考えれば君の救いにもなるんじゃないかと思ってね」 「……ラビアさまの、ち……」  アーシェはそう小さな声で呟いたけれど、ややしてまた瞳は光を失った。カナンもそれ以上は何も言わずに立ち上がる。祖父母の墓に一礼し、そしてレオーネたちのもとへと戻った。 「……と、勝手に決めてしまったけど。君たちは、それで大丈夫だった……?」  今になってカナンは不安げに尋ねた。レオーネはリゼロンを見たけれど、彼のほうもレオーネを見たのだから、きっと答えは同じだろう。 「……あんな姿を見せられて、罰が足りないとは言えないさ……」  それに、アーシェはこれから無限にも思える長い時間、最愛の人を失った悲しみを抱え続ける。その途方もない喪失感と絶望感は、想像もできなかった。 「他人事には、思えぬしな……」  リゼロンもそう呟く。レオーネが口を開くより前に、カナンが念を押すように尋ねる。 「もし、アーシェが僕のお願いに応え、従者として働くようになったら。今後、公務などで会うことになってしまうけど、大丈夫? もう君たちには会わないほうがいいかな……」  不安げな姿はまるで幼少期の彼のようだ。あれから次期当主としての立ち居振る舞いを覚えた彼ではなくて。だからレオーネは苦笑して首を振った。 「カナンは今も変わらず、俺の親友だよ。これからもよろしく頼む。アーシェのことは……まあ、色々思うところもあるが」  責めても仕方ないこともあると、学んだからな。  呟くと、リゼロンがレオーネの顔をまじまじと見て、それから笑った。 「レオーネがそれでよいなら、私も構わぬ。元来エルフというのは、感情が薄いものなのだ。此度のことも、気にしてはおらぬゆえな」  その大嘘にはさすがに呆れたが、それでもそれはきっと、カナンを苦しめないための優しい嘘だ。だからレオーネも頷いて、「お前ももう休んだほうがいい」とカナンに告げる。彼は、困ったように微笑んで「ありがとう」と涙ぐんだ。  こうしてようやくリゼロンとレオーネ、そしてアンドルフィ家との因縁は全て終わった。

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