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第3話
ヤゴの話は大したものでもなく、要するに今日明日は二人でホテルに待機。得物は別の男が持ってきてくれるとのこと。
得物なんて、古いギャング映画に出てきそうな物言いに、飲み込もうとしていた五目焼きそばが喉の奥でこんがらがる。無理矢理胃に落とし込んでから、フランクは対面で春巻きを齧っているヤゴに言った。
「あんた、デミアンの下で働いてる訳じゃないだろ」
アマゾンの倉庫からほど近い中華料理屋は、店主が彼らと同じ肌色で、明らかに英語を解せなかった。奴が籠もっている厨房へ引っ込んだきり、給仕役の老婆は追加の注文を取りに来る気配がない。午後の二時、古い油の匂いが立ちこめる狭い店内は、望んでもいない貸し切り営業と化している。
熱くて濃い餡を包んだ春巻きへ、そうっと注意深く歯を立てながら、ヤゴは話の続きを待っていた。「堅気に見える。少なくとも、こっちの水を飲んで日が浅いって言うのか」
「おいおい、今更自己紹介ごっこか」
テーブルの下で滑った靴底に、脂ぎったビニール張りの床がきゅっと音を立てる。一度は揶揄するような言葉付きを作ったものの、けれど結局ヤゴは、相手を指し示していた割り箸を下ろした。入れ替わりに取り上げられた蓮華は、取り皿の上でどろっと、滞留した沼のように淀んでいるチャプスイへ沈められる。
「でも、確かにお互い初対面だもんな。履歴書が、それとも血統書って呼ぶのか、あれば良いんだけど……3年前から、アーロン・コルタサルの為に働いてる。こういう風に、困ってる人間の世話をしたり」
そう続けた後、フランクが悪感情を毛ほども示していないに関わらず、眉が下がる。
「別に、上から目線だとかは思わないで欲しいんだが」
「アーロンはしみったれてる」
フランクもチャプスイを口に運んだ。老人ホームの給食じみた、固形物と言っていいほどとろみの強い代物で、とても食えた気がしない。
「あんたもついてないな」
「確かに。でも仕事は仕事だ……何かを手に入れる為には」
つい30分程前まで、フランクのペニスを巧みにくわえていた唇は、やたらと鈍い動きを作る。瑞々しさすら覚える血の気の失せた粘膜の間で、チャプスイに混ぜ込まれた人工添加物が糸を引きそうな勢いだった。
「つまり人間、働かないとな」
賭博か、とフランクは当たりを付けた。薬物で身を持ち崩したにしては顔色が良いし、落ち込んでいるようにも見えない。目の前の男の、この国ではイージーゴーイングとでも呼ばれそうな物腰は、いっそ気味が悪いほどだった。
「カマルゴ氏はあんたのことを褒めてたよ。やるべきことは必ずやる男だって」
「舐められたが最後、次の瞬間にはヤバいことになってるからな」
もう少し難しい単語を使えば、「侮られたが」とでも言うのか。中で蓄えた知識はもう薄れている。いつ誰が手製のナイフで脇腹を小突こうとしてくるのか分からない状態で励む勉学だ。しょせんは身など入れられないということなのかもしれない。
「あいつらは俺をコケにした。一人一人思い知らせてやった。奴はちんけなチンピラだが、それは罪を逃れる言い訳にはならない」
「罪か。スタンバスは服役して5年だっけ」
ヤゴは瓶口から最後のビールを飲み干した。店の中は空調のフィルターにまとわりつく黴臭さを、揚げ物の匂いが辛うじてごまかしていると言った体だった。彼の目はますますしっとりと曇り、食後の午睡で悪夢でも見ているかのようだった。
「それでもまだ許せない?」
フランクは答えず、春巻きを口に運んだ。思ったよりも冷めていた。目の前の男にかかると、何でも熱くなるのかもしれない。
「非難している訳じゃない」
「分かってる」
殆ど遮るような物言いに、老婆が一度、厨房を隠す衝立から顔を覗かせる。本物のアジア人のように、徹底した無表情だった。どこにいても望まれていないように感じて仕方がない。この被害妄想じみた思考へ陥る原因には心当たりがある。もう少し娑婆に慣れたら、馴染むことが出来る。自らが水になったかのように。次こそは2度とあそこへ戻るものかと、上手く立ち回ってやると、強く純粋な決意を抱くことで。
けれど今回は、檻の向こうから、頑なな凝りを持ち出してきた。
「あんたにも迷惑を掛けるな」
しみじみとしたぼやきは、漏らしてから後悔する。案の定、ヤゴはびっくりしたように目を見開いた。
「不運だと思うよ。俺の用事に付き合わされて」
「いいんだ」
当惑から醒めて放たれた言葉は、とろりと優しげに響いた。今やすっかり湯気を失った大皿越しに投げかけられる眼差しも、これまたおっとりした子供じみているのだ。
「それはやらなきゃならないこと、だろ?」
疑問型で投げかけられた言葉には回答を用意すべきだった。しかしフランクは結局、まずいチャプスイを掻き込み口の中を満たすことで、自ら言葉を封じた。
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