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【月欲】アフロディーテ二号店 営業中!

 月郎が珍しく用事があるというので、堤は久しぶりに夜の街へと繰り出した。繁華街のネオンがまばゆい路を一人歩く。月郎と恋人同士になる前は、歓楽街に来るのは浮ついた気持ちになったものだが、今はただ物寂しいような、侘しいような気分になるだけだ。 (しかし、用事ってのは珍しいな)  柏原組を組み抜けして以来、無職になった月郎は相変わらず家にいることが多かった。所有していた店を処分する手続きやら、偽名義で持っていたアパートなどを処理したりという事務作業のほか、買い物などの細々したものの為に出かける以外は、殆ど家にいて勉強に時間を費やしていた。だからこうやって夜に出かけるのは珍しい。 (まあ、束縛する気はないし……)  何でもかんでも報告する必要はないし、遊びに行くのも良いだろう。月郎にはこれまで、自由というものがなさ過ぎた。これからは、どこまででも行って欲しいと思うし、どんなことでもやって欲しいと思う。(犯罪以外は)最終的に自分のところに戻ってくれれば、それで良い。もちろん、浮気はダメだ。 (でも寂しいんだよな~)  はぁ、とため息を吐きだす。あの狭いアパートが、月郎がいないだけで広く感じる。家に帰っても何をして良いのか分からなくなる。本当なら月郎の作った飯を食って、他愛ない話をして、イチャついてそのまま寝る。堤の私生活は月郎を中心に回っていて、彼が居ないだけで生活リズムの全てが狂ってしまうようだった。 「完全にダメになってるわ……」  自分の方も月郎から自立しないとな、と思いながら路地を曲がったところで、見知った車が停まっているのに気が付いた。 「ん?」  向こうも気づいたようでドアを開けて姿を見せる。同時に、深く頭を下げた。 「ご苦労様です、四代目」 「辞めろって。何だ、見回りか? 鮭延」 「まあ、そんな所っすね」  白桜会がケツモチをしている店を見回っているらしい。ヤクザではあるが、治安を守る一助になっているとも言え、萬葉町では佐倉組を概ね受け入れている。その四代目になれと言われている堤ではあるが、一応現時点ではお断り中だ。もっとも、大きな借りを作っているし、三代目の佐倉行重とは盃を交わした仲でもある。関西新柏原組組長の東海林との縁もあり、かなり追い詰められている状況だ。 「街は、変わりないか?」 「ええ。でもまあ、変わりますよ」  再開発のことを言っているのだろう。条例が可決し、違法な客引きは排除されヤクザが仕切るような店は姿を消していく。ヤクザの時代は終わる。堤は佐倉の願い通り、幕引きを頼まれるのだろうな、と漠然と思った。 「お前も、意地張ってないで佐竹んとこ顔出せば良いのに」 「あの人は堅気ですよ」 「……俺も堅気のはずだが?」 「四代目は三代目と親子盃かわしたでしょうが」  そりゃあ、そうだが。反論できずに、堤は口元に触れた。煙草を吸いたい気分だ。 「再開発が掛かれば、あの路地も無くなるか」 「……」  堤の言葉に、鮭延は何も言わなかった。アフロディーテ一号店のあるエリアは、再開発が掛かっている地域だ。アフロディーテ一号店の目の前の交差点も、姿を変えるだろう。佐竹の、堤の、康一の人生を変えた場所。そして、月郎の人生を変えた場所だ。 「そういや、三戸瀬さん退院するって?」 「ええ。退院祝いは盛大にやるんで、堤さんも顔出してください」 「考えておくよ」  鮭延と別れ、堤は交差点の方に視線を投げた。本当に、すべて終わった。もうなんのしがらみもない。 (俺は、月郎と歩いていくよ)  相変わらず、白岡には勝てないと思うが。今傍にいられるのは、自分の方だ。  堤はすんと鼻を鳴らし、白い花を抱える女神像の前に立つ。アフロディーテ二号店。寂しくて飲むのに女の子の居る店は良くないかもしれないが、ここなら友人の店だ。文句も出ないだろう。ここにいる女たちは可愛らしい女の子というより、女友達という感じだ。  店に入ると、すぐに黒服が気が付いてホールにいた瑞希に声を掛ける。 「あれっ、堤さん! 来てくれたんですか!」 「おー。席開いてる?」 「あー。大丈夫です。ご用意します」  店は満席のようだったが、席を開けてくれるらしい。悪いことをしたと思いつつ、案内に連れられ店の奥に進む。 「何か賑わってるな」 「夏イベント中なんですよ。おかげさまで人手が足りていないくらいで」 「そっか。悪かったな」 「とんでもない。いつでも大歓迎ですよ」  やわらかく微笑む瑞希に、堤は礼を言いながら懐の煙草に手を伸ばした。 「キャストはお任せで大丈夫ですか?」 「うん。任せるよ。空いてる子で良いよ」 「ちゃんと良い子連れてきますよ」  なんなら、誰もつかなくても良いのだが。そう思ったが、瑞希はそういう訳にはいかないようだ。人手が足りないというのは本当らしく、キャストの女の子たちはあちこち声が掛かっている。 (少しだけ飲んだら帰るか……)  なんとなく寂しくて来たが、余計に寂しくなってしまった気がする。そう思い煙草を取り出したところに、黒服に連れられ女が席にやって来た。 「こんばんはァ、いらっしゃいませ。月子と申し――」 「は」  ハスキーな声に、思わず固まって顔を上げる。向こうも堤を見て絶句した。 「――お、いっ!?」  驚きすぎて、堤はぐいと月子――月郎の腕を引っ張り席に座らせる。 「おい、どういうことだっ!?」  耳元に叫ぶ堤に、月郎は顔を顰めた。月郎は化粧だけでなくストレートの長い髪のウィッグを着け、銀色に光るタイトなドレスを着ていた。 「なんでここに居るんや。月子ちゃんをご指名かァ」 「アホかっ。今知ったわ!」  堤の反応に、月郎はカラカラと笑って「そらそうや」と言いライターを差し出す。堤はむすっとしながらも煙草に火を点けてもらった。 「で、なんでここに居るんだ?」 「ん? 瑞希が人手不足いうから手伝いに来たんや。そしたらこうや」 「……お前にそんなことさせられるのは、瑞希ちゃんだけだよな……」  男が接客して良いのかよ。と思いながら月郎をチラリと見る。さえというキャストがメイクした月郎の姿は完璧で、魅力的な女性にしか見えない。視線の妖艶さにドキリとしつつ、バレたらからかわれそうなので平静を装った。 「その胸なに」 「ヌーブラ」 「……まじかよ」 「マジや。詐欺やな女って」  がっくりと肩を落とす堤に、月郎が「何飲む?」と聞くので「適当に頼んで良いよ」と返事する。 「ほんまかァ? シャンパン入りまー……」 「ちょっと待て! お前俺の懐事情知ってるだろうがっ!」  ドンペリだのアルマンドだの頼まれてはたまったものではない。慌てて止める堤に、月郎は唇を尖らせた。 「なんや、男気みせんかい」 「冗談はやめろ」 「冗談やないのに」 「……」  ツンとしてそういう月郎に、堤はムッとしてその辺を歩いている黒服を呼ぶ。 「すみません、チェンジで」 「わーっ! 待って待って。あかんって! 他の女座らす気かっ!?」  腕にしがみ付いて止める月郎に、堤は溜飲が下がった。このままチェンジしてしまっても良かったが、月郎が他の男のところに行くのも嫌なので、「やっぱり大丈夫」とキャンセルする。 「酷いわァ……」 「普通に水割りにしろよ。ドリンクは頼んで良いから」 「フルーツも頼んでえな」 「……まあ、そのくらいなら良いか……」  可愛いしな、という言葉は呑み込み、注文を促す。普段家では安い発泡酒ばかり飲んでいるので、こういうのは新鮮だ。グラスを打ち付け合って「乾杯」と笑う。 (女装趣味とかないんだけど……)  別に月郎に女装して欲しいと思ったことはないのだが、こうやってドレスアップした姿を見るのは案外悪くなかった。羞恥心はないようなのでそう言った楽しみはないのだが、単純に美しい。  堤は月郎の瞳をじっと覗き込んだ。店のシャンデリアの明かりが反射して、キラキラと光っている。無意識に手を顔に伸ばし、親指で唇に触れた。赤い口紅が指先に着く。 「……」  互いに自然と顔を寄せ合う。  唇が触れ合う、その瞬間。 「すみません、おさわり禁止なんで!」  二人の間にトレンチを差し込んで、瑞希が苦笑いする。月郎が唇を尖らせて瑞希を見上げた。 「なんや。邪魔しよって」 「月子さんダーメ。めっ」 「チッ」  堤はと言えば、雰囲気に吞まれたとはいえ、店の中でキスしようとしたことに羞恥でテーブルに顔を打ち付ける。 「なんや、まーくん。恥ずかしがって」 「うるさいわっ」 「すみませんコレお代わりお願いします」  ちゃっかりキャストドリンクのお代わりを要求して(キャストにお金が入る)、月郎はニヤニヤと堤を見る。顔が熱い。 「最初はキャストの手伝いなんかどうかと思っとったんやけど、悪くないなァ」 「お前な……。次は言って行けよ」 「せやな。そうしたら指名してくれるもんな?」 「一号店行くから」 「なんでや!」  そんなやり取りをしつつ、ほんの少しだけ飲むつもりが結局、閉店まで付き合ってしまった。  ◆   ◆   ◆ 「店長ー、このままアフターでお願いしまっす」 「家に帰るだけなのにアフターとかおかしいだろ」  別に料金が発生するわけではないのに、なぜアフターなのかと文句を言う堤に、月郎は首を45度に傾けて可愛いそぶりをして見せる。 「このまま帰れるやろ」 「――なるほど」  お着換えなしで帰って良いということだ。女装には別に興味があるわけではない。が。 (そうなれば、話は別だわな)  俄然、やる気が湧いてきて月郎の細い腰を横に抱いた。  瑞希に「さえさんのドレスだから」と釘をさされつつ、二人は夜の街へと消えていった。

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