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【潤一×賢士】ステーショナリーフロント(再掲載)

 洗面台の前に立ち、伸びすぎた前髪を睨む。おれはいまだに、割り切れていない。納得していない。鏡の向こうに映る自分は、身体ばかりが成長して中身はちっとも変わっていない。自分だけが置いて行かれたようで、自分だけが変われないようで、変わっていくのが嫌でしがみついている。  実家に暮らすという選択をし続けているのも、ある意味では同じなのだろう。兄弟たちは変わっていくのに、自分一人が停滞したままだ。  あれから、どれほどの時間が過ぎただろう。おれも潤一もきっと、何かを変えるのが怖くて、諦めていて。  蝶が風を吹かすように、誰かが何かを変えるのを待っている。  ◆   ◆   ◆  午後の日差しがゆるりと射し込む。穏やかな風にレースのカーテンがゆらゆらと揺れて、床に模様を作っていた。  シャキン。耳元で金属が擦れる音がする。髪がハラリと落ちて、床に滑っていく。鏡越しに見える潤一の指は器用で、おれは飽きもせずその様子をずっと眺めていた。潤一の腕は細く、白かった。 『髪触らせてくれんの、賢士しかいない』というのが、潤一のその頃の口癖だった。美容師資格を持っていない素人が髪を切れるのは、家族だけだ。長男の康一は潤一の腕を信用していないようだったし、四男の誠一は癖がある自分の髪が嫌いで、触られるのを嫌がった。 「賢士の髪は、サラサラしてて癖がないから、切りやすい」  うっすらと笑いながら、そういう潤一に、おれは「だろ?」と得意げに笑う。将来は美容師になりたいと、進路を決めた潤一は、良くおれの髪を練習台にした。最初はヘタクソだったが、最近は近所の床屋より上手いと思う。潤一自身、髪形にこだわりがあるようで、今は癖のある髪を編み込んで後ろに流したスタイルが、女子たちに「カッコイイ」と言われていた。  おれと潤一は、血の繋がりがない。連れ子同士の再婚で、兄弟になった。それも、同じ歳の同級生。兄弟だけど、兄弟と言うよりも友達のようだった。だからお互いに、名前で呼び合う。 「美容師になったら、お前おれの専属だからな」 「もち。賢士の髪は、俺が切るよ」  クスクスと笑う声が、くすぐったい。ハサミが、襟足を落とした。髪が、ハラハラと床に落ちる。  なぜだか、潤一の手が止まった。不思議に思って鏡を見ると、視線が首筋に伸びている。 「潤――?」  潤一がゆっくりと、吸い寄せられるように。  首筋に、唇を寄せた。 「っ!?」  驚いて、振り払ったおれに、潤一は酷く青ざめた顔をした。ハサミが床に落下する。物をねだったことがない潤一が、十六の誕生日に初めて父にねだったプレゼントだった。潤一の手が、可哀想なほどに震えていた。 「潤? どうし――」  小さく呟いたのは「ごめん」という言葉だった。訳も解らないままに、逃げるように潤一は立ち去り、おれだけがその場に取り残される。切り落とされた髪と、大切にしていたハサミ。  程なくして、康一が突然、部屋の変更を申し出た。何か言ってやりたかったが、言葉が思い浮かばずに頷いて、おれは康一と一緒の部屋になった。  ケンカした訳じゃない。決定的な言葉を言われたわけじゃない。  おれと潤一の間には、何もなかった。  けど、『何か』があった。 『賢士の髪は、俺が切るよ』  洗面台の前に立ち、伸びすぎた前髪を睨む。 「……嘘つき」  おれはハサミを掴み、前髪を切り落とした。

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