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(もしかして)ヤクザと刑事

 交通事故防止の啓蒙活動とか言うものがあるらしい。今まで気にしたことのない活動だったが、敬愛する四代目の仕事となれば、話しは別だった。  佐倉組直系傘下白桜会、若頭。鮭延恵。それが、現在の鮭延の肩書きである。欲しくて座った立場ではない。長年連れ添った兄弟のような男を、その場から離れさせるために背負った立場だった。  警察官の音楽隊というのは人気があるらしく、駅前広場には人集りが出来ていた。本来ならヤクザものの自分がいる場所ではないが、一度くらいは見てみたいと思った。  堤政樹という男は、侠気のある男だ。信念を曲げない頑固さと、義理堅さがある。ついでに言うと、腕っぷしがめっぽう強い。鮭延がまだヤクザでなかった頃、何度挑んでも勝てないひとだった。  教師になると思っていたので、警察官になったときは驚いた。母親を奪った事故が、彼の運命を変えさせた。  鮭延は彼らにとって、五つも年下の幼馴染みだ。鮭延に出来ることは何もなく、ただ寂しさだけが残った。 「なんも見えねえ」 「ちっとも見えないな……」  鮭延が呟くのと、横から聞こえた声が被った。思わず振り向くと、見知った顔であったので、鮭延は驚いた。 「上田さん」 「君は――白桜会の」  名前は覚えていないのだな、と鮭延は思った。 「鮭延です。鮭延恵」 「ああ、そうだ」  上田龍奥は、刑事部捜査四課に所属する刑事だ。四課――つまり、対ヤクザの刑事である。鮭延にとっては、最も警戒すべき相手だ。だが鮭延は、最も信頼出来る人間であることを、知っている。  上田は正義感のあつい、真面目な男だ。そして、堤とは親友でもある。堤が佐倉組と深い繋がりがあると知りながら黙認しているのは、堤が悪事を働いていないからだろう。佐倉組系列の一家は一様に法を犯す仕事はしていない。鮭延の『親父』である三戸瀬などは、もうヤクザの時代ではないという。  鮭延は軽く会釈しつつ、この場に居るのをマズイと思い唇を曲げた。 「すみません上田さん。行きますので……」 「なんだ、堤を見に来たんじゃないのか?」 「いえ、そうっすけど」 「なら、見ていけば良いだろう」 「でも――」  迷ったが、上田が良いというのでその場に留まることにした。刑事の隣というのは落ち着かない。警察官である堤だと気にならないのに。  鮭延はチラリと、上田を見た。スッとした顔立ち凛々しく、日本男子らしい。立ち姿を見ていると、一般人とはやはり違った。 (そのうち警視になるって、四代目言ってたな……)  鮭延にはよく解らないが、お偉いさんになるというのは解る。こんな風に現場に出ることもなくなるのだろう。上田は堤と仲が良いためか、萬葉町で良く見かけた。  やがて、パーンと小気味良い金管楽器の音が鳴り響く。リズミカルな音楽が鳴るなか、鮭延は堤の姿を探した。 (あ、居た)  思ったよりも堂々と演奏している。制服姿も相まって、格好良く映った。  ふと、上田に視線を移す。 「――」  鮭延は上田の表情に、驚いて思わず固まった。 (なんだ、この人――)  恋の視線に、納得する。立場が違うのに、わざわざ萬葉町まで来る理由に思い当たり、腑に落ちた。同時に、上田が久保田月郎の証人に立ったことを知っていたので、微妙な気分になる。 (なんとまあ)  報われない。 (四代目は、知ってるのか?)  知ってるかも知れない。知らないかも知れない。いずれにしても、堤が上田を選ぶことはないだろう。解っていて、月郎を助けたのだ。 (そりゃ、なんとも……)  再び横目に見た上田の瞳が、不意に陰った。理由は、すぐに解った。  堤のすぐ近くの人集りに、月郎と瑞希の姿が見える。 「――……」  上田が目を逸らす。結果として、鮭延と目があった。気まずそうに笑って「そろそろ行くよ」と背を向けた。 「あの」  引き留めたのは、なんとなくだった。背中が寂しそうに見えたから。 「うん?」 「良かったら、飲みに行きません?」 「え?」  言ってから、鮭延は(あ)と思った。ヤクザと飲みに行く刑事など居るわけがない。 「すみません、冗談で――」 「良いだろう。行こうか」 「え」  今度は、鮭延が驚く番だった。  上田は意地になったのか、気が滅入っていたのか、鮭延の腕を掴み繁華街の方へ引っ張っていく。 「ちょっと、良いんすか」 「問題ない。バレなきゃ」 (まあ、そうだな)  そうそうバレたりしないはずだ。そう思い、鮭延は上田に付き合うことにした。    ◆   ◆   ◆  身体が酷く重い。飲みすぎたせいか頭がぼんやりして、覚醒するまでに時間が掛かった。 (今、何時だ……?)  判然としないまま、欠伸をして寝返りを打つ。ボヤけた視界に、見覚えのある男の顔が映った。向こうも、同時に目が覚めたらしい。  目があって、状況把握までに僅か一秒。二人とも跳ねるように飛び起きた。 「っ!」 「!!」  気づけば何度か使ったことのある、見覚えのあるラブホテルだった。酒のせいでハッキリしないが、酷く絡まれたのは記憶にある。 (冗談キツイぞ……)  鮭延はゲイではない。完全にノーマルだ。弟分の吉田や息のかかっている店であるムーンリバーのオーナー椋椅など、周囲には多いが自分は違う。なのに。  上田は落ち着かない様子でそそくさと脱いだ服を拾い集め、着替え始める。シャツのボタンがずれていた。 「上田さん」  鮭延の声に、ビクッと上田の肩が跳ねる。 「――ボタン、掛け違ってる」 「っ、あ、ありがとう」 (とって食いやしない――いや、食ったあとか……)  頭をポリポリと掻いて、ため息を呑み込む。後の祭りだ。今さら騒いでも仕方がない。妙な経験が増えてしまっただけだ。 (四代目には、絶対に言えねぇ……)  親友と寝たとか、聞きたくもないだろうし、どんな侮蔑の表情をされたものか、溜まったものじゃない。どうせ上田も、言ったりしないだろう。ヤクザと寝たとあっては、問題が有りすぎる。 「えっと、その……」 「ああ……、一服してから出るんで、お先にどうぞ。払いは俺が持つんで」  そう言った鮭延に、上田は真顔になって何故か隣に座った。 「?」  怪訝に思いながら、脱いだ服を引っ張ってポケットからタバコを取り出す。 「その……、すまない。酔っていたようだ」 「……まー、こういうのは、お互い様でしょ」  上田は耳が赤かった。こういう経験は、あまり無さそうだと勝手に考える。 「背中、綺麗なんだな」 「ああ……」  刺青が入っていないのを言っているのだろう。入れようと思っていたが、止めておけと佐竹に言われたまま、なにもしていない。入っていない方が生きやすい。どうせ、背負うだけの生き様など鮭延にはなかった。 「俺には、まだ覚悟がないんで」 「覚悟……」  そう返したのを、上田は意外そうに見る。あまり見られるのは気恥ずかしい。そっぽを向いて煙を吐き出すと、上田は立ち上がった。 「若頭なのに覚悟がないなんて、変なやつだ」  フッと笑う表情がやけにスッキリしていて、鮭延は思わず見とれてしまった。 「じゃあ、またな」 「あ、はい」  つい返事を返して、上田を見送る。 (またって、なんだ) 『また』の意味を考えあぐねて、唇を曲げる。ただ挨拶をしただけかもしれない。上田の考えは解らない。  解っているのは、支払いは上田が済ませたということだけだった。 (続きません…w)

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