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「おはよう」 大講義室の後ろの端、遙の隣に座った。 「おはよう」 「昨日、大丈夫だった?」 「……大丈夫だったよ」 「おお!仲良くなった?シノくんと」 「…シノくんは彼女おるって分かった。そのくらいには仲良くなった」 遙は頬杖をついた。唇が尖りまくってる… 「とおるちゃん、大事にせえよ。貴重だよ?男の人を好きになって、ほんで普通に恋人になれたとか、ほんと奇跡!」 「遙…」 「あーあーあー!やめてよ、そんな同情してくる感じ!大丈夫だし。なんだろうな、吹っ切れたよ。シノくんのこと知れたんじゃん。それだけでも俺よぉやったなあって思うし、褒めてるの、自分のこと。とおるちゃんも褒めて、俺のこと」 顔を覗き込んだ。 目、むちゃくちゃ潤んでる。瞬きしたらぽろって溢れ落ちそう。きれいすぎてちょっと固まってしまった。 涙が流れるたび、きらきら、宝石を溢れ落としてしまうみたいな…そんな、童話みたいなことを想像した。そんなことがあったら、その子はいつも酷い仕打ちを受けることになるだろうか? 指先で、遙の目元を拭うように触った。指は濡れた。髪をぐしゃぐしゃ触った。 「はは、それ撫でてるん?」 「撫でてるよ」 「ちょっと暴力的だなあ」 「そう?」 「ふふ、」 遙はくすくす笑った。 講義が始まって、話を聞きながら配られたレジュメをぺらぺら見て、メモして、集中してるんだかしてないんだか、遠くに見える先生をぼんやり見たりする。話も聞いてるんだか聞いてないんだか…… 後ろのドアがそっと開く音がして、振り返った。 シノくんだ、 メガネを掛けていて、大きなリュックを背負ってる。目が合った。 あ!って顔して小さく手を振りながら、僕の隣に座った。 「おはよう!寝坊しちゃった…コンタクト入れる余裕すらなかった、ボサボサだし……レジュメ見せて」 「シノくんも受けてたんだ、この講義」 「うん。いつも前の方で受けてるんだけどな…不覚だった…」 金髪が今日はくすんで見える。なんとなく寝癖がついてる気もするし。勝手なイメージだけど、シノくんらしくないって感じ。 そっと遙の方を見たら、髪の毛でよく見えないけど、すごい顰めっ面してそうな感じがする。 板挟み。 講義、全然頭に入ってこない。 ふわーっとチャイムが鳴って、終わった。 講義室からばーっと人が出て行く。 「とおるちゃん、俺先に行くわ。次、別々やし。また昼休み連絡する」 遙は僕の返事も聞かずに行ってしまった。 「………はるちゃん、怒ってた?」 「怒ってはなかったよ。吹っ切れたって言ってた」 「吹っ切れた…」 シノくんは唇をちいさく噛んだ。 「はるちゃんに嘘ついたんだよね」 「嘘?」 「昨日、ふたりで時間ギリギリまでいろんな話したんだ。学科も違うし、結構盛り上がったんだよ!はるちゃん、僕のことあんまり好きじゃないじゃん?だけど色々話してくれて」 ……ん? 「はるちゃん、こんなニコニコしながら話す人なんだなーって思った!へへ、ほんと嬉しかった。で、だいぶ仲良くなったかなって思ったから、聞いちゃったわけ、あの、油画の部屋の、はるちゃんの机にあった絵のこと」 「あー、」 「あの絵、僕のこと描いてくれたの?って。そしたらはるちゃん、すっごい、なんか、うわあーー!ってなって…違う、ごめんそんなつもりじゃなかった、って、気持ち悪いって、自分は気持ち悪いんだって」 相当取り乱したんだな… 「そんなことないよ!って、僕はそんなこと思わない、嬉しいって言ったんだ。けど……なんていうかな、………はるちゃん、謝りながら言うから…僕のことが好きだって、謝るんだよ?…ごめん、ごめんなさいって、……どうしていいか分からなくなって…僕、はるちゃんのこと好きだし、そう言ったんだよね…そしたら、フッて顔上げて、」 シノくんは、小さく息を吐いた。 「俺はシノくんをひとりじめしたい、そういう好きだ、って。でも違うでしょ?シノくんはそういうんじゃない。普通だろ?普通でいてほしい、って。普通……」 言葉がつっかえてる、 「普通ってなんだよ、って、思ったよ。だけど、言えなかった。ちょっと訳わかんないこと言うけど、はるちゃんは僕に『普通』であることを求めてるんだって思った。イメージ。服飾科の、なんかチャラチャラした奴。女の子が好きな『普通』の大学生。だから言ったよ、彼女いるって」 さっきより深いため息をついた。 「いやいや、いないし!!僕いないよ、彼女!!!あーーーー、嘘ついたあっ」 「……ちょっと言ってることが途中から謎なんだけど…遙も、シノくんも、なんかよく分かんないことになってんね…」 「そうだよ、よく分かんないことになっちゃったんだよ!どうしよう……このせいで僕、寝られなかったし。それで遅刻したし!」 「遙、シノくんのこと描いてたじゃん。なんかね、アイドルの写真とか買っちゃう感じって言ってたよ」 「え、なにそれ」 「尊い、っていうやつじゃない?」 「えー、よく分かんない」 「だから、シノくんと距離が縮んでバグったんだよ、きっと。仲良くなりたいけど、畏れ多い!みたいな?」 「えーーー?なにそれー」 「いやいや、ほんとにそうだって!前もさ、僕のおでこにゴープロつけろって言ってた」 「なんで?」 「ゴープロの映像を通してじゃないと、シノくんの顔見られないって」 「えーーー!?あはは、面白い」 「ね。でも、笑ったらバカにすんなって怒ってた!」 「わ、笑わないようにしなきゃね」 「いやいや、大丈夫と思うけどね」 「透、次の講義どこ?」 「次一コマ空いてる」 「まじで!僕も!えー、ちょっと話したい」 「うん、そうしよ」 「油画の部屋行っていい?」 「いいよ」 シノくんはメガネの位置を整えて、リュックを背負った。

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