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第32話[完]

「肇、おはよう」 「…………おー……」 次に目が覚めたら、湊の顔が一番に見えて、そう言えば一緒に寝たんだっけ、と思い出して肇はもぞもぞと布団に潜る。 「って言うかもう昼だけど」 「んー……」 まだ頭が働かない。もう少し寝たい。 「初詣、行くんでしょ?」 「んー……」 「肇、実は寝起き悪い? 純一たち待ちくたびれて、ここに来ちゃったけど」 「………………え?」 湊の言葉を理解できないまま、肇はむくりと起き上がった。頭がボーッとする。 そんな中、湊は近付いてきて唇にキスをくれた。 「可愛いなぁ、もう」 「ん……湊、いつ起きたんだ?」 肇は大きなあくびをする。だんだん意識が覚醒してきて、動けるようになってきた。 「二時間くらい前だよ。肇、寝相悪いんだね、何度か起こされた」 ニコニコと嬉しそうに言う湊。何故そこで嬉しそうに笑うんだ、と肇は疑問に思う。 「あー……悪ぃ」 動きが鈍い頭で謝ると、湊はいいよ、と上機嫌だ。 「何でそんなにニコニコしてんだ?」 「ん? 可愛いから」 笑顔でまっすぐ言われ、じわじわと顔が熱くなった。 「ね、純一たち来てるけど、もう動ける?」 「は? 何でアイツらがここ知ってるんだよ?」 「俺が教えたからね。肇、起きるの遅いから」 思えば至極当然なのだが、肇は慌ててベッドから降り、着替えてリビングに向かった。 案の定純一たちはリビングにいて、肇の姿を認めると、やっと起きたか、と純一が言う。司は本を読んでいた。 「二人とも、いつ来たんだ?」 「三十分くらい前だよー。なぁ、早く外出ようよ」 暑いからさぁ、と純一は言った。それもそうだ、純一は暖房の効いた部屋で、コートもマフラーも、手袋さえ着けたままなのだ。 「何で脱がないんだよ」 もっともなことを肇が言うと、純一は分かりやすく慌て始める。 「お、俺、初詣が、とっても楽しみで待ちきれなくて!」 それを聞いて、肇はなるほどね、と思った。 (脱がないんじゃなくて、脱げないんだな) だったら、と肇は急いで出掛ける準備をした。司の噛みグセの話を思い出し、彼を見るとどことなく満足気に見える。 すると、司が不意にこちらを見た。 「昨日は、何かいい事があったのか?」 いつも通り、真顔で聞かれて肇はカッと顔が熱くなる。 「べ、別にっ」 何で分かるんだ、と肇はカバンを肩に掛けた。準備できた、行くぞ、と歩き出すと、三人は付いてくる。 外に出たら思いのほか空気が冷たかった。司が人混みが苦手なので、この近くの小さな神社に行こうとなったのだ。 神社に着くと、さすがに無人ではなかったが、チラホラ人がいる。手と口を清め、作法に倣って手を合わせると、顔を上げたところで湊と目が合った。 「肇は、何をお願いしたの?」 「……そういうのは、自分が言ってから聞けよ」 肇はいつか湊に言われたセリフを言う。彼は耳を赤くして答えた。 「……来年も、肇と初詣、来れますようにって」 肇はそれを聞いて、全身が熱くなった。そして、自分と同じ事を願っていたと分かって嬉しくなる。 「肇は?」 境内の階段を降りながら、肇はボソッとお前と同じ、と答えた。 「ちょっと、ずるいよ? 恥ずかしい思いして言ったのに……」 「だって、本当にそう願ったんだからしょうがないだろっ」 「はいはいー、そこ、いちゃつかない」 純一にそう言われ、二人はハッとして黙る。彼は笑った。 「お前ら、意外とラブラブカップルだよな」 「俺らもラブラブだろう」 純一の隣で司が本を開いた。よく歩きながら本を読めるな、と感心する。 しかし純一は司を睨んで何も言わなかった。どうやら純一は、司に対して怒っているらしい。それもそうか、と肇は苦笑する。 「純一」 肇は純一を近くに呼んで、声を潜めて言った。 「傷跡を目立たなくする方法なら教えてやれるけど?」 「……っ、何でっ?」 知ってるんだ、と純一は小声で続けた。その顔が赤くなっていくので、どうやら図星らしい。 見せて、と言うと、純一は素直に手袋を片方外した。 わざわざ見える所に付けるんだよ、と彼は司をまた睨む。痛々しい歯型が、手だけでも数箇所あった。でも、コンシーラーだけで何とかなりそうだったので、帰りに肇の家に寄るように言う。 「司」 今度は司を呼んだ。 「純一が困ると知ってて何で噛むんだよ?」 司は読んでいた本を閉じると、目を伏せる。 「……感情が溢れてしまった時に、どうしようもなくなるんだ。純一は俺のものだと、どこかへ行ってしまわないように」 「そんな事しなくても、純一はお前のそばにいるだろ」 どうやら司は、意外と不安に思っていたようだ。落ち着いているように見えるだけで、感情が表に出ないのも困りものだな、と肇は思った。 「司……俺は累さんみたいな事はしないよ」 そこで純一が、二人にしか分からない会話をする。司は司で、過去に何かあったらしいことは分かるけれど、それは彼らの問題だ、放っておく事にする。 「肇ー」 大人しく会話が終わるまで待っていた湊に呼ばれた。 「ね、今度女の子の格好してデートしようよ」 「は? 嫌だね。何でイベントでもないのに女装しなきゃいけないんだ」 それを言うなら、湊もコスプレしてくれよ? と言うと、湊はそれは嫌だなぁ、と苦笑した。 そういえば以前、湊ならイケメンキャラのコスプレができると言った時に、曖昧に返事をした答えが、今なら聞ける気がする。 「前にコスプレ似合うぞって言った時に、考えとくよって言ってただろ? 本当の答えは何なんだ?」 肇が聞くと、湊はああ、あれね、と思い出したように話した。 「これ以上目立ちたくないし、肇の前限定ならしてもいいかなって。でも、あの時は肇の気持ちがまだ俺に向いてなかったでしょ?」 言うタイミングは自分で決める、と言ったのはそういう事だったのか、と肇は納得する。 「肇が女装してくれたら、虫除けになるのになぁ」 「俺にコスプレ趣味はあっても、女装趣味はねーぞ」 「残念」 湊は笑った。でも、湊の表情からして、割と本気で言っていたようだ。目立ちたくないと言うのは彼の本音だろう。 肇は湊を見上げた。冬の空気のように透き通った彼の存在は、肇の心を温かくさせた。 その彼が、また肇を見る。微笑んではいるけれど、真っ直ぐな瞳は肇の心を突き刺す。 「……好きだよ」 「…………さんきゅ」 肇は思わず手を繋ごうとして、止めた。触れそうで触れない位置でどうしようか迷っていると、湊の方から指を絡めてくる。彼を見ると、湊は真っ直ぐ前を見ていた。その耳が赤い。 ここは外だし、男同士だし良いのか? と聞くのは止めた。肇はぎゅっと湊の手を握ると、お互いにその手を離す。 「ふふっ……」 肇は笑う。昨晩あれだけ恥ずかしい事をしておいて、今更手を繋ぐのに照れるのが可笑しかった。 「笑わないでよ、もう……」 「悪ぃ」 「……あーもう……恋愛は惚れた方が負けって言うけど、本当だね」 肇には敵わないや、と湊は空を見上げる。 「何だそれ? じゃあ、対等でいられるよう俺も努力しなきゃだし、お前も言いたい事言えよ?」 「……」 湊は黙った。どうした? と言うと、湊は破顔する。 「あはは、ホントに肇って……っ、やっぱりそういう所好きだし敵わないや」 笑う湊に、肇は多分だけど、と思った。今まで湊に寄ってきた人達は、彼が何でもソツなくこなすので、彼を利用しようとしてきた人たちなのだろう、と思う。だから出会った時から、湊を対等に扱えば嬉しそうにしていたし、彼を色眼鏡で見ない純一を好きになったのだろうと。 (チートの癖に、めんどくさい……けど、オレも好きになっちゃったしなぁ) それがどうしようもなく愛おしいと思ってしまうから、肇も負けだと思う。 (ああもう、せいぜい嫌われないように努力しないとな……) 自分も、湊と同じような事を思っていたことは言わない。その代わり、湊を見つめて笑った。 湊も笑う。 この不器用な恋人を不安にさせないように、笑顔でいることは案外悪くないな、と肇は低く晴れた空に白い息を吐いた。

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