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逃亡
僕が謝ると不意に背中を押された。前に数歩進んで振り返ると、馬はじっと見つめていた。
その鼻で背中を押してきたようだ。
「この馬……名前は?」
優しい眼差しのその馬に手を伸ばすと、擦り寄ってきた。
「スレアです」
ガジューは声を震わせた。
「スレア……触らせてくれるんだ」
その艶のある頬、首を撫でると首で僕を自分の方へと引き寄せるが、馬小屋の木が邪魔でそれ以上は近づくことは叶わない。
「中に入ってもいいですか?」
「これ以上は近づかない方が……」
「いいぞ。俺が一緒ならスレアも暴れたりしない」
小屋の入口にはシャルールが立っていた。
「しゃ、シャルール様」
ガジューは慌てて膝を突こうとするが、シャルールがそれを手で制して、近づいて来た。
「スレアが懐くなんて珍しいこともあるな」
シャルールが木の柵を越えて中に入り、スレアの横に立つ。
「ディディエ来い。触りたいんだろう?」
手招きされ慌てて中に入った。スレアは僕の肩を押すようにして、その鼻で僕を身体の方へ引き寄せた。
「スレアもお前に触られたいようだ」
シャルールがスレアの背中を撫でる。それに習うように漆黒の毛並みを撫でる。
「うわぁ……気持ちいい……」
上質の毛並みは少し硬いが手触りはよく、手入れが行き届いていた。
「スレアが触らせるなんて珍しいですね」
ガジューは柵の向こうから苦笑いでこちらを見ている。
「スレアが気に入ったのなら、ディディエに世話をさせてもいいな」
シャルールはスレアに話しかけた。スレアはブルルと返事をするように声を上げた。
「ディディエどうだ?」
「僕が?」
「スレアも気に入っているようだし、お前がいいならスレアの馬番を頼む」
シャルールは赤い瞳を細めて愛しそうにスレアを見つめている。とても大事にしているようだ。
「僕ができることならさせてもらいます」
「今日のブラッシングは済んでいるが……ガジュー、ディディエにスレアの世話を教えてやってくれ。イグニスのサラエもディディエを気に入れば任せるように」
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