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愛育園

 『とある事件』とばかり何度も使っていても読者置いてきぼりなので、時を遡る。  遡ること5年前。  かぁごめかごめ。  蒼と直樹が育ったのは『愛育園』という名の児童養護施設だった。愛を育てる園と書いて愛育園。  創設者が偽善者なのか頭に花が咲いてるのか、愛を育てるなんて、何かしらの事情で親と離れている子供たちを預かって育てている場所にそのネーミングはなんだと高校生になった蒼は思った。母親と双子の兄と一緒に訪れた当時から、あそこを出る事になった15歳までは園の名前なんてなんとも思ってなかったが。母親に連れられてきた時は双子の兄と一緒だったのに、置いてかれたのはオレだけだった。  母親が自分心の支えにと、1人は側に置いておくため兄を選んだんだろう。気持ちは分からなくもないが置いてかれた方は堪ったもんじゃない。いつ迎えにきてくれるんだと、園の入口に座って母親と兄を待つ日々は続いた。  預けられた先の園内はもちろん豪華なわけはなかったが、最低限掃除はされていた。経営者は障害者雇用対策にひどく共感していた為、掃除や調理に関しては軽く障害をもった者たちが行っていた、というのは建前。  障害者なら普通より安く雇える、障害者雇用納付金制度を利用して助成金を頂こうというのが実際のところだろう。  住んでいた時は普通だった事が、あそこを出た今となっては考えさせられる。  壁の落書き近くに貼られていた『らくがききんし』という色褪せた張り紙。  脱衣場には『ふろは15ふん』との張り紙。風呂場には時計まで備え付けられていた。年下の者には文字や時間を覚えさせ、素早く風呂に入る方法まで教えたっけ。    染みが出来た部屋の壁。古くて軋む二段ベッド。懐かしいけれど思い出したくなくて、思い出すと吐き気を催す。  『トイレットペーパー30センチまで』なんてのもあった。今思い出すとくっそ笑える。何かと決まりごとはあったものの、事件が起こるまで、それが普通の生活だと思って、思わされて子供ながらに環境に馴染んで生活していた。  あの5年生の夏の日の夕方までは。

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