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悪い事の始まり

 待ってれば迎えに来てくれると思ってた。待ってるだけじゃダメだった。良い子にしてれば。人に親切にしてれば。年下の子達の面倒を見てれば。勉強頑張ってれば。運動も出来る子なら。明るくしてれば。困ってる人を助けてあげれば、きっと上から神様は見ててくれて、お母さんとお兄ちゃんが迎えに来てくれる。自分で勝手に作って信じてた決まり。  迎えに来てくれない…って不安になるたびに一つずつ増やしていった自分への決まり。  ほら、俺はこんなに良い子に育ってるよ?また三人で仲良く暮らそう?自分は明るく元気に賢く育ってるから、少し離れてた時間なんて埋められる。そう言い聞かせて、もうすぐ迎えに来てくれる。今日も良い子だった。良い行いをした。百点をとった。かけっこで一位だった。  毎日自分を誉めて、お母さんとお兄ちゃんが迎えに来るのに相応しい子供に育ってるから、きっと明日こそ来てくれる。ずっとずっと、そう思ってきた。    遠い記憶の中の三人は、狭い家の中で仲良く笑いあって幸せに暮らしてた。お母さんが楽しいと俺も楽しくって、お兄ちゃんが笑いころげると同じように俺も転がって笑いあった幸せな記憶。クリスマスケーキがショートケーキ一つだって、今年はサンタさん来ないんだって言われたって、お母さんとお兄ちゃんと居られれば幸せだったんだ。  なのに。良い子にしてても、5年生になってもまだ迎えに来てくれてない。良い子にしてたのに、変なお兄さんに嫌な目に合わされた。  神様なんて、いない。いても俺の事なんて見てないんだ。   もう待つのはやめよう。こんな目に合った俺は自慢の息子にはなれないし、自慢の弟にもなれない。  親切に道案内しようとしてたのに、急に公園の公衆トイレの方に引っ張られた。  急にトイレに行きたくなったのかな、それなら言ってくれればいいのに。俺近くで待つのにと思っていたら、個室に連れ込まれて閉まってる便座に座らされた。   お兄さんの手にはポケットから出した刃物。カッターよりは大きい、折り畳める形のだった。 「大人しくしてたら痛いことはしないから」 自分に向けられてる視線がさっきまでと違うと思った。なんか…汚い。  痛いことはしないと言いながらも、頬に刺さってくる刃物、プチっと皮膚が切れる音が怖くて、声を出したくても声を出したらこのナイフが自分の頬を突き破って口の中に入ってくるかもしれない。そう思うと、口からはカチカチと歯と歯がぶつかる音しか聞こえなくなった。  ナイフは頬から滑って首や肩を掠めたりしながら、お兄さんはカチャカチャとベルトのズボンを片手で不器用に外した。 「良い子にこれ舐めたら、これ以上痛い事はしないよ」 気持ち悪い猫なで声で言われた。ここで死なない為にはまた家族に会うには死ねない。その一心で俺のより大きくてなんだが赤黒いそれを舐めた。臭かった。臭くて臭くて吐き気もした。毛が口に入って、余計に嗚咽が出た。情けなくて悔しくて涙がぼとぼと溢れた。 「はぁ、、あいつには手が出せないからな。お前を見つけられてラッキーだった…はぁ、はぁ」 確かにそんな事を言っていたと思う。何だか分かんない、聞きたくなかった。  そのあと白い液体が飛んできてお兄さんは個室から出てった。俺はどうしたら良いか分からなくて、ただただ臭いまま、その便座に座り続けたんだ…。公衆トイレに明かりがついて、虫が寄っていく。もうこんな時間。夕飯諦めるしかないと言うより、気持ち悪いものが口の周りについてて食欲なんて湧かない。俺からもあんなの出るようになるのかな。気持ち悪い。  直樹が大人の人を連れてきてくれた時、助かったと思った。この事件が最悪で、これ以上に悪い事なんてないって思ってた。でもそれは、違ったんだ。これは悪い事の始まりだった。

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