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side もう一つの物語 ①
優しい夕陽に照らされながら少年は心を込めて子守唄を歌う。
傍らには少年の父親がいて、じっと地面を見つめている。
柔らかく澄んだ少年の声が紡ぐ子守唄は風に乗って辺りに流れる。
やがて、もっと聴きたいとでもいうように少年の足元の地面から芽が萌え出てきた。
「お粗末すぎるな。
目先のことにとらわれすぎて物事の本質を理解していない。
カルム、お前の頭は何のためについてるんだ。」
父親は静かに、だが容赦ない言葉を少年にかける。
少年───カルムは何も言えずに押し黙った。
「今日はもう晩飯にする。
そのみっともない面をなんとかしてから家に来い。
飯が不味くなる。」
父親はそう言い残し、後を振り返るでもなく家の中に入っていった。
カルムはどんどん熱を帯びていく眼を唇を血がにじむほど強く噛むことでやり過ごした。
これはカルムが自分で選んだ道だ、甘えが許されないのも当然のことだ。
当然のことなのだ。
カルムは擦り傷とマメだらけの自分の手を見つめた。
おおよそ5歳の少年の手とは思えないほど、皮が何回もむけ厚くなった傷だらけの手。
それは3歳の誕生日を迎えた日から今日までのたゆまぬ努力の勲章でもある。
───2年前の誕生日、カルムは父親に連れられて村の近くの祠に行った。
そこで知ったのは自分の一族に課せられた重大な使命。
戸惑うカルムに追い打ちをかけるように父親は選択を迫った。
『カルム、お前には選ぶ権利がある、だから俺のことは気にせずに自分の意思で決めろ。
どちらの道を選んでも俺はお前を祝福する。
オブライエンの姓と能力を継ぎ俺の後継者となる道か、オブライエンと離別しただのカルムとなる道か。
前者を選ぶならお前は俺の課す過酷な鍛錬の日々に耐えなければならない。
オブライエン一族の後継者候補として一人前に扱う、子ども扱いはしてやれない。
後者を選ぶならお前は持ってる能力を失い、この村から出て行くことになる。
俺とは会えなくなるが平穏な人生を送れるはずだ。
どちらの道を選ぶ?』
父と離れたくないカルムは即答した、前者の道を選ぶことを。
そこからカルムの過酷な鍛錬の日々が始まった───
首を振り、意識を萌え出た芽へと切り替える。
芽のままのそれは本来なら、茎を伸ばし蕾をつけ白い可憐な花を咲かせるはずだった。
息を一つ吐くとカルムは家とは反対の方向に歩を進めた。
数十分かけて村を見下ろす小高い丘の上に辿り着く。
そこはカルムにとって特別な場所だった。
鍛錬で失敗し落ち込んだとき、あまりの辛さに弱音を吐きたくなったとき、ここに来て見渡す村の景色が、見上げた空の美しさがカルムの心に前へ進む勇気をくれた。
いつものように木陰に腰を下ろそうとして、先客がいることに気づく。
艶やかな黒髪に夜空のような瞳をした美しい少年が静かに涙をこぼしながら薄い紫色に変わっていく空を見上げていた。
カルムは思わずその神秘的な光景に眼を奪われた、同時に自分がその光景を穢しているような気がして後ずさった。
不意に気配に気づいたのか少年がカルムの方を見た、その瞳は鋭く怒気を放っている。
謝らなければ……そう思い口を開いたのに、出てきた言葉は──
「僕の友達になってくれないか」
「は?」
少年は驚いたような呆れたような顔をし、胡乱げな瞳でカルムを見つめる。
「えっと、その……うん。君の目がとても綺麗だから、とても綺麗なのにとても悲しそうだったから、気になって、気になったらほっとけなかったから……ああ、そうか。君の笑顔をみたいから友達になりたいのか僕は」
落ち着いて考えを整理することに夢中になっていたカルムは自分が言葉に出しているのに気づいてなかった。
「……お前はバカだ。バカでアホだ。」
少年は深くため息を吐くと、また空へと視線を戻した。
カルムは少年から少し離れたところに腰を下ろす。
「ここから見る空はさ、僕の母さんがいる場所に一番近いんだ。」
怪訝そうに少年はカルムにちらりと視線をやる。
「僕の母さんは僕を産んですぐに死んだんだ。
だから、僕は母さんのことをよく知らない。
父さんも母さんのことはあまり話さないし。
そんな父さんがたった一つよく話してくれるのは母さんは空を見上げることが大好きだったってこと。
辛いときは空をご覧。
空はいつだってお前を見守ってくれているから。
空が青いのはお前の代わりに泣いているから。
空が赤くなるのはお前の代わりに怒っているから。
空が黒くなり星々が輝くのはお前の代わりに罪を飲み込んで許してくれたから。
ってよく空を見上げては言っていたって。」
「……なぜその話を俺にする?」
話を聞く内、少年は真剣な表情でカルムを見ていた。
「うーん、なんとなく。」
要領を得ない返事に少年は眉を寄せたが、そうかと呟く。
沈黙が二人の間に落ちるが、不快なものではなかった。
空は紫色に変わり、一番星が輝き始めた。
もっとこの少年と話をしていたいが、そろそろ戻らないと夕飯抜きになってしまう。
夕飯抜きの後の早朝の鍛錬は辛い。
カルムは重い腰を上げ、少年を振り返る。
「僕、そろそろ帰るよ。
じゃあね。えっと───」
「ソンジュ」
はっと顔を上げると、夜空色の瞳とかち合った。
思わず口元が緩みにやけ顔になる。
「何だよ、その気色悪い顔は。で、お前の名前は?」
「カルム!ソンジュ、俺の友達になってくれるの?」
期待と不安が入り交じった今にも泣きそうにもみえるカルムの表情に、ソンジュはうっと息を詰めた。
「…………はぁ。ああ、なるよ。だけ……っわ」
ソンジュの言葉は、抱きついてきたカルムに遮られた。
「ありがとう!
ありがとう、ソンジュ!
僕、今、人生で一番幸せ!!
ソンジュは僕の生まれて初めてできた友達だ!」
「はっ?お前友だちひとりもいないの
……じゃなくて、おい、離せ!暑苦しい!」
なかなか離そうとしないカルムを引っぺがすとソンジュは眉間の皺をもんだ。
「ソンジュはまたこのくらいの時間帯にここへ来る?」
「ああ。その時間帯が一番景色が綺麗だからな。」
「じゃあ、また会えるね!
……って、まずい、もう行かないと夕飯抜かれる!
また明日ね、ソンジュ!」
カルムはソンジュの返事を待たずに丘を駆け出した。
間に合うかどうかは本当にぎりぎりである。
だが、来たときとは反対に身も心も翼が生えたように軽やかだった。
ふと空を見上げれば、満点の星が輝いていた。
この夜の出来事を景色を生涯忘れないだろうとカルムは思った。
そしてソンジュとずっと友達でいれることを願った。
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