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side もう一つの物語 ③
まだ外が暗いうちからカルムは起き、素早く身支度をすると中庭に移動して夜明けまで鍛錬をする。
その後、井戸水で軽く体を清めてから豆のスープを作り黒パンと一緒に食卓に並べ、森の奥にある薬草園にいる父を呼びにいく。
カルムの家はラサ村の西にある森の中程にあった。
板ぶきの屋根に漆喰の壁の母屋とくすんだ色の倉庫や馬小屋は、薬草園とともに代々のオブライエンの守護者に受け継がれてきたものだ。
あおあおとした緑の波が朝露に濡れ銀色にきらめく中、熱心に薬草を摘んでいるであろう父の姿を探す。
それから、三十分後。
薬草園を隅々まで探しても父の姿はどこにもなかった。
カルムは不吉な予感におそわれ、心臓が激しく脈打つのを感じた。
急いで家に帰り母屋、馬小屋、倉庫、中庭とみてまわるが父の姿はない。
不安が大きくなっていく心とは反対に思考はこの状況を冷静に分析していく。
オブライエンの後継者候補として自分が今すべきことは───
カルムはカッと瞳を見開くと馬小屋に直行し、愛馬セイヤンに手綱のついた轡だけを噛ませると、小屋から引き出した。
そして外に出るやいなや鞍もない背に飛び乗り、漆黒の胴を「はっ!」と蹴る。
その瞬間セイヤンは、疾風のように森の細道を駆けだした。
静寂な緑の世界にかつかつと力強い蹄の音を響かせ、木々を瞬く間に後方へ流し去っていく。
「セイヤン、もっと速く!」
ピンと立った耳元に向けて願えば、セイヤンはぐん、と速度を増した。
あっという間に森を駆けぬけ、村に到着する。
すれ違う村人は凄まじい勢いで駆けていくカルムとセイヤンを驚きと不安が入り混じった表情で見送った。
村の中央にある村長の家の前まで着くと、カルムは荒い息をするセイヤンから降り立ち、扉を強くノックした。
すぐに扉は開かれたが、中からでてきた血色の悪いあばた面の大男をみて、カルムはひきつりそうになる顔をおさえた。
「朝から騒々しいと思ったら、崇高なるオブライエンのご子息様のお出ましか。今回は何を物乞いにきた?」
大男の視線も声も毒を含んでいる。
「おはようございます、オットーさん。
村長さんに至急お伝えしなければならないことがあり参りました。」
カルムは込みあげる思いを胸の奥に収めて、頭を下げた。
オットーはチッと舌打ちをするとカルムをしぶしぶ村長の部屋にとおした。
部屋の壁一面は様々な本がつまった本棚でおおわれている。
村長オッソは焦げ茶色の重厚な木の机を前に立っていた。
「カルム、ジョナサンはどうした?」
オッソは落ちくぼんだ目に鋭い光をたたえてカルムを見据えた。
「村長さん、急ぎお伝えしなければならないことがあります。
守護者ジョナサンの行方が昨日の『魔騒ぎ』の収束後からつかめません。」
オッソが大きく目を見開いた。
『魔騒ぎ』とは無の世界に引きつけられて祠周辺に瘴気が溜まり魔物が大量発生することである。
瘴気が溜まったところは黒いもやになるのでそれが収縮しだしたら、魔物が生まれるのが近いしるしだ。
少なくとも月に二、三回は起こるいまいましい現象。
「……詳しく話せ。」
カルムは息を大きく吸い、オッソに詳しい状況を説明する。
昨日の昼間、カルムは父といつものように祠がある森の巡回をしていて『魔騒ぎ』の前兆である黒いもやを見つけた。しかもそれは収縮を繰り返している。
魔物が生まれるのは近いと、見張りすることしばし。
もやの収縮はだんだん加速していき、そして百近くの塊に分裂した。
塊はアマローダとなり、夕方まで父とカルムの戦闘は続いた。
終了後は残って異変がないか調査する父と別れて丘に行き、ソンジュと夜遅くまで話した。
その後、いつもなら父が帰ってきている時間に家に戻るも父の姿はなかった。
そして朝を迎え今にいたる───
ときおり鋭い質問をしながらオッソはカルムの説明を静かにきいていた。
「アマローダか……。奴らは一匹では弱いが徒党を組むと悪知恵を働かせ手に負えなくなる厄介な中位の魔物。しかし、奴らが生み出されるほどの瘴気が溜まることはここ数十年来ほとんどなかった。」
オッソは唸った。
魔物は元々『無の世界』の生き物のため、この世界のものにはない瘴気を身に宿している。強い魔物ほどその瘴気も濃い。瘴気を大量にもしくは長時間受けたものは必ず
『魔当たり』になる。
『魔当たり』とは、瘴気が体の血肉を腐敗させることにより死にいたる現象である。受けた瘴気が濃いほど腐敗する速度も早い。
治すには清水を飲み、蝕まれたところにもふりかけるか、もしくは銀貨1~5枚を支払い、教会の神子に頼みお祓いしてもらうしかない。
だが、守護者とその一族は瘴気を浄化する破魔の力を身に宿しているため『魔当たり』になることはない。
このため『魔騒ぎ』は基本的に守護者たちだけで収束させるのが世の常であった。
人々は守護者たちを呪われた存在として蔑視するものと崇高なるものとして尊敬するものに分かれていた。
オッソは日頃から村を魔物たちや病から守ってくれる守護者でもあり調薬師でもあるジョナサンとその後継者のカルムに心からの敬意をはらっていた。
しかし、息子のオットーや一部の村人たちはジョナサン親子を憎しみや恐れといった感情から邪険にしていた。
ジョナサンの不在を万一にでも知られたら、そのものたちが皇都クルドゥにいるジョナサンの従兄弟で神子のジョージを守護者にしようと騒動を起こすことは目に見えていた。
「カルム、お前に祠周辺でのジョナサンの捜索を頼みたい。
わかっているとは思うが、村人の中には瘴気を異常に恐れるものたちも少なからずいて、そやつらは、祠は魔物の住み処だとうつつをぬかしておる。
愚かなことよ、祠に張られた結界の作用で『魔騒ぎ』を除きこの地に魔物が現れないというのに、瘴気は人から人には伝染しないというのに、それが身近にいてわからんとは。
そのせいでジョナサンからの『魔騒ぎ』の事後報告はいつも半日後に……。
すまん、話がそれた。
とにかく、村の衆にはお前が戻りしだい儂が状況を説明する。
無茶はするな、ジョナサンを見つけていようがいまいが夕暮れ前には戻れ」
オッソの言葉にカルムは厳粛な顔でうなづいた。
オッソの部屋から退出し、玄関に向かう途中でオットーとすれ違う。
「呪われた小僧」
忌々しそうに呟かれた言葉に反論しようと口を開きかけやめた。
今はこのちんけな男の相手をしている場合ではない。
カルムはオットーに会釈すると早歩きで家から出た。
セイヤンは扉から数メートル離れたところで待っていてくれた。
カルムはセイヤンにまたがると耳元に口を近づけた。
「セイヤン、祠まで全速力で頼む」
力強いいななきの後、セイヤンは矢のように村を駆けだした。
祠がある森は異様な静けさに包まれていた。
カルムはセイヤンの速度を落とし慎重に歩みを進める。
しばらく進むと開けた場所に出た───昨日、アマローダと交戦した場所だ。
違うのはアマローダの死体が跡形もなく消えていることと、血まみれの父が頭に黒く太い角を生やしブドウ酒色の二対の翼をもつ、体は人間に似た異形のものと戦っていることだ。
あれは魔物より邪悪なものだ、逃げろと本能が叫ぶがカルムはぬいつけられたように動けなかった。
異形のものの残忍な朱色の目と視線が合う。
狂気じみた声をあげ、異形のものが迫ってきた。
と、父の目に金色の光が燃えた。彼はカルムの前に身を投げ出し、地面に手をついた。瞬く間にオブライエンの紋様が地面に浮かび上がり、そこから巨木が生えてきた。
「ギエエ───!!」
異形のものは腹を木の枝に貫かれ、忌々しそうにこちらを見下ろしていた。
「カルム!!村へ行き、ジョージを呼んでくるよう伝えろ!!早く!!」
父の声をきき、カルムはようやく平静を取り戻した。
「わかっ───」
しかし、その言葉をきくことなく父は炎に包まれていた。
カルムは一瞬何が起こったかわからなかった。
「ギギ───!」
セイヤンの上から殴り倒され、カルムは異形のものが地に這いつくばった自分を面白そうに眺めているのに気づいた。
目が熱を帯びた、耐え難い灼熱を。
言葉を絶する痛みが目をおそう。
カルムは赤く染まった森をみたのを最後に意識を失った。
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