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side もう一つの物語 ④

何か得体の知れないものの意識の断片がカルムの精神を蝕んでいた。 恐怖や憎悪の感情が大渦となって襲いかかり、彼の思考力をふさいだ。毒蛇のようにのたうちまわる怒りと悲しみの叫び声がカルムの魂から力を奪っていく。 子どもの頃からの親友同士で殺し合わせた光景、愛情深い母親の前で子どもをなぶり殺した光景、罪のない夫婦を拷問し虐殺した光景───そんなおどろおどろしい記憶が波のように押し寄せてカルムを錯乱させた。 自分が子どもなのか大人なのか、善人なのか悪人なのか。守護者なのか魔物なのか?すべてが混沌としていた。 『変えてやる……俺がハッピーエンドに変えてやる』 突然響いたその声は、カルムの知らない声だった。しかし、その声は矢となって彼を苦しめていた毒蛇を撃ち抜いた。三歳の誕生日を迎えてからの出来事が洪水のようにカルムの心に溢れた。オブライエン一族の後継者候補として鍛錬に明け暮れた日々、ソンジュというかけがえのない友達と過ごす大切な薄紫の時間、辛いとき見上げた空の雄大な美しさ、丘から見渡すラサ村ののどかな心温まる風景。 今まで頑張ったこと、毎日失敗したこと、少しずつ成長したこと、人に優しくしたこと、時に悪いことしたこと。 そのどれもがあったからの今の自分になった。 カルム=オブライエン。植物と会話する能力を持つ、『無の世界』のものからラサ村の封印を守るもの。 「目覚めたか、カルム!」 カルムが目を開けると、顔をくしゃくしゃにしたアンヘルがベッドわきの椅子に腰掛けて、じっとこちらをのぞきこんでいた。 起き上がると、鈍い痛みが身体中に走った。 頭はくらくら、喉はカラカラ、まったくもって身体は疲弊していた。 「飲め」 アンヘルから銀色のゴブレットを受け取り琥珀色に輝く蜂蜜酒を喉に流し込むと、瞬く間にカッと身体が熱くなり活気づいていった。 僕はどうしてここにいるんだろう? 赤い森……異形のもの……炎に包まれた父…… 「父さん!!」 思わず叫んで立ち上がるも、身体から力が抜けてどっとベッドに倒れ込む。 「アンヘルさん、父さんはどこにいるの? 父さんは無事なの?異形のものに襲われて…… そうだ……セイヤンは?祠も無事なの?」 「落ち着け、カルム。お前さんは丸二日眠ってたんだ。話はスープを食べてからだ。」 アンヘルは暖炉の火にかけてある鍋から湯気の立つスープをひとすくい椀に注ぐと、スプーンをつけて差し出した。 カルムは素直にスープを受け取り、黙々とすすった。野菜たっぷりの優しい味わいのそれは身体にしみいった。 食べ終わると、すぐさまカルムは尋ねた。 「父さんはどこですか?」 アンヘルはすぐには答えず、パイプにタバコをつめ火口箱を使って火をつけると、二、三度ふかしてから、ようやく口を開いた。 「セイヤンは、奴は名馬だぞ、カルム。 俺が仕事をしていたらやけに表が騒がしくてな、ぶん殴ってやろうと扉を空けたら奴がいなないていたわけだ。これはおかしいと思って村長を訪ねてみればジョナサンが行方不明ときた。俺と信頼のおける数人で捜索隊を組み、セイヤンの案内の元、お前たちを発見したんだ。 奴には後で人参でもくれてやれ。 それと、祠は無事だ。周辺のありさまはひどいがな。 ……ジョナサンは奥の客間に寝ている。容態はあまりよくない。隣町の治療師が手を尽くして手当てしているが熱はいっこうに下がらないし傷口もふさがらない。」 「父さんのところにいっていいですか?」 「ああ、もちろんだとも。」 カルムはアンヘルの助けを借りず、痛む身体を無理やり動かして父が寝ている客間に移動した。 カルムは絶句した。そこにいたのは包帯人間だった。父の身体はあますことなく包帯で巻かれていて、部屋には薬草の匂いが漂っていった。 父の額に触れると、包帯越しでもそこは灼けるように熱を持っていた。 ぜえぜえと荒く呼吸をする父をカルムはただ見守るしかなかった。───こうなることも覚悟の内だった。そう、覚悟していたはずなのに…… ぽんと肩に手を置かれ、振り返ればアンヘルさんが傍に立っていた。よくよくみると、以前よりも顔はやせこけ、目の下にはクマができている。 この優しい人にこれ以上負担はかけたくない。 しかし、自分が今やらねばいけないことは─── 「……アンヘルさん、父さんを任せていいですか?僕は祠の被害状況を確認にして、村長さんに報告して来ます。」 「ああ。セイヤンは馬小屋につないであるからな。」 「ありがとうございます。では父をよろしくお願いします。」 カルムは深く一礼すると、振り返ることもせずに部屋を出て行った。 「……これ以上あの子に背負わすべきではない。だが……」 アンヘルは言いかけて緩く首をふるふるとふった。 「偉大なるディアルクスよ、どうか御身の御子に御加護を」 アンヘルはこの国の守護神に───この親子に血の宿命を負わせた神に静かに祈りを捧げた。

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