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side もう一つの物語⑤
セイヤンはカルムの姿を見ると嬉しそうにいなないて鼻面をカルムの額にくっつけた。
「お前だけでも無事で本当よかった」
カルムは小さく微笑むと、セイヤンを馬小屋の外に引き出し、よっと飛び乗った。
「もう少し頑張ってくれ、相棒」
パシッとセイヤンの首を軽く叩き、ゆっくり駆けさせる。
村にはしとしとと小雨が降っていた。不気味なほど静まりかえった村にパカパカとセイヤンの大地を蹴る音が力強く響く。
すれ違う村人は痛々しそうな、あるいはおどろおどろしそうな視線をカルムに向けた。
わななく唇をかみしめてセイヤンの手綱を握る手に力を込めた。
ちらりとカルムを振り返ったセイヤンの瞳は馬ながらもその気持ちわかるよという光をたたえていた。カルムは強張った手で愛しげにセイヤンの首筋を撫でた。
アンヘルの家から村長の家までは大した距離ではないが、痛む身体と突き刺さる村人の視線に耐えて移動したカルムはすっかりへとへとになっていた。セイヤンから滑り落ちるように降り、村長の家の扉をノックする。
「誰かと思ったら、呪われた小僧か。そんなよぼよぼの身体で家に来られるのは迷惑なんだがな、村長がお前を待ってる。いいか、用が終わったらとっとと家から出てけ。」
オットーはカルムの返事も聞かず、ペッとつばを床に吐き捨てると足取りも荒く中に戻っていく。腹を立てる気力もなく、カルムは遅れをとらないよう黙ってその後をついていった。
オッソは丁寧にかさをかぶせられた枝付きの飾り燭台をどこか遠くを見るような瞳で見つめていたが、カルムに気づくと為政者の顔になりどしっと重厚な木彫りの椅子に腰掛けた。
「カルム、お前が祠に向かってから起こったことを一つ残さず報告しろ。」
「はい、村長さん」
カルムは話した。アマローダと交戦した場所で父が異形のものと戦っていたこと。自分をかばい父が負傷したこと。そして自分の目に起こった変化。
「ジョナサンはジョージを呼べと私に言いつけました。」
「ジョージのところにはすでに使いの者を送った。
遅くとも明後日には村に到着するだろう。」
オッソは白い豊かなあごひげをなでつけるとひたとカルムを見据えた。
「危険を承知で頼みたい。カルム、もう一度、祠に向かってくれんか。いかんせん、黒く太い角を生やしたブドウ酒色の二対の翼をもつ、人間に似た魔物なんて聞いたことがない。新種の魔物かはたまた『無の民』か。どちらにせよ、その異形のものが本当にこの地を去ったか確かめる必要がある。」
「はい、私におまかせ下さい。」
オッソはうむと大きく頷くと、飾り燭台を振り返った。
「それと、お前の瞳に起こった変化についてだが……おそらく力が暴走したのだろう。
守護者と守護者候補の瞳にはその一族の紋様が刻まれていて、力を使うときは紋様が輝いて浮かび上がる。本来ならお前の瞳は、力を授けて下さったディアルクス様と同じ、金色に輝く。しかし、視界が赤く染まったということは力が暴走したほかにならない。それは非常に危険なことよ。お前はヘタすれば力に呑まれて死んでいた。自分を律しろ、カルム。お前はこのラサ村の守護者候補なのだ。」
「はい、肝に銘じます。」
オッソはコホンと咳払いをすると再びカルムに向き直った。
「ジョナサンは頑丈な男だ。希望をすてるでないぞ、カルム。」
「はい、村長さん」
カルムは声が震えそうになるのをかろうじておさえた。
「では祠の調査を頼む。くれぐれも無茶はするな」
オッソの言葉に厳粛な顔で頷き、カルムは部屋を退出した。
コツコツと廊下を歩くカルムの足音がいやに大きく響く。
「いやはや、卑しい裏切り者と結託なさるとはさすがオブライエンの血を引くご子息様だ。」
「何のことですか、オットーさん。」
カルムカルムが反応したことを好機ととらえたのか、オットーは血色の悪いあばた面にニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべて、カルムを見下ろした。
「おや、ご存じない。あなた様とつるんでる汚らしい髪をしたソンジュとかいうガキが三日前から、ジョナサンが行方不明になったときからそいつも行方不明になったことを」
「嘘だ!!ソンジュとは三日前の夜にも会って……」
「だからそれから行方不明なんだよ!頭の悪い呪われた血が!ふん、どうせ奴は流れ者だ。他のいい子見つけてお前を見捨てたか、それとも異形のものを祠に導いたのが奴で役目を終え村を出て行ったかだな。」
カルムは自分の目の奥にどす黒い炎が燃え上がるのを感じた。口を開けばオットーを射殺さんばかりに罵詈雑言が飛び出しただろう。
だが、ここで怒りを爆発させればオットーをそれこそ喜ばせることになる。
カルムは大きく息を吐くと、笑みを浮かべてオットーを見上げた。
「言いたいことがそれだけのようでしたら、私は失礼させてもらいます。」
オットーは顔をぐにゃりと歪めると乱暴にカルムを押しのけてオッソの部屋に入っていった。
ソンジュが行方不明。それは実感がわかない言葉だったがしこりのようにカルムの心の中に残った。アンヘルさんも村長さんもそんなことは一言も自分に言わなかった。
カルムはぴしゃりと両手で頬を打った。じんじんと伝わる痛みが麻痺しかけた思考を正常に戻していく。こんなところでぼけっとしてても仕方ない、祠を調査した後、本当にそうなのかアンヘルさんに問いただせねば。
早歩きで村長の家を出て、待っていてくれたセイヤンにまたがる。
「セイヤン、祠まで頼む。」
不安そうな鳴き声を上げたセイヤンをカルムは背中を撫でてなだめた。
どうしようもなく不安なのはカルムも一緒だ。しかし、守護者候補であるということが、その役目がカルムを奮い立たせた。
しぶしぶといった感じでセイヤンは走り出した。
雨はいつの間にかざあざあと桶をひっくり返したかのような激しいものになっていた。
こんなことなら、マントをもってくるべきだったな───カルムは仕方ないとポツリとつぶやくと早く調査を終わらせるべくセイヤンを一段と速く駆けさせた。
祠がある森に着いたカルムはしばし呆然とした。木々という木々が急成長を遂げ巨木の森となっていたのだ。木々のほとんどに引っかき傷や焼け焦げた跡があり、中にはぽっきりと真っ二つにへし折られたような木も何本かあった。
倒木で塞がった道もあり、カルムは雨の中遠回りして祠に向かわなければならなかった。
祠周辺の状況はひどかった。周囲の木々はなぎ倒され、父が生やした巨木は切り裂かれ、地面は深くえぐりとられていた。そして巨木の根元には大きな焼け焦げた跡もあった。
ズキリと痛んだ心を無視し、カルムは祠へ向かった。
祠は見たところ何も変わったところはない。
父が命懸けで守った祠───無事であってくれ
カルムは祠に一歩足を踏み出し───地面に呑み込まれた。
セイヤンの悲痛ないななきが森に響いた。
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