4 / 62

ひらいて、むすんで。 -sideF- 02

 十分ほどで到着した糸川の自宅は、十五階建てのマンションの七階で、1LDKの部屋だった。そこそこ広くて駅近なのでいい値段の家賃だと思われるが、そこは三島と同じ大手メーカーに勤めているだけあって、給料もいいのだろう。  糸川は玄関に上がると、いつもの習慣のように脱いだ靴を下駄箱にしまった。糸井は普段履きの靴は出しっぱなしにしておく派なので、神経質そうな糸川とは性格的に合わないかも、などと思いながら脱いだ靴をきちんと揃えた。  ちなみに三島は脱いだ靴がひっくり返っていても気にしそうにない性格だ。 「コートもらおうか」  入ったリビングも整然としていて、キョロキョロと見回していたら、自分のジャケットをハンガーラックに掛け終えた糸川が手を差し出してきた。スミマセンと恐縮しながら、糸井もコートを脱いで手渡す。糸川はそれをハンガーに掛けてくれる。そのスマートさが、とても落ち着かない。 「……あ」  ふと思い出したような糸川の声に、ビクッとして糸井は振り返った。 「ごめん、夕飯のこと考えてなかった。お腹すいてない? 途中で食べてくるか買ってくるかすれば良かったね」  一ミリも表情を変えないくせに言動は気遣いに溢れていて、警戒のしかたがわからずに糸井は心臓をドキドキと動悸させる。  優しい言葉をかけておいて、後で何をさせられるんだろう。嫌な想像しか浮かばない。 「いえ、出掛ける前に軽く食べてきたんで、大丈夫です」 「そう? まあ僕も昼に朝飯食って夕方に昼飯食ったんだけどね。朝弱くて」  うん? と糸井の頭に疑問符が浮かぶ。  それは随分とずれ込みすぎではないか? きちんとしてるんだかズボラなんだかよくわからない。 「……俺も昼前に朝昼兼用で食べました」 「糸井くんも朝弱いの? 気が合うね」 「……」  いえ、先ほど性格的に合わなそうだと思ったばかりなんですけど。  まあセフレの引き継ぎなんていう、どうせ三島から言い出したのだろう酔狂な案をのむくらいだから、変わり者なのは確かだろう。さほど構えなくてもいいのかもしれない。  しかしそうやって糸井が警戒心を緩めかけたところへ、 「じゃあ、シャワー使う?」  などと急に本題をぶっ込んでくるので、糸井は開きかけた心のシャッターを即座に閉め直した。 (シャワー使う、って。そういう流れですよね。早速そういう流れなんですよね)  わかっている。セフレだもの。それが目的っていうかそれしか目的のない関係だもの。ですよね。 「……いえ、大丈夫です。準備は済ませてあるんで」  伏し目がちな糸井の返事に、わずかに糸川は眉を上げる。 「そう。躾が行き届いてるね」  三島の指示で、準備万端で会いに来たと思われたのだろうかと、惨めな気持ちになりながら糸井は俯いた。  別に準備してこいなどと、三島が命じてきたことはない。準備していようがいまいが、三島の気分次第でいきなり突っ込まれることもあるので、血を見ることになりたくないがための自己防衛だ。  それも、痛むのが嫌だからではない。出血して続けられなくなったら、抱いてももらえずに帰されるから。それが怖かったから。 「おいで」  糸川に背中を押され、隣室へ促される。ドアを開けたそこは寝室で、セミダブルくらいの広めのベッドが鎮座していた。  それを目の当たりにして、急に糸井に実感が迫る。 「……するんですよね」  初めて、三島以外の人と。それも、今日初めて会った知らない男と。好きでもない相手と。  震えそうな声を漏らす糸井を、無造作にニットを脱いだ糸川が振り返る。 「そりゃ、セフレなんだから。するでしょ」  素っ気ない、当たり前のことのような返し。  当然だ。セフレなんだから。今日からこの人のセフレになったんだから。  頭では理解している。でもまだ心が追いつかない。  ……断れなかった。紹介した三島の顔に泥を塗るようなことはできなかった。これからも断れない。そんなことをしたら三島に迷惑がかかる。この人の方が飽きて、関係解消を求めてくるのを待つしかない。  泣きそうになって、半ば自棄のように糸井も自分のカーディガンのボタンを外す。  と、暗い寝室に間接照明を灯した糸井の腕が、突然ふわりと糸井を胸に抱き込んで、驚いた糸井は固まった。 (え……え!?)  抱きしめられていると脳が認識するのが遅れ、糸井の頬に触れてくちびるを寄せてくる糸川がキスをしようとしているということに気づくのにも遅れた。  すんでのところで、糸井は糸川の口元をてのひらで塞いで押し退ける。 「キ、キスなんかするの!? セフレ同士で!?」  慌てた糸井に加減もなく首ごと押し退けられた糸川は、やや不機嫌そうに糸井の手を外させて首をさすった。 「しないの?」 「み、三島さんは……そんなのしないって」 「そうなの? でもまさか初めてなわけでもないでしょ?」 「は……」 「……嘘でしょ? 七年も三島のセフレやってて?」 「……初めてです」  白状した糸井に、糸川は常に半分据わっていた目を見開いた。  その目に、さぞ滑稽に映っていることだろう。二十八にもなって、体は散々いいように使われておいて、キスはしたことがないなんて。  いよいよこれまでの人生が空しくなってきて、糸井は視線を落とした。その顎をきゅっと持ち上げて、糸川は顔を近づけてくる。 「糸井くんが嫌ならしない。でも僕はキスもセックスの一部だって考えてる。もったいないでしょ、口は第二の性器って言われてて、キスでも気持ちよくなれるのに」  メガネの奥の瞳に至近距離から見つめられて、糸井の心臓がドクンと鳴った。  第二の性器。言ってしまえば身も蓋もない。キスなんか性感帯を刺激する行為のひとつで、糸川にとってはアナル挿入と同列かそれ以下なのだろう。  生娘でもあるまいし、特別視する方がなんだか恥ずかしくなってきた。 「い……やじゃ、ないです」  答えた瞬間に、ちゅ、とくちづけられた。  糸井の背を抱きしめたまま、糸川はくちびるに、頬に、耳元にとキスを繰り返し、再びくちびるへ戻ってくると舌を入れてくる。 「……っ」  生温かくてぬるりとした感触に口内を触られて、糸井は息継ぎのタイミングがわからずに呼吸を乱した。  舌をからめられたり、上顎を舐められたりする度に、背中がぞくぞくする。脳内にぬるま湯が浸潤して、ひたひたになるような感覚。 (わ……やばい、これ)  頭がぼうっとしてきて、体の力が抜ける。  ふわっと揺らいだかと思うと、糸井はベッドに押し倒されていた。  くちづけられたまま薄目を開けると、こちらを見ていた糸川とバッチリ目が合ってしまって、恥ずかしくて慌てて目を瞑る。ていうかなんで目ぇ開けてんだよ、とまた余計に恥ずかしくなる。  ベッドにただ横たわってされるがままになっていたら、中途半端に脱ぎかけていたカーディガンを糸川が脱がしにかかってきた。  そういえば最中なのに、何もしないで寝てるなんて、何をやっているんだろう。三島相手なら、マグロは帰れと蹴り出されているところだ。  糸川のTシャツをたくし上げて、首から引き抜く。ベルトにも手をかけてズボンを寛げ、中に手を忍ばせるとそこはちゃんと反応していて、下着の上から指を這わせながら糸井は妙に安堵した。 「俺、口でしましょうか、これ」  随分と張りつめているから、溜まっているのかもしれない。一度抜いてあげた方がいいかと下着の中に手を入れようとしたら、その手を止められた。 「いいから、今日は寝ててくれない? 初回くらい主導権渡したくないんだけど」 「え、でも、何もしないんじゃ……」 「いい。むしろ何もしないで。腹立つから」  急に機嫌を損ねたらしい糸川の物言いに、びくっと糸井は体を竦ませた。  見上げた糸川は相変わらずの無表情だが、何か怒らせるようなことをしただろうか。三島の紹介で来た人に、粗相などあってはならない。言われる通り、糸井は糸川に触れるのをやめた。  服を全部脱がされて、糸川も全部脱いで、素肌を触れ合わせる。色々な手順が省略されまくって着衣のままの行為が通常となっていた昨今、裸体にじかに触れることさえ何年かぶりのことで、糸井はやたら緊張した。  乳首を押し潰すように舐められ、吸われ、ピンと立ち上がったところを甘噛みされる。そんな丁寧な前戯を受けるのも久方ぶりで、声が出そうになって糸井は自分の指を噛んだ。  糸川の手は糸井の肌を隈なく撫でて、下腹に至るとてのひらで緩く包み、先端へ向けて何度も扱き上げる。 「……っん、ぅ、っ」  一方的に与えられる不慣れな快感に、糸井の全身は熱を上げて過敏に震える。目を閉じてふうふうと荒い呼吸で耐えていると、不意に先端の丸みを濡れた柔らかさに包まれて、糸井は跳ね起きた。 「やっ、だ、だめ、何やって……!?」  先ほどと同様に額を押し退けられて、ちゅぽんと口から糸井の性器を放した糸川は不機嫌そうに眉を寄せる。 「ただのフェラだけど」 「そんなことしなくていいです!」 「なんで。糸井くんはするんでしょ?」 「俺は……するけど」 「じゃあ公平に。僕がしたくてするんだからいいじゃない」  そう言ってまた糸井の下腹に顔を伏せるものだから、体を起こしたまま糸川のフェラ姿に目が釘付けになりながら、糸井はもうパニックだった。 (なんで!? 普通そんなことしたいと思う!? 俺のことなんか気持ちよくしたって、糸川さん何の意味もなくない!?)  糸井の混乱の最中にも糸川は巧みな舌使いで糸井を追い上げ、実はされる側は初体験の糸井はいくらももたずに極まった。 「出ちゃう……は、離して」 「いいお、出ひて」 「だめ、ほんとに、お願いだから離し……あ」 「……」 「んー……!」  最後に強烈に吸引されて、堪えきれずに糸井は糸川の口内に射精してしまう。  それだけでも罪悪感と自己嫌悪で死にそうになったのに、顔を上げて口元を押さえた糸川の喉元から嚥下音が聞こえて、ひっ、と声を上げて糸井は真っ青になった。 「飲っ!? なんで、や、吐いて! 吐いて!」  糸川の肩を揺すって背中を叩くけれど、飲み下したものは出ては来ず、叩かれる痛みに糸川は眉を顰めるばかりだ。 「無理。もう飲んだ」 「いやー!! もうほんと、やめてください、やんなくていいですそんなこと!」  半泣きの糸井の訴えも、糸川はため息で一蹴する。 「……落ち着いて。いいからきみ、僕のやることにいちいち口出ししないでくれる? 萎える」  面倒くさそうに吐き捨てられた言葉に、糸井は言葉を飲み込んだ。  萎える。そう言われて三島に拒絶されたことが過去に何度かある。それが軽くトラウマになっている。  顔色をなくして黙った糸井の傷ついた表情に、気づいた糸川はすぐにその額にそっとくちづけた。 「ごめん、嘘だよ。全然萎えないよ」  ほら、と硬度を保ったままの糸川を握らされて、糸井は顔を赤らめる。何だろう、このデリカシー皆無のやり取り。 「今度は糸井くんの中で僕のこと気持ちよくしてね」  しらっとした顔でそう言うと、糸川はメガネを外してベッド横のチェストに置き、その引き出しからゴムとローションとバスタオルを取り出した。 (……あ、きれい)  輪郭を崩していた度のきつそうなメガネが取り去られて、改めて見た糸川の素顔に、糸井は率直にそう思った。  相変わらず愛想も素っ気もないけれど、くっきりとした二重瞼とか、細く通った鼻筋とか、なんというか造作が端正だ。 (すごくモテそうなのに、なんで俺のセフレになんか……)  疑問に思っていたら、ちゅ、とキスをされた。まだ慣れなくて、急にされると糸井はびっくりしてしまう。  そのままキスを深めながら、ベッドに敷いたバスタオルの上に横たえられた。その上で糸川はたっぷりとローションを手に取り、据わった目で糸井を見下ろしてくる。 「力抜いてて」  言われたことの意味がわかってしまって、糸井は一瞬緊張し、努力で体の力を抜いた。立てた膝の間に、糸川が体を入れてくる。  濡れた指がそっと後孔に触れてきて、反射的に糸井は目を瞑った。 「ん……っ」 「……ほんとに自分で準備してきたんだね」  指一本が容易く入ったことに、感心したように糸川が言う。指はすぐに二本に増やされた。 「でも次からはこんなことしてこなくていいから」 「え……」  ゆるゆると指を抜き差ししながら言う糸川を、意味がわからず糸井は見返した。 「でも、めんどくさくないですか」  問うと、糸川は少し乱暴に糸井の中を抉った。 「あ、うっ……」 「三島がどうだったか知らないけど、僕は挿れる前もちゃんと楽しみたい派なんだ」 「い、糸川さ……」 「あと、あんまりあいつと比べるようなことばっか言うな」  苛立ちをにじませて、糸川の指が中のポイントを的確に刺激してくる。息を飲んで体を震わせ、糸井はかぶりを振った。 「あ、ん、んん、……」  さっき達して萎えていたものも、また腹の上に反り返っている。緩急をつけた内側からの追い上げに、たまらなくなって糸井は糸川の指を締めつけた。  内側がどうしようもなく疼く。早く糸川自身を埋め込んでほしくてたまらない。  だけどそんな欲求は言葉に出せない糸井の心情を汲んだように、糸川は中を探っていた指を抜き出して、手早くゴムを装着した。  ひたりと、先端が窪みに押し当てられる。 「挿れていい?」  この期に及んで何を訊くのかと、顔を背けてぎゅっと目を瞑ったまま、糸井は何度も頷いた。 「……ぅ、あ、あぁ……」  焦らすような速度で、糸川が中に入ってくる。自分で準備はしてきたし、糸川が指で馴らしてもくれたけれど、それでも圧迫感はその比ではなくて、支配されていく感覚に胃の底が重く捩れる。受け入れている襞も、これ以上は無理というほど押し拡げられている。  そんなときに、なぜかふと我に返った。  ――自分の中に他人がいる。俺はこの人を好きでもないのに。  さっき振り切ったはずの思いに再び囚われて、また泣きそうになった瞬間、すべて埋め込んだ糸川が、ぎゅっと糸井を抱きしめてきた。 (え……)  耳元で、糸川が深く息をつく。動きたい欲求を逃がすかのように。  糸川の首が早い脈を刻んでいるのも聞こえる。なのに糸川は動かない。  もう一度息をついて、糸川が顔を上げた。そして汗の浮いた糸井の額に張りついた前髪を、指先ですくってくれる。 「……大丈夫? 痛くない?」  気遣わしげな声。穏やかな眼差し。口元には、初めて見る優しい笑みが浮かんでいた。 「大丈夫、です」  答えながら、ぶわっと耳まで赤くなった自覚があった。同時に、脳内麻薬的なものが大量分泌されたのも。 (あぁ……これはまじでやばい。わかんないけど、たぶん、なんか……)  奥まで入っていたものが、ずるっ、とギリギリまで抜き出され、踵が浮くほどの快感に目の前が発光する。 「動くけど……痛かったら止めて」  ぐちゅ、とローションの水音とともに奥まで差し入れられて、思わず糸井は逃げるようにずり上がった。 「ぅ、う……」  シーツを握りしめ、口元に引き寄せてそれを噛む。そうでもしないと妙な声が止まらなくなりそうだった。 「……糸井くん」  低く呼ばれ、シーツを握った手を開かされて、指を絡めて繋がれる。瞳を覗き込まれ、恥ずかしくて瞼を閉じるとキスをされた。 「ん……だめ、糸川さん……」  糸川が屈んだ拍子に結合が深まって、いいところを抉られて糸井は身を捩る。 「……痛い?」 「い、痛くない……なんか、おかしくなりそう……」 「それは、願ったりだね」  ふふっと笑って、糸川は体を起こして糸井の脚を腕に抱えた。  再度両手を繋ぎ直して、糸川はもう一段深くまで突き上げてくる。その度、呼吸が乱れて荒れていくのが止められない。  緩やかな速さで何度も何度も強い性感を生む場所に腰を突き当てられて、薄暗い室内のはずなのに目の前が何度か白飛びした。  喫水線をぎりぎり超えない弱い絶頂感に長く留め置かれる。無理、と何度か訴えたけれど糸川は動きを止めず、摩擦刺激に限界を迎えた意識がふわっと浮いた。 「――ん、んーっ……!」  ぎゅうっと、繋いだ両手を握り締める。下腹の筋肉が張りつめて、ビュクッ、と糸井の胸に白濁が散った。続けて間歇的に、何度も。 「……っ、中だけでイケるんだね……ほんとによく躾けられてるなぁ」  射精時の締めつけをやり過ごしたらしい糸川は、眉を寄せて、荒い息で弛緩していく糸井の頬を指の背でさらりと撫でる。  その呼吸が落ち着くのを見計らって、糸川は糸井の両手首をぐいっと引っ張り、あぐらの膝に抱え上げた。 「あぁっ!?」 「ほら、僕まだイってないから。糸井くんの番だよ」  深々と差し入れられたまま、対面座位の態勢で糸川に見上げられて、半泣きで糸井は糸川の肩に縋った。 「む、むりぃ、動けない……」 「そんなことないよ、腰動いてる。頑張れ」 「あ、あ、あ」  下から緩く突かれて、膝立ちの腰が揺らめいてしまう。  もう、さっきから気持ちよすぎて、体の中が液状化しそうなほどとろけそうで、本当に頭がどうにかなってしまいそうだ。 「いとかぁ、さん……」  首に抱きついてキスをせがんだら、糸川は受け入れてくれた。  糸井は半分意識朦朧の状態で糸川の上で揺れながら、途中まであれだけ胸を占めていた後ろめたさや惨めな気持ちが、不思議なほどに薄れているのを感じていた。  なのにどうしてだか、泣きたくなった。

ともだちにシェアしよう!