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ひらいて、むすんで。 -sideS- 01

「なあ、おまえセフレいらない?」  会社の休憩室でコーヒー片手に、「お菓子いらない?」くらいのノリで訊いた三島に、糸川は侮蔑を込めた視線を向けた。 「いらないです」 「そっかー」  スマホを操作しながら、糸川の氷点下の視線を気にする様子もなく、三島はコーヒーをすする。  室内には二人しかいないとはいえ、会社でそういう話題を軽々しく振ってくる三島のことが、糸川は心底気に食わなかった。 「俺はおまえのそういう無神経なところが本当に嫌だ……」  普段は誰とも丁寧な言葉遣いで対話する糸川だが、三島に対してだけは嫌悪感をむき出しにして粗雑に接することにしている。こんなに人として尊敬できない相手もなかなかいないと、ある意味糸川は三島を特別枠に置いていた。 「冷たいなぁ糸川は。俺はこんなに愛してるのに」 「いらない。もっといらない」  過去はともかく今はタチだと何度も言っているのに尻を狙ってくる三島を、げんなりと糸川はあしらう。  会社の同期で互いの性指向を知り合う仲でさえなければ、糸川としては三島など縁を繋いでおきたくない相手だ。  軽薄で調子が良くて出世欲の強さを隠そうともしない三島は、糸川とはまるで正反対で、普通なら仕事以外では一切絡まないタイプ。なのにこんなプライベートな会話をするようになったのは、たまたま立ち寄った馴染みのゲイバーでばったり鉢合わせしてしまったのがきっかけだった。  口止めのためにやむなく接触したのが運の尽き、糸川はやたら三島に懐かれて、月に一度は口説かれている。応じる気はないし、一方の三島もなんだかんだで口先だけだ。  その三島が、スマホの画面に目を落としたまま何やら考え込んでいる。 「おまえがいらないなら、じゃあ糸井はもう単純にリリースだな……」  基本的に三島の話はまともに聞く気のない糸川だが、三島がその名を呟いた瞬間、「待て待て待て」と肩を掴んで引いた。 「なんだ、セフレってのは糸井くんの話なのか」 「あぁうん、そうそう」 「それを早く言おう三島くん。是非お話を伺いたいな」 「……おまえほんとに糸井好きなー」  糸井の名を聞いたとたんに態度を翻した糸川に、三島は呆れて嘆息した。  現金な自覚はある。糸井のことになれば糸川はある程度の要求は飲めると思っている。どうしてもと言うなら、三島と一晩枕を交わすくらいは考えてもいい程度に。  実は糸川は、以前から糸井のことが大好きだ。  三島が自慢半分にセフレたちの写真を見せびらかしてきたときに、その中の糸井に一目惚れして、それ以来かれこれ一年くらい三島に紹介してほしいと頼み続けている。もう本当に見た目がドストライクだったのだ。  しかし三島は、呼べばまず断らない糸井は都合の良さという点で手放したがらず、知り合いと穴の共有は嫌だと言って頑なに紹介を拒んでいた。  糸川だって三島と糸井を共有する気などなく、こちらへ譲って即手を引けと口酸っぱく言っているのだが、結局この話は今日まで平行線になっている。  その三島が糸井のリリース云々を検討しているらしい。これは話を聞かずにいられようか。 「実は、内示があったんだよ。香港支社行き」  誇らしげに、三島はまだ他言無用のはずの人事情報をこともなげに喋る。 「そうか、それはおめでとう。栄転だな。いつから?」 「四月初め。まあ最短でも一年は行くことになるだろうから、身辺整理を考えててな」 「ほう」 「で、まあ糸井は今でもそんな会う頻度高くないし、この際だから切ろうと思ってて」  そう言った三島に、複雑な心境で糸川は眉を寄せた。 「……言い方は大いに問題があると思うが、糸井くんを手放す気になったことは素直に歓迎する。紹介してくれるのか?」 「そう言うと思った。だから、おまえがいるんなら糸井のセフレ引き継ごうと思って声かけたんだ」  俺って親切だろ、と言わんばかりの笑顔で三島が言うのに、うん? と糸川は頭を傾けた。 「何て言った? セフレの、引き継ぎ?」 「うん、そお」  無邪気に頷く三島に、思わず糸川の右拳が固まる。 「バカなのか? 知ってたけどおまえバカなんだな? 業務の話じゃないんだぞ? どこの世界にセフレを引き継ぐ奴がいるんだ? 目ぇ開けたまま寝てるんだったら殴ってやろうか? 顔の形変えてやるから遠慮するな」 「あぁ、その流れるような罵倒が快感」 「よし一度禿げて死のう三島」 「おまえさぁ、ちょっと俺にだけ態度ひどくねえ? お友達には優しくしなさいってお母さんに教わらなかったか?」 「うん。我が家は躾に関しては厳しい方だったが、意思疎通不能な人外にまで優しく接しろとは言われていない。おまえは早く自分の星に帰って郷の者と交流するといい。……そうじゃないんだよ三島わかれ。俺は糸井くんとおつき合いがしたいの! セフレになんかなりたくないの!」 「いやー、糸川。それは難しいと思うよ?」  しかつめらしい顔を作って、三島は腕組みをした片手で顎をつまむ。  こういうところがほんとに不快、と糸川は内心で三島の顔面に向けて固めた拳を振り下ろした。 「なぜなら、糸井は根がものすごく真面目だ。そしてあいつは俺のことが大好きだ」 「そうか今すぐ星へ帰れ」 「好きだからセフレの立場も甘んじて受け入れてるんだよあいつは。本来はそんな関係やれるキャラじゃない。そんな奴が俺に切られて、それなら次は糸川と、ってことにはまずならんぜ。おまえが告白したところで、まだ他に好きな人がいて、っつって振られるのがオチだ。そっから粘って口説き落としたとして、ヤれるまでまあ五年はかかるな」 「……五年」 「いやまじで。冗談抜きによ」  大学時代からのつき合いで、糸井の性格を理解している三島の見積もりは恐らく信頼のおける数字で、糸川は軽く絶望した。  ここ一年、紹介もしてもらえない片想い期間だけでもかなり焦れていたのに、会えてなおこの先五年も触れられないとは。その間に悟りを開けてしまいそうだ。  三島の快楽主義を批判する理性派の糸川ではあるが、さすがにそれはたぶん挫ける。 「その点、俺からの引き継ぎだってことなら、まず糸井は断らないだろうし。いい歳こいた大人なんだから、身体から入って、あとから距離詰めてくんでもいいんじゃねえの? まあ俺的にはあいつとはセフレくらいがちょうどいい距離感で、恋愛なんかにしたってろくなことにはならないと思うけどな」  悪い顔で唆しながら、三島は糸川の肩に腕を回した。 「……ちなみにあいつ、ばっちり開発済みだから、アッチの具合は最高ヨ」  耳元で吹き込まれて、糸川の中で何かがぷつんと音を立てて切れる。 (ああ……ちくしょう、理性派返上だ。三島のクソな入れ知恵に乗っかるなんて、癪に障る……!)  糸川の中の常識は抗うけれど、糸川もまだ三十前の健康な成人男性なので、一度脳裏に浮かんでしまった糸井のピンクな想像はそう簡単に消えてくれない。  セフレじゃなくおつき合いがしたいのは本心だが、おつき合いの延長には性的な接触があるものと糸川も思っていて、ではやはりそれも立派な目的のひとつではないのかと、無理のある論理展開で自分を納得させた。 「……近々、セッティングして」  ものすごい敗北感とともに、糸川は肩を落としながら三島に頼んだ。 「オッケーイ。月末の土曜の夜とか空いてる? 俺からのていで呼んどくわ」  至って軽く三島は請け合って、「よし一人片付いた」などと一人ごちている。とんでもない人でなしだ。  そしてふと、糸川は糸井の気持ちに思いを馳せた。  三島の言っていたことが本当なら、糸井は三島が好きで、だけど三島は糸井とつき合う気がなくて、傍にいるにはセフレになるしかなかったがために望まない関係を続けていたことになる。  つまり糸井はそれほどに三島が好きで、なのにこの月末には、糸井は三島から関係を切られるのだ。  何がいいのか知らないが、こんな奴とは早く切れた方がいいとは心から思う。しかし人の気持ちのことだから、そう単純でもないのもわかっている。 (……そうか。糸井くんは失恋してしまうんだ)  相手が実際どんな人間でも、つらくない失恋はないだろう。糸川が楽しみにしているその日は、きっと糸井が傷つく日になる。  そう考えると、やるせなさに糸川の胸はしめつけられた。 「……なあ。なんで三島は糸井くんとちゃんとつき合ってあげなかったんだ?」  あれだけかわいい子にそれほど深く好かれたなら、普通に恋人関係になればいいのにと思う糸川に、三島は腑抜けた顔を向ける。 「ねぇわ、糸井は。全然好みじゃねえもん。見た目はともかく、中身がなぁ……」  三島は思わせぶりに言葉を切って、ふと眉を寄せた。中身がなんだというのかと、関心を引かれたところで、けれど三島はまた憎たらしい顔で笑う。 「要するにツマンネんだな」  へっ、と鼻で笑った態度に殺意がわいて、糸川はいつか折を見て三島を殴ろうと決意した。

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