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ひらいて、むすんで。 -sideS- 02

 約束の土曜の夕方。先に三島と合流した糸川は、改札近くで糸井を待つことにした。 (はあ……どうしよう、緊張する)  ジャケットの襟元を何度も触りながら、糸川は腕時計を覗く。待ち合わせの時間まであと五分ほどだ。 「おまえ、緊張してるだろ」  へらっと笑う三島に図星をさされて、糸川は憮然と眉を寄せた。 「なんで」 「だってすげえ無表情。おまえ緊張してると顔面固まるよね」 「え、そうか?」 「リラックスリラックス~」 「うるさいな」  そんな話をしていたら、三島がやにわに首を伸ばして片手を挙げる。糸川が振り返ると、写真でしか見たことのなかった糸井の実体が、少し離れて遠慮がちに立っていた。 「おう、糸井。来たか」 「あ、はい……お疲れ様です」  愛想笑いを浮かべた糸井が、状況をわかっていない顔で糸川にもちらりと視線を寄越して会釈する。それに会釈を返しながら、糸川の心拍は一気に倍増していた。 (実物の破壊力!)  写真では幼い印象だったからもっと小柄なのかと思っていたら、一七七センチある糸川とさほど変わらない背丈で、細身の体はすらっと姿勢が良くてスタイルがいい。  頭が小さくて小顔で色が白くて、目鼻立ちがぱっちりしていて、少し前髪の長い髪はサラサラで、ドストライクだと思っていた見た目は糸川の想像の上を行っていた。 (なんだこのかわいい生物は!?)  メガネをかけ直す振りで糸井をガン見していたら、「よし行くか」と三島が歩き出す。糸井は戸惑った様子で糸川をもう一度見て、三島の後ろを歩き始めた。  その後ろを歩く糸川は糸井の後頭部のきれいな丸みを眺め、いつまででも見ていられるなどと思っていたが、三島は駅からすぐのカフェに入り、奥まった席についた。  三人ともコーヒーを頼み、メニューをしまう。そのタイミングで、糸井が遠慮がちに声をあげた。 「あの……今日は……?」  当惑した表情の糸井は三島の顔をひどく不安そうに窺っている。  その糸井の不安など意に介さない様子で、三島はからっと笑った。 「実は俺さ、四月から海外赴任が決まったんだ」  告げられた糸井は一瞬言葉に詰まり、目を丸くする。 「ずっと狙ってたんだ。帰ってきたら管理職確定だからな。同期ん中じゃ出世一番手なんだよ俺」 「そ、うなんだ、よかったね三島さん。おめでとう」 「ははは、サンキュー」  動揺がありありの糸井に、なんのフォローも入れずに誇る三島の神経は理解不能で、糸川は店員が持ってきたコーヒーを無言で口に運んだ。  懸命に言葉を選んでいる様子の糸井に、三島は配慮を見せるそぶりもなくテーブルに肘をつく。 「まあ、なんだかんだおまえとは長かったけどな。ちょうどいい機会だし、セフレももう、ここらで終わりだろ」 「え」  糸川が何者なのかも説明してやらないまま、三島はさっさと用件を告げた。前触れもない別れの宣告に、糸井は短く声を発して紙みたいな顔色になる。  なんて残酷なんだろう。三島は糸井が自分を好きだと知っていて、こんなあっさりした切り方をするのだ。  でも、と糸川は少し考える。  三島への気持ちがあるからこそ、中途半端な優しさで未練を残させてしまう方が残酷だと、もしかしたら三島も考えてのことなのだろうか。  三島の意図は不明だが、糸井の中の三島への気持ちなど、跡形もなく木っ端微塵になってしまえばいいと、糸川の中にも残酷な思いが湧く。  三島が糸井と糸川の顔繋ぎをしている間、糸井は蒼白した顔で、視線をさまよわせていた。糸川が紹介を受けて頭を下げたときにだけ愛想笑いを浮かべて見せたが、心ここに在らずといった様子だった。  傷ついてるだろうな。好きな人から、こんな一方的に、しかも他の男へ丸投げする形で切り捨てられるのだから。  ごめんね、と糸川は内心で謝った。その三島の片棒を糸川は担いでいる。 「じゃあな、あとは二人でごゆっくり!」  用は済んだとばかりに、三島はコーヒーを飲み上げ、伝票を取り上げてさっさと店を出ていく。  茫然自失のまま取り残された糸井は、膝上に両拳を揃えてテーブルを見つめたまま、微動だにしない。 「……糸井くん、大丈夫?」  いつまでも動かない糸井がさすがに心配で声をかけると、一瞬糸井は弾かれたように顔を上げ、ぽろりと涙を落としてまた俯いた。  拭われることのない涙が、白い頬を濡らしてぽろぽろとこぼれ落ちていく。 (か、かわいい……!)  その泣き顔にすら胸がときめいてしまって、糸川は自分の最低さを自覚した。好きな子を泣かせてその泣き顔にときめくなんて、今時小学生男子でも許されないだろう。  せめてとタオルハンカチを差し出して、糸井の涙が止まるのを待つ。けれどその間にも、糸川は胸の高揚を止められずにいた。  傷ついた糸井を、早く慰めてあげたい。抱きしめてキスをして、三島なんて早く忘れてしまえと言ってやりたい。  けれど糸川は優しい言葉も口説き文句もまったく得手ではなく、不器用に部屋に誘うのがやっとだった。  連れ込んだ寝室で繋げた糸井の身体は、控えめに言って最高だった。  長年三島のセフレをやっていて、しかも二十八にもなってキスはしたことがないとか奉仕される側は慣れていないとか、冗談みたいな清廉さがある一方で、熟れた後孔は簡単に糸川を咥え込んで絡みついた。 「いとかぁ、さん……」  とろとろに溶けた顔で舌足らずに名を呼んで、糸川の上で腰を揺らしながらキスをねだってきたときなど、あまりのエロさに鼻血を噴くかと思った。  清楚な顔をして実は高感度な身体は馴れていて、それでいていちいち初心な反応で顔を赤らめるなんて、どんな反則だと思う。達する瞬間、助けを求めるようにしがみついてきた糸井の腕に、糸川はたまらなくなった。  ことあるごとに、糸井は糸川と三島を比べては、その違いに戸惑った様子を見せる。  好きな人になら、優しくされたい、抱きしめられたい、キスもされたいと、願って当然だろう。それをこれまで(ことごと)く与えられてこなかったことが知れて、そんなふうに糸井を扱った三島には怒りばかりが募る。あの男は今生を全うした暁には地獄へ落ちるといい。  本当に、何が良くて三島と七年も関係を続けていたのか、そこだけはまったく理解しがたい。糸井を悪くは言いたくないが、男を見る目は皆無だと思う。  そんなに初めての男は偉いのか。あの糸井を粗雑に扱ってなお愛されることが許されるのか。不合理としか言いようがない。  粗末にされることに慣れすぎて、それを普通だと思っている節がある糸井を、どろどろに甘やかしてやりたい。冷凍庫の中を覗いたときに見せたような屈託のない笑みを、あの顔に浮かばせてやりたい。  優しくされてどうしていいかわからないような顔になる糸井は、糸川をどうしようもなく切なくさせる。  たぶんまだ、糸井の中には三島への気持ちが残っていて、糸川のことなどただのセフレとしか思っていないだろう。  幸いにして、糸井に会えるのはこれで最後ではない。心底癪に障るが、三島が引き継いでくれたお陰で、糸川はこれからも糸井に会う口実を得られている。  これから、少しずつ。いきなりゼロ距離で始まってしまった体に、心の距離が追いつけるように。 (僕に、頑張らせてね、糸井くん)  同じベッドで隣に眠る糸井の寝顔を、糸川は眺める。実年齢よりいくつか下に見えるその寝顔は、そこにあるだけで眼福だ。  もうすぐ日曜の九時を回るが、糸井はまだ安らかに寝息を立てている。それを起こさないように、キスは我慢して、糸川は再び布団に潜り込んだ。  予定のない日曜の朝に、二人で惰眠を貪る幸せを、まずは糸井に教えるために。 <END>

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