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なんでですか 糸川さん 02
堅苦しいスラックスを早く脱いでしまいたいからと、いつもは糸井に風呂を譲る糸川が今日は先に風呂を使った。出てきた糸川はいつも通りの無造作ヘアに部屋着姿で、見慣れなさへの糸井の緊張はようやく解消する。
入れ替わりでシャワーを浴びながら、糸井は自分の後孔に手を伸ばした。
「……っ」
この身支度自体は作業みたいなものだ。内側を清めることと、糸川を受け入れやすくするため。他人に抱かれる前の最低限のマナー。
そう割りきっていても、奥が疼いてしまう自分の身の浅ましさに糸井は恥じ入った。
正直なところ、糸川とのセックスは気持ちいい。なんというか、ただただ気持ちいい。
回数を重ねているが、これまで一度たりとも、糸井は苦痛を感じたことがない。技術的に巧いのも確かだが、糸川はとにかく丁寧で、優しくて、糸井の身体をとても気遣ってくれる。痛くないかと、何度も確認してくれる。
糸川は絶対に痛いことはしない、という信頼が生まれると、糸井の身体は糸川の前で無防備にほどけて、与えられる快感に敏感になる。キスひとつにさえ、震えるほど感じてしまう。
そういう経験が、糸井は初めてだった。
三島のことを糸井は好きだったし、彼のしたがることは何でも受け入れたかったけれど、三島は糸井に対してさほどまめな振る舞いはしなかった。それに、好奇心からか、苛虐的なプレイを糸井に求めることが多かった。
別に三島がそれを強いたわけではない。やっていいかと確認され、それを糸井が拒まなかった結果だ。拒めば三島も無理矢理やったりはしなかっただろう。その代わり、二度と呼んでもらえなかったかもしれないが。
そんなわけで、以前の糸井にとってセックスは、半分くらいは痛みを伴う行為だった。少し怖くて、緊張して、覚悟が必要だった。
それに引き換え、糸川には安心して身を委ねられる。最初こそ構えるところがあったけれど、今は糸川に対して恐怖心はまるでない。
三島とはセックスが好きでセフレになったわけではなかったが、糸川とのセックスは、正直、けっこう好きだ。
(セックスが好きとか……なんか、ふしだらな感じ……)
指とシャワーで中を洗いながら、糸井は疚しさとこの後への期待感との狭間で揺れていた。
風呂を済ませ、いつものように糸川に借りた部屋着を着る。少し姿勢を正してリビングへのドアを開くと、ソファの背もたれから糸川の後頭部が覗いていた。
「糸川さん、お風呂」
ありがとうございました、と声をかけようとして、糸井は言葉をのみこんだ。ソファでネットでも見ているのかと思った糸川は、座ったまま眠り込んでいた。
(うわ、糸川さんの寝落ち、初めて見た!)
朝は弱くて寝穢い方ではある糸川だが、ベッド以外でうたた寝しているところを見るのは初めてで、そのレアさに思わず糸井はまじまじと観察してしまう。
相変わらずのきれいな寝顔。素顔が見たくて、そーっと糸川のメガネを外す。それでも身じろぎひとつしないので、相当眠りが深いようだ。
そういえば今日は休日出勤していて、しかも予定より長引いて、糸川は疲れたと口にしていた。これは布団を着せかけて、このまま寝かせてあげた方がいいのではないか。
(……帰ろうかな)
何も役に立てないのなら。
そう考えたところで、ひとつ思いついてしまった。糸川が寝ているからこそ、できること。
座った糸川の脚の間の床に、糸井は膝をつく。そして起こしてしまわないよう、そっと糸川の部屋着のウエストに手をかけた。
(いつも、起きてたらさせてくれないし)
下着のウエストも一緒に引っ張って、力ない平常時の糸川を手に取る。かわいいものではないが、なぜか愛しくなって、糸井は抵抗なくくちびるを寄せた。
奉仕するのは得意な方だと思う。三島を喜ばせたくて頑張って上達して、褒めてもらったこともある。きっと糸川のことも満足させられるはず。
けれど、いつも糸井がそれを申し出ても、糸川は「そのうちね」などとはぐらかして一向にさせてくれない。隙を窺っている間に糸井は糸川の手管に籠絡されて、能動的に奉仕するどころの話ではない状態にされてしまう。
無防備に眠ってしまった今がチャンスかもしれない。糸井だって、されるばかりではなく糸川を気持ちよくさせてあげたい。
両手で支え、先端にちゅっとキスをする。そして口内に唾液を溜めてから舌を伸ばして、裏側を根元から先端にかけてぬるりと舐め上げた。
「……っん!?」
とたん、糸川が半分目を閉じたまま声を上げる。もう起きてしまったかと、糸井はぱくりと糸川をすべて口に収めた。
「糸井くん!? ちょ、何やってるの、離して」
「んーんー」
額を押し退けようとしてくる糸川の両手首を掴んではがして、離すまいと吸引しながら頭を沈める。舌を使って刺激を加えると口の中のものは見る間に膨張して、その興奮度合いに糸井の興奮も煽られてしまう。
「ちょっと、ほんとに、やめてって」
「んや」
「……ぅ、糸井くんっ」
喉の奥につき当てて含むと、糸川がわずかに呼吸を乱した。その反応が嬉しくて、糸川の手を掴んだまま糸井は頭を上下する。
硬く張った茎を舐め上げ、くびれにくちびるを引っかけるようにして鈴口を舌でいじると、そこから潮っぽい味が滲んだ。
「はぁ……」
ため息みたいな熱い息を吐いて、抵抗していた糸川の腕から力が抜ける。その手を放して上目で様子を窺うと、眉を寄せた糸川が頬を上気させて糸井を見下ろしていた。
その顔がひどく色っぽくて、そんな顔を自分がさせていると思うとたまらなくなって、糸井は左手を糸川に添えながら右手を自分の下肢に伸ばす。取り出した糸井自身も、もうはち切れそうに起ち上がっていた。
「ん、んぅ、んん……」
糸川へ奉仕しながら、その目の前で自慰をする羞恥と背徳感に顔を赤くしながらも、糸井は右手を止められない。はしたないほどに興奮していた。
「糸井くん……」
せつなげに名を呼んで、糸川が両手で糸井の髪を撫で上げるように包んでくる。その手で頭を掴んで好きに腰を振ってくれたって構わないのに、糸川はじっと糸井を受け入れてくれている。
早くいかせてあげたくて、ぢゅっぢゅっとあえて淫猥な音をたてながら糸川を吸って、糸井は懸命に舌を使った。
「……ごめん糸井くん、いきそ……中で、口で出してもいい?」
切羽詰まった、申し訳なさそうな声。元よりそのつもりで、糸井は深く咥えたままこくこくと頷く。頭の中が煮えるようだった。
ややあって、糸川が息を詰め、小さく震えた。そして糸井の喉奥で、間歇的に吐精する。それを余さず口内に受け止めながら、糸井もまた、自らの手の中で達した。
「……っあ……」
微かな糸川の喘ぎに、鼓膜の奥が濡れた気がした。発情しすぎて、こめかみが痛い。
嵩を失っていく糸川を一滴残らず窄めたくちびるで搾り取って、糸井は口を離す。糸川を見上げ、一度口を開いて少し舌を出し、喉奥にためた糸川の精液を見せる。それから口を閉じ、そのすべてをこくんと飲み下した。
その糸井の様を凝視して、糸川はぎりっと眉根を寄せる。そして手で目元を覆い、天を仰いだ。
「……最悪」
呟かれたその一言に、糸井の心臓は冷たく縮み上がる。褒めてはもらえないにしても、まさかそんな最低評価が下るとも思っていなかったのだ。
「よ、よくなかったですか」
ティッシュで手を拭いながら焦る糸井を、糸川は眇めた目で冷ややかに見下ろしてくる。
「そういうことじゃない」
否定しながらも糸川は見るからに不機嫌で、初回の時にも糸川が「腹が立つから何もするな」と言っていたことを、糸井は思い出した。相手に触れられるのが嫌な理由があったのかもしれない。
「ごめんなさい、そんなに嫌な思いさせると思わなくて」
「謝らなくていいよ」
糸川はソファから立ち上がり、糸井の腕を掴んで引っ張り立たせ、そのまま寝室へ連行する。
「すみませんでした、もうしないので」
「だからそういうことを言ってるんじゃない。謝らなくていい。けど」
いったんベッドの端に座らせた糸井を、糸川は肩を押して後ろへ倒した。寝室は暗いまま、開け放したドアからリビングの明かりが入り込んでいて、糸川の表情は逆光でよく見えない。
「今日はあんまり手加減できないかもしれないから、覚悟してね」
「え……」
問答無用でくちびるを塞がれる。手順も踏まずに最初から深まったキスで口内に押し入られ、糸井は戸惑って体を引いた。
それを逃がすまいとするかのように、背中側から糸井の左手ががっちりと糸井の右肩を捕まえ、右手が糸井の部屋着の中に入り込んでくる。脇腹を撫で上げられ、指先できゅうっと乳首を抓り上げられた。
「んっ、ん!」
痛いほどではないけれど、常になくぞんざいな手つきでの愛撫に、糸井は体を捩った。
「ふ、んう、うぅ」
上顎をざらざらと舐められながら、感じやすい乳首の先端を爪先でいじられて、一気に糸井の体は熱を上げられる。
糸川のキスがくちびるを離れ、頬、耳朶、首筋へと移っていき、肌が粟立つ感覚に糸井は服の袖口を噛んだ。
息が上がる。変な声が止まらなくなりそうで怖い。でもきっとそんな声を聞かせては興醒めさせてしまう。
糸川は糸井の上着の裾を首元まで捲り上げ、コリッと芯を持って充血した乳首を口に含んだ。軽く歯を立てて吸い上げられただけで背中が浮くほど感じてしまって、その上糸川の指が後孔に忍び寄ってくるのに、糸井の体は無意識に逃げを打つ。
「こら、逃げるな」
糸川が唾液で中指を湿して、一本だけ挿入してくる。その一本が中で折り曲げられて的確に前立腺を刺激してくるのに、糸井は足の先までを震わせた。
「……ぁう、だ、め」
「さっき勝手に抜いたくせに、指一本でイく気? 堪え性がないね」
指を締めつけてひくつく糸井に呆れたように言って、糸川はいったん指を抜き、糸井のルームパンツを下着ごと剥ぎ取ってしまう。そしてあらわになった糸井の陰嚢あたりに、後孔へ滴る量のローションを垂らした。
「……っ」
「ごめんね、冷たかった?」
垂れたローションは再び差し入れられた糸井の指の抜き差しをスムーズにし、その潤みは内側へと塗り込められていく。
内側も入り口も十分に解されて、感度は極限まで高められているのに、肝心の刺激が足りない。
「……指、じゃ、細くて……」
恥をおして訴えた糸井を、糸川はそ知らぬ顔で見下ろしている。
「うん? なに?」
わかっていてはぐらかしているのが明らかで、糸井は羞恥で顔から火が出そうになりながら訴えを重ねた。
「ゆ、指一本じゃイけない、から……」
「だから?」
「い……糸川さん、の、挿れてくださ……」
やっと言えた懇願に、糸川は表情を変えることなく糸井の体を裏返した。うつ伏せにされ、膝を立てて尻だけ高く上げさせられた卑猥な格好で、糸川がゴムをつける時間を待たされる。
期待に収縮を繰り返している様を見せつけるように晒していることが、恥ずかしさを通り越した妙な高揚を誘って、荒い呼吸を隠せず枕に縋った。
やがて糸川が、丸い先端を孔にひたりと押し当ててくる。
「あ……い、糸川さん、はやく」
「欲しいの?」
「う……うん、欲しい……!」
「……ちょっときみ、やらしすぎるよね」
からかうような声のあと、やっと糸川の先端が挿入されて、糸井は猫のように背をそらした。
「あ、っ……」
奥へと引き込みたくて、知らず腰が揺れる。けれど糸川は先ほど指でも刺激していた浅い位置ばかりを何度も抉って、ちっとも奥へは進んでくれない。
いちばん奥まで満たしてほしい。焦燥感を伴う愉悦に急かされるようで、糸井は息を詰めた。
「……声、我慢してるの? 随分と余裕だね」
「ちが……」
「どこまで余裕ぶっていられるかな?」
意地悪な声が言って、背中にひたりと大きくて熱いてのひらが載せられた。ぐっと押さえつけられて、パンッと腰を叩きつけられる。
「あっ!?」
いきなり指では届かない最奥を突き貫かれて、糸井の目の前が一瞬暗くなった。同時に糸井の先端から少量の白濁が射出される。軽くイった。
そのまま糸川は糸井の腰骨を両手で掴み、激しいストロークで立て続けに腰を叩きつけてくる。パンッパンッと肌がぶつかり合って音が立つ。浅いところから深いところまでを激しく何度も擦り上げられ、奥を突かれて、糸井は喉をひきつらせた。
「あ、あぁ、い、いとかわさ、い――あぁ」
どろどろに煮とけた声で、何度も糸川を呼ぶ。
怖い。
何が怖いって、こんなに激しく突き上げられているのに、少しも苦痛がない。多少なりともどこかが痛めば脳もいくらか冴えようものだが、どこも痛くなくてひたすらに気持ちがよくて、糸井は脳漿が蜂蜜になったみたいに錯覚した。でろでろに甘い。
このまま自分がどうなってしまうのかがわからなくて、助けを乞うように糸井は自分の腰を掴む糸川の手を握った。
やめて、なのか、もっと、なのか、何を訴えれば良いかわからずに糸井は必死で首を巡らせる。肩越しに糸川と目が合った瞬間、また軽い絶頂感に襲われた。
「あ、う――……!」
腹が痙攣して、遠慮のない叫びを上げそうで枕に顔を埋める。
「まだそんなの気にする余裕あるの?」
意外そうに言った糸川が、ぐっと最奥に突き入れ、そのままぴったりと糸井の背に胸を合わせてきた。
「んっ! んぅっ……!」
これ以上ないほどに深く入り込まれ、その状態で糸川が抉るように腰を回す。先ほどから間歇的に起きる絶頂感で糸井の中が強く収縮し、いっそう糸川の存在をはっきりと感じさせられる。
後ろの刺激に耐えるだけで精一杯なのに、胸に回された糸川の手がまた乳首を抓り、もう一方の指を口腔に入れてきた。
「あ、あー! あぁーっ!」
腰を使われる度、あられもない喘ぎが閉じられないくちびるから飛び出していく。指に舌をつままれ、唾液が顎を伝い、もうぐちゃぐちゃだった。
それなのに、不意に糸川が、糸井の背中に小さくキスをした。
他の猥褻な行為とは正反対の、くちびるの先で触れるだけの清楚なキス。
その瞬間、突然視界が傾いて色が濁った。
(あ――だめだこれ、トぶ)
全身が総毛立ち、ガクンと崩れるように痙攣し、眼球が意思とは無関係にぐるんと回った。
「……」
落ちる瞬間、糸川に名を呼ばれた気がしたけれど、聞き取ることはできなかった。
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