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庶幾と涙 -sideF- 05
抱かれたい、と思ってしまったらもう我慢ができなかった。
「糸井くん……?」
抱きついた勢いで、糸川をベッドに押し倒す。そのままくちびるを重ね、糸川の口内に押し入って舌を絡ませ合った。
「ん……ん、糸川さ、ん」
すぐに応えてくれた糸川との深いキスはそれだけで気持ちよくて、とろんと瞼を落として夢中で糸井は唾液を吸う。糸川の舌先が上顎を這い、触れるか触れないかの弱さで歯列をなぞって舐められると、背中がぞくぞくと粟立った。
糸川に跨がった下半身が硬く立ち上がり、無意識にそれを糸川の腰にすり付けてしまうと、糸川の腕が糸井の腰を抱いて引いて、服越しに互いの興奮がぐりっと擦れ合った。糸川のも起っている。
糸井は服の上から糸川をそっと握った。
「糸川さん、したい……これ、舐めたい」
懇願すると、糸川は困ったように眉を寄せる。
「今日は……だめ。たぶん全然もたない」
「えぇー、したい」
「僕もしてほしいけど」
ぐする糸井に少し笑って、糸川はメガネを外し、体勢を入れ替えて糸井をベッドに組み敷いた。
「早く糸井くんに入りたくてしょうがない」
首筋にくちづけられて、糸井が喉を反らす。小さく喘いだその声に、糸川が目を細めて糸井を強く抱き締めた。
「……糸井くん、好き。大好き」
きゅうっと、心臓が縮まったみたいにせつなくなって、涙が溢れた。
「俺も……大好きです」
どうしてセフレと変わらないなんて思ったんだろう。全然違う。好きだと言い合えるだけで、これほどまでに。
気持ちが逸って、糸川のTシャツをたくし上げた。一度糸川が体を起こし、そのTシャツを脱ぎ捨てる。糸井のTシャツも引き抜かれて、ひたりと肌を合わせるとため息が出た。
「……泣かないで」
涙を舐めとられ、しょっぱい舌でキスされる。肌を撫でる手に乳首をつままれ、反らした背が浮いた。
「んぅ……」
声を押し止めるために、口元に手の甲を押し当てる。その手のひらに糸川がくちづけてきた。
「今日も声は聞かせてくれない感じ?」
少し不満の滲んだその声に、困って糸井は眉を寄せる。
「この部屋、あんまり壁厚くないと思うんで……」
薄いというほどではないと思うが、それなりに隣人の生活音が聞こえるこの部屋で、あまり大きな声を上げるのは気が引ける。嬌声を聞かせても糸川は三島のようにそれを咎めたりはしないかもしれないけれど、ちょっとここでは勘弁してほしい。
その気持ちを汲んでくれて、糸川はくちづけを解いた。
「そっか、じゃあ仕方ないね。今日はおとなしくするね」
そう言って糸川がルームパンツのウエストを引き、下着の中に手を忍ばせてくる。ゆるっと手のひらに包まれて、糸井は息を飲んだ。
少し上下されただけで先端から潤みが溢れ、卑猥な水音が立って恥ずかしさに目元を隠す。
「あ、だめ……すぐ出ちゃう……」
「きつい? 一回出しとく?」
「いや……い、いれてほしい……」
「……ん、じゃあ後ろ触るね。ローションある?」
訊かれて、あ、と糸井は我に返った。
自慰用にローションはあるけれど、この部屋で他人と事に及ぶことがないものだから、ゴムの用意がない。
「あの……糸川さんがいやでなければ、なんですけど」
一度体を起こしてベッド下の収納からタオルとローションを出し、糸川に渡す。
「ゴムがないので、生でしてもらってもいいですか」
「!?」
糸井の申し出に、動揺した糸川が振り返った。
「え、いや、僕は全然構わないけど。糸井くんがよくないんじゃないの? 今からでも僕買ってくるよ?」
「俺は大丈夫です。それに、もう待てないです」
もじもじと糸井は自分でルームパンツと下着を脱ぎ、敷いたタオルの上に横たわる。
「お願い……早く」
せがむと、糸川はぎゅっとローションのボトルを握りしめ、一度咳払いをした。
「……うん。絶対外に出すから心配しないでね」
決意表明のように言って、糸川はローションのキャップを開ける。粘性の高い液体がその手に広げられた。
たっぷりのローションでぬかるんだ指が、糸井の後ろに押し当てられる。ふうぅ、と息をついて意識して力を抜くと、タイミングを計って糸川の指が入ってくる。
風呂である程度慣らしてきたから、痛みはない。ゆるゆると入り口を拡げた指の隣に、もう一本が差し入れられた。
「は……ぁ、あぁ」
体の中で、二本の指がバラバラに動いて、内側で腫れたしこりをゆるやかに刺激される。
三島はこういうとき、挿入を急いてか、糸井の性感帯を無闇に強く刺激してきて、強すぎる性感についていけずにつらくなることがあった。その点、糸川の愛撫は強すぎず弱すぎず絶妙で、糸井の理性を端から融かしてくるような感覚だ。
「気持ちいい?」
間近で糸川が糸井の目を見つめ、頬を撫でながら訊いてくる。その手に手を重ねて、糸井はこくこくと頷いた。
「気持ちいい……」
「ふふ。糸井くん、かわいいね」
ちゅ、と額にくちづけられて、心地よさに目を閉じる。内側からごく弱く高められて、だんだん力が入らなくなっていく。全身をこわばらせて快感に耐えるいつものセックスとは、全く違う感覚だった。
「糸川さん、俺……」
あえかな吐息に呼び掛けを紛らせて糸川の腕に指を絡めると、目を細めた糸川がとろりと糸井の乳首を舐めた。
「ぁ、ん、や……」
腹に反り返った屹立が、透明な糸を引いてひくりと頭をもたげる。
もう全部ほしくてたまらなかった。
「糸川さん、もういれて……中が……」
せつなくて、埋められたくて、ひくついている自覚がある。指を挿れている糸川にも、きっともう知られている。
「うん……そのまま力抜いててね」
糸川が体を起こし、入れた指を拡げたその間に、返しの張った先端をあてがった。押し入る瞬間はさすがに圧迫感が勝って、糸井は無意識に目を瞑る。
「……っ……」
十分に解された隘路を、ゆっくりと糸川は進み、滑らかに最奥へ辿り着く。糸川の下生えの感触を肌に感じ、根本まで収まったのを確認して糸井は瞼を上げた。
「糸川さん……」
あてどなく名を呼ぶと、糸川は深く糸井にくちづけてくれる。
いちばん深いところで繋がって、呼べば優しくキスしてくれて、その人が自分を好きだと言う。信じられない多幸感に、震えが走って糸井の涙が止まらなくなった。
「……っあ、あぁ」
穏やかに、糸川が律動を始める。浅く深く、糸井の快楽を引き出すポイントを熟知した糸川が、急かずじっくりとしみ出す蜜を待つように抉ってくる。
「は、はー、あぁー……」
頤を反らし、喉から押し出されるような喘ぎが止められない。ゆるやかに穿たれる内側も、糸川の手が触れる肌も、ぜんぶが気持ちよくてわけがわからなくなる。
「……て、手……」
何度か意識が飛びそうになって、不安になって糸川に手を伸ばす。その手を取ってくちづけて、糸川はしっかりと指を絡めて握ってくれた。
「大丈夫、怖くないよ」
「ん……あ、ぁ、糸川さん……いい」
「僕もだよ。すごくいい。ちょっとやばい」
「ああ……好き、好き……」
「うん、僕も好き」
緩く深く、何度も何度も、糸川は糸井のなかを往復する。隅まで満たされながら、糸井は自分の上で揺れる糸川を見上げた。涙に滲む視界の中で、糸川もまた恍惚に目を細めているのがわかって、糸井は嬉しくなった。
次第に、呼吸もうまくできなくなるほどに糸井は追い上げられていく。内腿が何度も痙攣し、下腹がひくつく。
「あ、もう……だめ、かも」
荒い息に紛れて降伏して、糸井は糸川の指を解いてその背に縋りついた。
「あ、あ、あぁ――」
切迫した喘ぎを、糸川の首筋に押しつける。
絶頂のその瞬間、糸井は渾身の力で糸川にしがみついた。
「っ! ーっ! ……~っっ!」
間歇的に、全身が引き絞られるように痙攣し、長く続く絶頂感に糸井は意識を手放そうとした。けれど、
「……っ、やば」
慌てたように呟いた糸川が腰を引こうとするのに、咄嗟に糸井は両脚を絡めて引き留めた。
「やだ!」
「!?」
目の前で、狼狽した糸川が目を見開いた。その一瞬後、糸川は口元を歪めてきつく目を瞑り、糸井は自身の奥深くに奔流が注がれるのを感じた。
「っ……ばか、何やって……」
本能的に深く突き入れてしまって、糸井の両腕をきつく握った糸川が、ビクビクと体を震わせながら糸井の鎖骨に額を押しつける。
その震えが落ち着いて、のそりと頭を上げた糸川は、なんとも情けない顔で眉をしかめた。
「中で出しちゃったじゃないか……抜こうとしたのにぃ」
まだ半分放心状態で、息も整っていなかった糸井だったが、その顔を見てふっと笑ってしまう。
「ごめんなさい、つい……抜いちゃうのが寂しくて」
「何かわいいこと言っちゃってるの……ごめんは僕だよもう……」
萎れた様子で体を起こした糸川は、膝をずらして砲身を抜こうとする。それもまた、糸井は「待って」と引き留めた。
「抜かないで……」
懇願して、また糸井はぼろぼろと泣き出してしまう。
「……どうしたの?」
おろおろと、身動きがとれない糸川は糸井の涙を拭った。
別に、糸井も中出しされるのが好きなわけではない。後始末は大変だし、腹を下すこともあるし、される側にいいことはない。糸川もそれをわかっているからちゃんと引こうとしたのだ。
だけど、抜かれると思ったら、急に悲しくなってしまった。一瞬でも離れるのがいやで、繋がっていたくて。
「糸川さん、好き」
不安で仕方なくて、訳は明かせず糸井はただそう繰り返した。
まだ根っこのところで、糸井は体だけではない繋がりを信じることができないでいる。今日重なったと思えた心が、体が離れたとたんに一緒に離れてしまうんじゃないかと。
七年もの間、幾度となく体を重ねた想い人とさえ、心が重なることはなかったから。
「……糸井くん。大丈夫だよ」
その不安を察して、糸川は糸井の前髪を撫で上げた。
「僕はきみが僕を好きになってくれる前からずっと好きだし、明日もその先も、ずっと好きだから」
額に、瞼に、頬に、糸川はキスを落とす。
「……ずっと一緒にいようね」
抱き締められて、糸井は糸川の背を抱き返した。
まだ、その言葉を信じるのは難しい。恋人関係だって終わるときは終わる。また突然切られるんじゃないかと、考えれば足は竦む。
それでも、この腕を赤く腫らして、糸川は糸井を探し求めてくれたのだ。少なくともその事実は信じられる。
長くくちづけを交わして、二人は新しい関係の第一歩に、強く手を繋いだ。
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