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人見知り猫との恋 01

「うちの実家で猫飼い始めたんだけど、その子がすっごい人見知りでー」  職場の休憩時間中、隣の島の女性社員たちの会話にふと糸川の耳が引かれた。 「こっちから構いに行くと、全然振り向きもしないの! そっぽ向いてつーんって感じ」  ほう? と糸川は耳をそばだてる。なんだかとても身近な話題に聞こえるのだ。 「でもしばらく放っておいたり、ちょっと冷たくしたりすると、後ろからそーっと近づいてきて、脚にすりすりってしてきたりするの! もうそれがすっごいかわいくって!」  そう、そうなんだよ。しかしそれって猫の話なのか? 糸井っていう生き物の話じゃなくて? 「そういうのと仲良くなるのはどうしたらいい?」  思わず会話に入ってしまった糸川を、女性社員は驚いた顔を赤く染めて振り返った。 「えぇっ、糸川さんも猫飼われてるんですか!?」 「えー、奇遇! うちも飼ってるんですよ、写真見ます!?」  普段はほとんど表情を変えることがなく、会話したくても話しかけづらいオーラを放っていて、狙おうにも狙い目がわからない糸川が自ら話しかけてきたのに、女性社員たちは目の色を変えてここぞとばかりに畳みかける。 「いや……あぁ、うん」  猫ではないのだけど、否定すればじゃあ何なんだという話になりかねないので、糸川はおとなしく突きつけられたスマホの写真を覗き込んだ。  画面奥で警戒した目つきをしているハチワレの仔猫は確かに愛らしく、この子が懐いてくれたならそれはそれは毎日が充実することだろう。 「かわいいね」  けれど糸川が自分に懐かせたいのは、猫ではなく、恋人になったばかりの成人男性・糸井文明だ。 「でしょぉ~! 糸川さんの猫ちゃんは写真ないんですか?」  なくはない。寝顔の盗撮写真だけど。なので見せられるものではない。 「あー、写真はないな」  しれっと糸川がついたその嘘は、無表情ゆえに嘘だとばれることはまずない。糸川の外面はそれで成り立っている。 「で、仲良くなるにはどうしたらいいだろう」  とりあえず急ごしらえで『雑種・一歳・白茶トラのオス、名前はフミ』を脳内に構築して、糸川は強引に話を元に戻した。脳内のフミについての詳細を突っ込まれるとボロが出そうなので、なるべく触れてほしくない。 「そうですねぇ、結局人間も猫も信頼関係ですよね」  女性社員の一人が人差し指を顎に、なんとなく説得力を醸す。 「その子にとって安心できる相手になる。この人は構われたくないときには構ってこないし、構ってほしい時にはちゃんと構ってくれる、って思わせられたら成功じゃないですか?」 「……そのためには?」 「警戒してる間は触らない、寄ってきたら思いっきり甘やかす! ですかね。何だかんだ寂しくなったら絶対寄ってくるから、普段がどんなにツンでも猫ってかわいいんですよね~」 「なるほど」  残念ながら目新しい収穫はなく、糸川は適当に相槌を打つ。  そのまま猫談義が継続しそうな雰囲気だったが、折よく女性社員らと仲の良い男性社員が「なに楽しそうに話してんのー?」と牽制ありありに割り込んできたので、糸川は渡りに船とその場を離れた。  糸井とつき合い始めてやっと二週間が経つ。今が一番盛り上がっていて然るべき時期ではないだろうか。少なくとも糸川はそう思っている。  が。 (……なんか引かれてる)  それが糸川の実感だった。  セフレの頃の方が、糸井は無防備に感情を表情に出していた気がする。嬉しそうだとか、悲しそうだとか、もっと分かりやすかったように思う。  それが、今はなんだか貼りつけたように常時ほんのりスマイルで、糸井の感情の機微が読めない。そもそも糸井と前ほど目が合わない。恐らく意図的に逸らされている。  先週は、もっと一緒にいたいと伝えた糸川に対し、「俺はべつに」と返された。気にしない風を装ったけれど、実はけっこうショックだった。「俺もですよ~」→きゃっきゃうふふ、の流れを想定していたので、その落差はなかなかのものだった。 (……つき合ってみたら思ってたのと違った、みたいなことだろうか)  糸井の方から好きだと言ってくれたけれど、糸川が思うようなべたべたしたつき合い方は望んでいないのかもしれない。もっとあっさりした、ドライな関係? (でもそれじゃセフレと変わんないし)  糸川はもっと、幸せな関係を思い描いていた。心も身体も近くて、想い合ったり、触れ合ったり、労り合ったりするような。  三島に愛されなかったことを悲しむ糸井もまた、同様の関係を望んでくれていると思っていたのだけれど。  今の糸井は、一定の距離を越えないように足元の境界線をずっと気にしているように見える。糸川が笑いかければ笑い返す、その程度の距離感で。  それでいて、糸川が糸井に注意を払っていない間に、ものすごく至近距離に来ていたりする。先日は会社の携帯でメールチェックに没頭していたら、いつの間にか隣にいて寂しそうにこちらを見つめていた。  糸川と目が合った瞬間に離れようとしたので、迷わず抱いた。糸井は抵抗しなかった。かといって、歓迎している様子もなかった。消え入りそうな声で、「ごめんなさい」と謝った。何が、という問いには答えず、どこか申し訳なさそうに微笑んでいた。  訊けない疑問が糸川の中に降り積もっていく。  ――本当に幸せなのだろうか。彼は、自分といて。 「……っい、とかわ、さ……」  週末の逢瀬。糸川の部屋のいつものベッドで、糸井は汗ばんだ肌を震わせた。  後ろに含ませた糸川の指が蠢くのを許しながら、快感に融けた表情を少しだけつらそうに歪める姿は、いつ見ても最高にエロチックで最強にかわいい。 「ふ……ぅ……」 「うんうん、気持ちいいね?」 「うん……」  とろんと瞼を半分落として、こくこくと頷く。内側で硬く凝った箇所をゆるっと撫でると、喉をひくんと竦ませて糸川の指を締めつけた。  締まって狭まったところを、敢えて糸川は二本の指で押し広げる。 「……ここ入りたい、いい?」  それを拒絶されたことはないけれど、一応糸川はいつも糸井に確認する。糸井の嫌がることは絶対にしないということをわかってもらって、安心してもらうため、信頼を得るためだ。 「はい……」  頷いて、糸井は糸川がゴムを装着する間に、身体を返してうつ伏せになった。そして枕の下に手を入れて、しがみつくようにそれを抱く。そういえば先週も同じ態勢だった。  体位的にバックの方が楽だというのは糸川にもわかるが、糸川は顔も見えてキスもしやすい正常位の方が単純に好きだ。糸井は関節も柔軟で正常位でもつらそうな様子は今までなかったので、できれば正面からしたい。  でも糸井がバックの方を好むならと、糸川は背中から糸井の身体を包むように抱いて、ゆっくりとその中に押し入った。 「ふっ……う、ぅ」  苦しげな吐息は、顔に押し当てられた枕に吸い込まれていく。 「大丈夫? 痛くない?」  気遣うと、糸井は紅潮させた肩を震わせて、無言でがくがくと頷いた。その様子に、またか、と糸川は内心で落胆した。  こうなると、糸井は情事が終わるまで一切の発語を耐えようとする。自らにそれを許可しないかのように、全身を緊張させて声を殺す。我慢しなくていいと、どれだけ糸川が言っても聞き入れようとはしない。 (こういうとこ……何か無理させてるのかな)  糸井の様子が、なんだか望まないことを強いられているようで可哀想になって、糸川は動きを止めた。  つき合う前は、こんなことはなかったと思う。ベッドの上ではもっと奔放に、快楽に対して素直な反応を見せていた。それこそ、糸川が三島に嫉妬を覚えるほどに。  セフレという関係だったから、性的な行為へのハードルが低かった、というのは考えられる。糸井は糸川とはヤるだけの関係だと割り切っていた節がある。  でもそれが恋人関係に昇格したとたん、急にハードルが上がったりするものなのだろうか。こんなふうに身構えて、緊張に震えなければならないほど。 「……糸川さん?」  動きを止めたままの糸川を、糸井が不安げに見上げてくる。 「あ……今日はそんな気になれなかった、ですか?」  淡い笑みを浮かべて、糸井は糸川の意向に探りを入れてくる。もしそうならいつやめてもいいと気遣うように。 「……ううん、そんなことないよ」  糸井を前にして、その気にならないなんてことはあり得ない。糸川は糸井のことが過ぎるほど好きなのだから。 (もしかして、そういうとこか……)  愛が重すぎて引かれているのなら、少し糸井から距離をとるべきなのだろう。それはわかっているのだけれど、とても難しいことのように思われた。 「好きだよ、糸井くん」  せめて身体には負担をかけまいと、糸井の中をゆっくり往復しながら、糸川はその白い背中にキスをした。

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