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ハニーメルト 02

 糸井の作ったクラムチャウダーは、糸井の言う通り見た目以上に具だくさんで、思った以上に美味しかった。  結構な量をおかわりしたのに鍋にはまだ半分近く残っていて、いつも糸井は一人でもこのくらいの量を作るのだと言う。 「まとめて作って三日は食べますね。三日目には少し煮詰まって濃くなってるから、そこに茹でたパスタを投入します。けっこういけるんですよ」 「いいな、パスタ合うね絶対」 「出ましたね麺好き。ミネストローネも同じパターンでいけます。カレーは白だしで伸ばして、うどんやそばにかけると美味しいです。シチューはご飯にかけてチーズのせて焼いてもいいです」 「えー、全部美味しそう。今度作ってよ」 「そんなのでよければいつでも作りますよ」  絶対だよ、と念を押した糸川に、糸井は嬉しそうに頬を染めて笑った。  狭いキッチンに二人で並んで食器を片付けて、部屋に移動してベッドを背もたれにして床に座る。糸川は自分の脚の間に糸井を招き、エプロンを外しながら遠慮がちに座ったその痩躯を背中から抱いた。  糸井との会話が楽しくなった、というのは、ごく最近のことだ。  前はそれほど会話が続かなくて、沈黙が続くこともよくあった。二人ともお喋りな方ではなかった上に、沈黙が苦になるタイプでもなかったので、それはそれで構わなかった。  けれど今は、互いに“あと一言”を口に出すようになったことで、その一言を取っ掛かりに会話が続くようになった。それはつまり相互理解が深まるということであり、互いの思考や想いの根っこに触れることになる。  なぜそういう発想に至ったのか、なぜそう感じるのか。それを理解し合うことは、互いを思いやることに繋がる。そして思いやり想い合うことが、互いの安心感に繋がる。そういう好循環を、二人が努力を始めた会話が生み出していると、糸川は感じていた。  けれど、ふと生まれるこんな沈黙の価値も、糸川は決して否定はしない。耳を赤くして糸川の脚の間でちょこんと体育座りをしている糸井を、少しのくすぐったさとともに愛しく思う瞬間だ。  部屋を訪れていたときには濡れていた髪も、もう乾いている。その襟足をそっと撫で上げると、生え際に小さなほくろが二つ並んでいた。そのほくろにくちづけるように鼻先を糸井の髪に埋めると、飾り気のないシャンプーの匂いがした。 「……嗅がないで」  身じろいだ糸井が、咄嗟のように首元を手で覆い隠す。 「お風呂上がりでしょ?」 「そうだけど……なんか恥ずかしいです」 「いい匂いだよ」 「だから嗅がないでってば……」  もう、と言いながら振り返った糸井が目元を赤く染めていて、その思いがけない色っぽさに、糸川は慌てて糸井を抱いた腕を離して両手を挙げた。  これはまずい。止まれなくなる。 「ごめん、もうしません」  おどけて笑って見せると、糸井は後ろ首を押さえたまま、口を尖らせた。やばいやばいやばい、かわいいが過ぎる。  気をそらすために腕時計をした左腕を上げた。終電まではまだだいぶあるが、ちょっと顔を見に寄るだけのつもりだったにしては、夕飯までご馳走になって随分長居をしている。そろそろおいとましようかと、糸川は自分の膝を軽く叩いた。 「糸井くん、明日だけどさ。何時頃来られる? 午前中ちょっと僕、家空けてる時間があるかもしれないんだけど」  問うと、糸井は少し驚いたように顔を上げた。 「明日、朝から何か用事があるんですか」  問い返されて、お、と思った。こういう反応は初めてだ。今までの糸井なら、瞬時に糸川の所用を悟って、何も問わずにいつもの夕刻に行くと返していただろう。  糸井自身も慣れないことを訊いたことに気づいたのか、少し気まずそうな顔をした。けれど撤回はしなかった。その、少しずつ踏み込もうとしてくれている感じが嬉しい。 「用事ってほどじゃないんだけど。夏用の寝具をそろそろ片付けたいから、まとめてコインランドリーに持っていこうかと思ってね。まあ来たとき僕がいなかったら合鍵で上がっててよ」 「……用事はそれだけ?」 「ん? うん、その予定」 「……」  ふむ、と糸井は口元を手で隠してふと考え込むような仕草をする。そして少しして、糸川の両腿に跨がるようにして向かい合った。 「ん!? ど、どしたの糸井くん」  両肩に手を置いて糸井が至近距離で見つめてくるのに、さっきから邪念を払う努力をしていた糸川は狼狽する。後ずさろうにもベッドにもたれ掛かっていてどうにもできない。 「糸川さん、帰っちゃうんですか?」 「え、う、うん、今日のところは」 「じゃあ……帰る前に。見て」  瞼を伏せて、糸井は自分の部屋着の襟繰りを、ぐいと胸元まで引き下げた。いきなり白い肌を目の前で露出されて、糸川の頭にかっと血が上る。 「糸川さんの痕、消えちゃったんです。またつけてほしいなって思って」  言いながら、糸井が瞼を上げて糸川を上目で見る。 「……今度は、消えないくらいのやつ」  頭に上った血が、一気に下半身に集中したようで、貧血を起こしそうになりながら糸川は頭を抱えた。 (何なんだこの子……)  懸命に抑えていた腹に火をつけてきた糸井に腹が立つやら愛しいやら、なんだか訳がわからなくなる。  こんな性の悪い誘い文句をどこで覚えてきたんだか、その出所は一切知りたくないのだけど、焚き付けた糸井にその結果どんな目に遭うのかを無性に思い知らせてやりたくなった。 「ねえ、そんなこと言われたら帰れなくなるんだけど」  低く告げて、糸井の手首を強く掴む。怯えを見せるかと思った糸井は、けれどなぜか嬉しそうに顔を綻ばせた。 「本当? 泊まってってくれます? ああでも、ベッドが狭くて申し訳ないんですけど……」 「え? ベッドの心配?」 「え? あ、コインランドリーは明日俺も手伝いますから」 「え? そこなの?」 「え? どこでした?」 「……」  どうやら糸井は本気できょとんとしていて、糸川に湧いたちょっとした苛虐心もすっかり鎮火してなりをひそめる。 (天然だったか……)  誘うとかの意図はなく、単純に消えたキスマークをつけ直してほしかっただけということなのか。  気勢を削がれた糸川は、請われた通りに糸井の襟繰りを指で引き下げて、鎖骨の下を強く吸った。花弁の形に浮かび上がる、小さな鬱血。  肌に浮いた紅い痕を確認して、糸井は嬉しそうに微笑む。けれどやはり、これだけで帰れるほど糸川も枯れてはいないし、糸井だって泊まりを望んでくれている。  部屋着の裾から手を忍ばせると、糸井は「あ」と小さく甘い声を漏らした。そのまま胸元まで裾をたくし上げ、露になった淡褐色の円に吸いつく。舌でやわく刺激しながらしばらく吸っていると、乳輪がぷっくりとピンク色に膨れ上がり、小さな乳頭が固く芯を立てた。 「……やらしい乳首になっちゃった」 「ん、糸川さんのせいでしょ……」 「やだ?」 「……やじゃない」  困った顔で素直に快感を認めた糸井に、ふっと糸川は笑う。尖った胸を指でいじめながらもう一方を口に含み、そちらも舌で育てていく。そして背を支えていた片手を下ろして糸井のズボンの中を窺おうとして、一旦その手を止めた。 「……後ろ、触ってもいい?」  確認したのは、羞恥心の強い糸井が、準備不足の状態で触れられることをひどく怖がるからだ。一度、いやがっているのを無理に進めようとして、強く拒絶されたことがある。そこから二人の関係は拗れてしまい、それについて糸川は海より深く反省していた。  許可を求められた糸井は、恥ずかしげに顔を伏せて、糸川の肩にしがみつく。そしてもじもじと、「実は……」と囁いた。 「糸川さんから電話もらってすぐ、お風呂できれいにしたんで、大丈夫です」 「!!」  思わぬ告白に、糸川は反射的に糸井の顔を振り向いてしまった。気まずそうに顔を真っ赤にした糸井が顔を背けようとする。 「ごめんなさい、勝手に期待して……呆れないでほしいです」  恥ずかしくて死にそう、という風情の糸井の頬に触れ、糸川はひとつキスをした。 「呆れたりしないよ。興奮して鼻血は出そうだけど」  キスを深めながら、糸井の下着の中に手を入れる。肉の薄い尻をやわやわと撫で、中指の先をそっと蕾に沿わせると、その入り口はいつもと違う強い抵抗を示した。 「あれ……慣らしてはなかった?」  中にローションを仕込むこともあるほど準備万端な普段と違う、固い搾まりに無理に指を入れようとはせず、一度糸川は服の中から手を抜き出す。その中断を何か曲解したのか、申し訳なさそうに糸井は体を離した。 「あ、そっか、すみません……拡げておくほどの時間がなくて。ちょっと待っててくれますか、俺自分で……」 「いやいや、待て待て待て」  ベッド下の収納から取り出したローションのボトルを手に、糸川の膝から降りようとする糸井を引き留める。 「どこ行くのよ」 「えと、トイレに……」 「なんでここで自分でしに行く流れになるの。させてよ、僕に」 「え、あの」  問答無用でボトルを取り上げ、ついでに収納からタオルとゴムも取り出しておく。言い訳を続けられないようくちびるを塞いで、糸井の下着ごとズボンを腿の半ばまで引き下げる。手のひらに出したローションを軽く温めてから指に取って、改めて後孔に触れると、糸井が喉の奥で「ん」と声を漏らしてくちづけを解いた。  ローションの潤みを借りて、ゆっくりと指を差し入れる。そのとたん、固い襞が侵入を拒むように強い力で締め付けてきた。行為に慣れているはずの糸井の身体は、しかし他人に解されることにはとことん慣れていないようだ。  糸井は糸川の肩に縋って顔を伏せ、浅い呼吸を繰り返している。その背を宥めながら、差し入れた中指をゆるく折り曲げて中をぐるりとかき回す。傷つけないように慎重に、狭いそこを慣らし拡げ、やっと少し緩んだところへ薬指も差し入れる。  そこから指三本入るまでの馴致にはそれなりの時間を要し、普段糸井が、かなり入念に事前準備をしてくれていたことを糸川は知った。これまでスムーズに事を進められたのは、糸井の自助努力のお陰だ。  指を抜き、ゴムを被せた先端をひたりと押し当てると、意図を汲んで糸井が腰を沈めてくる。深く息を吐きながら、その眉は歪み、きつく瞑った瞼からは涙が溢れた。 「糸井くん、痛かったら止めて」  気遣って糸川は挿入を中断しようとしたけれど、糸井は強く首を振る。 「……たく、ない……糸川さん、糸川さん」  泣いた声は上ずって、糸川の首にしがみついた体が完全に腰を落とした瞬間、糸井が糸川の耳元で呟いた。 「好き」  聞かせるつもりがあったかどうかはわからない、ただ零れ落ちたような声だった。  今ここで確かに行われている物理的な繋がりよりも、心が繋がっていることの方が信じられる気がするのはなぜだろう。糸川を好きだと告げる糸井の心が、手に触れてその温度を感じられそうなほどに近くに思うのは。 「僕も……好きすぎて、どうしよう」  抱き締めながら囁くと、糸井の中がきゅうっと締まった。いきなりの収縮に「うっ」と声を上げてうろたえた糸川に、肩から顔を上げた糸井がふふっと笑う。 「……どうもしなくていいと思う。そのままでいてほしいです」  天然のふりをしてどこからどこまでを狙ってやっているのか、ちょっと疑いたくなってしまうほどに憎らしく愛らしく、糸川も苦笑して額同士をくっつけた。 「たぶんこれからもっと、どんどん好きになっちゃうよ」  それはどう抗っても仕方のないことだと、諦めて降参して、糸川は糸井にくちづけた。 <END>

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