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星に誓いを 01

 定時をとっくに過ぎ、ディスプレイに向かう目の疲れを自覚して、糸川は椅子の背もたれを大きく撓ませて伸びをした。  師走に入り、忙しさに拍車がかかっている。週を跨いだ出張も入ったりして、糸井に会えない週もあったりする。  糸井の方も年末は忙しいらしく、なかなか平日には会う時間が取れていない。つき合い始めてから、こんなに会わないこともなかった。  会えない代わりに、せめてコミュニケーションは密にしておこうと、二人は隙間時間でメッセージを送り合う。とりとめのない、日常が交わされる。他愛のないやり取りが、糸川にとってとても大切なものになっていた。  その日常が、もっと重なればいいのに、と糸川は思う。  たとえばもしこんな繁忙期に、糸井と同じ部屋に帰れたら。  食事がカップ麺になろうが冷凍パスタになろうが、糸井とぎゅっとハグし合うことができるだけで、きっとたちどころに疲労は癒えて活力が漲るだろうと思うのに。 「はー……」  さすがに疲れのたまった肩を上下させて、糸川は立ち上がった。  寒い廊下に出て、自販機で温かいコーヒーを買う。それを持って休憩所に向かおうとすると、エレベーターを降りてきた三条と鉢合わせした。 「あら、糸川くん。残業?」 「ああ、はい。少し休憩入れようかと」 「お疲れ様ー。休憩一緒していい?」 「ええ、もちろん。三条さんも何か飲みます?」 「だいじょぶ、マイボトル持参」  二人が休憩所に入ろうとしたタイミングで、先客の社員三名がちょうど出て行って、室内には二人きりになる。 「ラッキー、部屋あったかい」 「ほんと寒くなりましたよね。天気予報で、そろそろ雪かみぞれが降るかもって言ってましたよ」 「冬本番な感じよね。上等じゃない、いっそホワイトクリスマスにでもなればいいのよ。どうせロマンチックにデートとかしちゃうんでしょー?」  椅子に座りながらにやにやと覗き込まれて、糸川は口元を押さえた。  仕事で絡みの多い三条とは、休憩所で一緒になる度に、いつの間にか恋バナのようなことをする仲になってしまった。  結婚一年ほどの三条からは夫の愚痴やら惚気やらを聞かされているし、糸川も恋人の存在を明かしている。もちろん、その相手が同性だということは伏せているが。  気の置けない間柄になっていることもあって、糸川はふと、三条に相談してみようかと思い立った。 「……あの、三条さん」 「んー?」 「クリスマスに恋人に贈るものとして、指輪というのはやっぱり重いでしょうか?」 「ぶっ!!」  唐突な相談に、水筒を呷っていた三条は、盛大に噎せて咳き込んだ。 「ケホケホケホッ……えほっ、う、嘘、糸川くん結婚するの?」 「え? ああ、いえ、結婚は」 「婚約指輪とか、そういうつもりではないのね?」 「つもりではないというか……僕としてはずっと一緒にいたいと思ってるんですが、……でもそう重く捉えずに、カジュアルに受け取ってもらいたいというか」  しどろもどろになった糸川の前で、呼吸を整えた三条が露骨に眉をしかめる。 「……糸川くん、年いくつだっけ」 「三十です」 「相手の子は?」 「二十九です」 「うーん。その年頃で、クリスマスプレゼントの指輪に深い意味はありませんってのは、ちょっと苦しいかもねぇ。やっぱりそれなりの意味を持っちゃうものじゃないの」 「ああ……そういうものですか」  ならば指輪を贈るのは諦めようかと、糸川は首をさすった。  もうこれ以上、糸井を困らせるようなことをしてはいけない。そう自重する。 「……糸川くんは、ずっと一緒にいたいと思ってるんでしょ? それだけ好きな相手なら、重いどうこうじゃなくて、本当にプロポーズするんじゃダメなの? 相手にまだ結婚する気がないとか?」  三条に問われ、糸川の胸がドキッと疼く。 「相手に……その気は、ない、かもしれない」  糸井の気持ちについて、歯切れが悪くなるのには理由があった。 「……実は先日、一緒に住まないかと提案したんですが。待ってほしいと保留されたまま、返事がなくて……」 「あれま」 「あれはたぶん……いや、絶対困ってたと思うんですよ……」  そのときのことを思い返して、糸川は頭を抱える。  楽しすぎた温泉旅行を終えて、自宅へ帰る糸井を送りに行った駅で、糸川は常々感じていた寂しさを明かしてしまった。  ――ずっと糸井くんと一緒にいたいんだ。僕と一緒に、暮らしませんか。  何の勝算もなく言った言葉ではなかった。糸井もそれなりに、糸川と過ごす週末や、その温泉旅行の時間を、楽しんでくれているという自信があった。  けれど、提案を受けた糸井は言葉に詰まり、視線をさまよわせ、最後には完全に俯いてしまった。  糸川もどうフォローしようかと迷っていたら、ようよう、小さな声で糸井が呟いた。  ――すみません。少し待ってもらえませんか。  全身から申し訳なさを滲ませるような謝罪だった。それが余計に、糸井の『応えられない』という本音を映しているように見えて。  ――あ……ごめん、急にこんなこと言って。気にしないで。  結局ろくなフォローの言葉も思いつかず、電車の時間を言い訳に、改札を抜ける糸井を見送った。  その帰路の、哀しかったこと。  嬉しいと、快諾してくれることを期待していた。何なら嬉し泣きぐらいしてくれるかと思っていたのだ。  けれど実際は、糸井は同棲話を保留したまま、糸川ももうその話題には触れられなくなっている。  何か、ちゃんと理由があるのだろうと思う。訊けば話してくれるのかもしれない。でも聞いてしまったら、自分と糸井との間の溝を知ることになってしまいそうな気がする。  あってもいいのだ、溝自体は。他人同士、個人と個人なのだから。  怖いのは、それがどうしても埋められないものだった場合だ。  歩み寄れない、擦り合わせることもできない、そういうものだった場合に、その先に何があるか。  ……そんな悪い想像ばかりが浮かんで、糸川は少々、弱っていた。 「三条さん」  秘密を共有してくれる味方が、欲しくなったのだ。 「僕の恋人は、男なんです」  明かした糸川に、三条は動きを止め、糸川に向けた瞳を黙って大きく見開いた。 「だから僕らに結婚はない。そういう意味で先がない。同棲がせいぜいで、そこが最終の着地点だと思ってた。でもそれを保留されて……もしかしたら断られるかもしれない。実質プロポーズ保留中なんです」  弱音を吐いた糸川に、三条はようやく驚愕の表情を解き、眉を下げて両手で深く頬杖をついた。 「……ごめん。あたしだいぶ無神経だったね、彼女とか結婚とか」 「いえ、そんなことは」 「あー……、でもなんか。わかるような気がする。糸川くんが恋人に指輪を贈りたい気持ち」  頬杖に埋めた顔をふと浮かせて、見やった三条の左手には結婚指輪が光っている。 「目に見えるわかりやすい繋がり、みたいなものだよね、ほしいのは」  言葉にされて、図星をさされた気持ちになった。  一緒に暮らして糸井の生活を独占したいのも。自分の贈った指輪を所有の証として見せつけたいのも。わかりやすく自分が安心したいだけだ。 「……僕、実はけっこう不安なのかも」  糸井と、今はきちんと心を通わせ合っていると思う。糸井の全部を受け止める覚悟もある。この先、何があっても一緒にいたいと思っている。  でも、糸川がそう思っていても、続いた恋は今までひとつもなかったのだ。  始めることよりも、続けることの方が難しい。他者の気持ちが関わるなら尚更だ。 「んー……あたしみたいなのが、わかったようなことを言うべきじゃないとは思うんだけどさ」  同僚の唐突なカムアウトを聞かされたばかりで、まだ動揺も残るなか、配慮を見せながら三条は言葉を選ぶ。 「あたしなら、夫の……パートナーの不安に思ってること、聞かせてほしいと思うよ」  そして糸川と視線を合わせ、少し困ったように笑った。 「一生一緒にいる相手に選んでくれたなら、そういうのも信頼して共有してほしいと思う。信頼に足る相手だと思われたい」  あくまであたしの場合ね、と三条は念を押して手を振る。  『信頼』という言葉が糸川の胸に落ちた。  そうだ、糸川は糸井を信頼している。  糸川が糸井を受け止めたいと思っているように、糸井も糸川を、きっとその重さごと受け止めてくれるであろうこと。  言葉の足りなさを痛感したあの夜に、心を結び直して、互いにかけがえのない存在であることを確かめ合ったはずだ。 「……うん。僕もそう思います」  三条に笑みを返して、糸川は冷めかけたコーヒーに口をつけた。

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