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第9話

 妹である媛香が産まれるより少し前、和仁がこの世に生を受けて六年ほどまでは、多くの人が羨むような環境の中で生活をしていた。大きめの綺麗なマンションに住み、高価な家具に囲まれ、家政婦が一人いたおかげで掃除も料理もする必要のない母はいつも穏やかに微笑み、綺麗に着飾っていた。父はこのマンションに住んではいなかったが、それでもよく訪れては母や和仁と戯れた。父が泊っていく時は夜まで一緒にいることができるとはしゃぎ、朝に別れる時は泣きじゃくっていたものだ。  子供だった和仁は、己に与えられた環境がどれほど歪なものなのか知らなかった。なぜ家の外に一歩も出してもらうことができないのかと疑問に思うことすらなかった。しかしその意味を、歪さの理由を知るのに、否、思い知らされるのに、そう時間はかからない。  いつの頃からか、両親が何かを夜遅くまで話し合うことが多くなった。気になって覗き見たこともあるが、両親はなぜかひどく興奮したように話しており、頷き合って笑っていた。その様子は怒りや焦燥などではなく、どこか嬉しそうでさえあったように見える。そしてそんな姿を見て幾度目かの夜に、父は和仁に言った。〝これからはずっと一緒に暮らせるよ〟と。  和仁は、無邪気に父と暮らせることを喜んだ。母も嬉しそうにしていて、何も知らなかったからこそ、この時が一番幸せだったのだと思う。  父は言葉の通りそれからマンションに住み、いつものように高級なスーツを着て会社に行って、夜に帰宅した。その帰宅が徐々に遅くなっていったのは、いつの頃からだっただろう。  己がアルファであるということに誇りを持ち、常に自信に満ち溢れ優しかった父はマンションに住むようになってから日に日に荒れていき、スーツを乱しては強い酒の臭いを纏って帰ってくることが多くなった。あれほど仲睦まじく、子供の前でも愛していると隠しもせず母にベッタリだったというのに、父は苛立ちをぶつけるように母を怒鳴り、時には突き飛ばした。その頃にはすでに母のお腹の中には妹の命が宿っており、臨月だったというのに。

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