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第13話

遠くで、声がする。 まどろんだ意識の中、そう言えば散々な目に遭ったんだっけ、と櫂斗は思った。 「ショーマ、あんた櫂斗の事好きだったのか?」 亮介の声がする。ショーマもいるなら、あれからさほど時間は経っていないらしい。しかし、亮介が珍しく櫂斗の事を名前で呼んだことに、櫂斗は気付かなかった。 「あ? んな訳ないだろ。ただ、一回ヤっただけなのに、ずっと忘れられなくてムカついてたところだ」 「ふーん……」 吐き捨てるように言ったショーマと、興味が無い風に相槌を打つ亮介。櫂斗は、やっぱり亮介はオレに興味が無いんだ、と胸が痛んだ。 「……帰る。抱いてやってんの俺なのに、チラチラあんたの事意識してるコイツに、ド淫乱野郎って言っとけ」 「……気が向いたらな」 二人の会話の意味を、半分も理解できなかった櫂斗は、とりあえずショーマがいなくなる事にホッとした。 ショーマが舌打ちして出ていく気配がする。再び意識が落ちかけたとき、優しい手が櫂斗の髪を梳いた。その心地良さに、思わず声を上げる。 「ん……」 それがきっかけで意識が浮上してきた。目を開けると、ベッドの端に腰掛けている亮介がいる。 「……中、シャワーで洗うか?」 その言葉を聞いて、櫂斗は自分が何をされたのか思い出した。あまり力が入らない身体を起こして座ると、亮介の頬を思い切り引っ叩く。 怒りで呼吸が荒くなって、目に涙が浮かんだ。いくらなんでもやり過ぎだと、亮介を睨む。そして、それでも感じていた自分にも嫌気がさした。 「あんた、最低だ」 怒りを抑えた低い声で言うと、櫂斗はフラフラと浴室へ向かう。何故か亮介は無言で何もせず、じっと櫂斗を見ていた。 浴室に入ると、櫂斗は身体と中とをシャワーで洗う。よくあるラブホテルらしい造りのそこは、浴槽に照明が付いていたけれど、そんなものを点けて楽しむ余裕なんて無い。 (せめてオレがこんな性癖してなきゃ、お風呂でイチャイチャしたりできたのかな) そう思うと涙が出た。でもそれは不可能な事だと分かっている。甘いロマンチックなシチュエーションよりも、無理矢理、強引な方が好きだからだ。 櫂斗は浴室から出ると、服を着て帰る支度をする。 「先生?」 無言のままの櫂斗に、亮介が話しかけてくるけれど、櫂斗は無視して部屋を出た。 亮介は追ってこない。それが、亮介の櫂斗に対する気持ちなのだと、櫂斗はまた涙を浮かべる。 (なんか……もうどーでもよくなったな) ここまでされれば、亮介も気が済んだんじゃないだろうか。櫂斗は亮介の事が好きだけど、こんな事をされてはさすがにもうそばにはいられない。それに、少しでも櫂斗に気があれば追ってくるはずだ。 櫂斗は亮介を諦めるために、一切の感情を切り落とす。すると、疲れた、という思いだけが残った。 とぼとぼと歩いていると、いつの間にか自宅に着いていた。どうやって帰ってきたのか分からず、けれどそれを考えるのも面倒で、家に入ってベッドに倒れ込む。 「……フツーの恋愛したかったなぁ……」 櫂斗は呟いた。 女性が好きだったら。 今頃彼女がいて、母親も上機嫌で櫂斗の話を聞いてくれて、明るい将来の話ができたかもしれない。変な性癖を持つこともなく、健康的に健全に、性欲を発散できたのかもしれない。 それができなかったから、親を泣かせてしまった。 (オレは、親不孝者だ) だからせめて教師という公務員を目指したけれど、非常勤と塾のダブルワークという中途半端な結果になっている。 (亮介にも嫌われるし) 彼に抱かれたのは最初の一度だけだ。櫂斗が欲しいと言ったら、誰が入れてやるかと言われた。そして、彼の目の前で違う人に犯された。しかもそれは、亮介の発案で。 どうしてあんなことをしたのだろう? 嫌われていたとしても、あそこまでされる覚えはない。 櫂斗の目に、また涙が浮かぶ。嫌な事ばかりで疲れてしまった。 もう、何も考えたくない。 それから櫂斗は、色も音も、感情も無い日々を送った。何をしても心が動かず、何を食べても味がせず、自分の行動全てが無意味だと思うようになっていた。 生きているのが無意味だと思った。 仕事は慣れがあるからか、何も考えなくても身体が勝手に動くので、誰もそんな櫂斗の変化に気付かない。 いつものように塾の仕事が終わり、櫂斗は貼り付けた笑顔で校舎を出る。まるで人形のような生活を送り、自宅が近付くにつれて、櫂斗の顔から表情が無くなっていった。 自宅に着くと、起きている事すら面倒になり、ソファーに寝転ぶ。ゴミを集めて出す気力も無いので、部屋にはゴミが溜まり、コンビニのパンの袋ばかりが増えていく。 ふと、風の音が聞こえた。 ここのところ夜になると気温が下がって涼しいので、櫂斗は涼を求めてベランダに出る。 目下には、閑静な住宅街と、遠くに繁華街の光が密集している場所が見える。あの光の辺りが、亮介の自宅なんだよな、とぼんやり眺めていた。 すると、下でカップルらしき二人が櫂斗の住むマンションに入っていく。楽しそうに笑う彼らは、どうやらお祝い事の帰りだったらしい、華やかな正装をしていた。結婚式の帰りかな、平日なのに、と櫂斗はその二人をボーッと眺める。 櫂斗には一生縁のない事だ。 櫂斗は何かに誘われるようにベランダの柵に足を掛けた。その場に立つと、より一層涼しい風が櫂斗の頬を撫でる。危ないとか、落ちたら、という考えは全く無く、ただただ風を感じたかったのだ。 心地良いな、と櫂斗は目を閉じた。 すると身体がふわりと浮いて、今よりも強い風を感じる。 ああ、涼しい、と思った瞬間。 今までに無い強い衝撃と、グシャリ、という音を聞いた。右半身が猛烈に熱くて、けれどそれがうっとりする程気持ち良い。このまま目を閉じれば、永遠にこの気持ちよさが続くのだろうか、と薄れていく意識の中で思う。 櫂斗は意識を失った。 もう、何もかも終わりにしたかった。

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