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第15話
それから、亮介は毎日のようにお見舞いに来た。
「櫂斗が働いていた塾から、櫂斗の写真をしばらく表示しないようにしてくれって依頼があって。理由を聞いたら入院してるって聞いた。……本当に、無事で良かったよ」
彼は櫂斗の入院をどうやって知ったかを話してくれて、櫂斗は苦笑した。塾で働いていたのは母親から聞いていたけれど、会う人誰もが亮介と櫂斗の関係性を知らなかった。それに、櫂斗は彼と会っていると、やっぱりどうしようもなく落ち着かなくなるのだ。
(本当に、この人はおれの友達なんだろうか?)
そう思うけれど、櫂斗と会っている時の亮介は楽しそうだし、櫂斗を見る目がとても優しく感じるので、良い関係だったのかな、と思う。
すると、母親と波多野がやってきた。母親は亮介の姿を認めると、顔をしかめる。
「またいらしてたの? 毎日飽きもせず来るわね……失礼ですけど、お仕事は?」
不躾な母親の言葉に、亮介は嫌な顔をせずに答えた。
「カメラマンとウェブデザイナーなので、時間の都合はつきやすいんです」
「あらそう、それほどお仕事はないのかしら?……でもとりあえず、波多野さんが来たのだから、もう帰ってちょうだい」
「お母さん、そんな言い方ないでしょ?」
いつも亮介と母親が会うと、母親の機嫌が悪くなるけれど、亮介は気にしていないようだ。櫂斗、良いよ、と言って彼は病室を出て行く。櫂斗は黙ってそれを見送った。
「櫂斗、もうあの人とは会わないで」
亮介が病室を出たとたん、母親は冷たい声で言った。母親は、どうしてそんな事を言うのだろう? 櫂斗は不思議に思う。
「どうして? お母さんも、来島さんの事は知らなかったんでしょ?」
「まあまあお義母さん、買ってきたおやつでも食べましょうよ」
波多野が持ってきていたドーナツ屋の箱を掲げた。母親はそれ以上言わず、大人しく波多野の言うことを聞く。
とりあえず、母親は亮介の事を良く思っていないことは確かだ。でも、母親は亮介の事を知らなかった。何故なのか……知るには、亮介に聞くしかないと思ったのだ。先日亮介と二人で話していたから、波多野に聞いても良いだろうけど、何となく母親の前で聞くのは気が引けた。
「……あなたたちは、将来の事、考えてるの?」
「え?」
波多野からドーナツをもらいながら、母親に言われて櫂斗は聞き返す。今はそれどころじゃないし、正直身体が回復するのが先だ。
「お母さん、その話は……」
「いいえ、ちゃんと話しておくべきだわ。いつこうやって、不測の事態が起こるか分からないし、櫂斗の為に言ってるのよ」
「……」
櫂斗は黙った。付き合っていたらしいとはいえ、櫂斗にはその記憶もないから、波多野とどこまで話しているかも分からない。波多野も、そこまで踏み込んだ話はしなかった。
「お義母さん……私はキチンと将来の事は考えていますよ。ただ、彼はまだ回復途中ですし、もう少し後でと思っていたんです」
波多野の言葉で、母親は幾分か安心したようだ。ホッとため息をつき、ドーナツを食べる。
「波多野さん……」
櫂斗が彼女を見ると、彼女はニッコリと笑った。そしてその笑顔は、どこかで見たな、と思う。
(……それも当然か。前から知っていた仲なんだし)
櫂斗はドーナツを食べ終わると、いつものように急激に眠くなる。それでも、身体の回復には役立っているようで、通常より早く退院できそうだと主治医に言われた。
「眠い? おやすみ」
細切れに眠る櫂斗を咎めようとせず、波多野はそばで見守っててくれる。
おやすみ、と櫂斗も意識を手放した。
目が覚めると、次の日だった。こんなに長く寝たのは入院してから初めてだな、と櫂斗は伸びをする。
今日はやたらと寒く、外を見ると大雨が降っていた。気温が下がっているからか、怪我をした所が痛む。
朝の検診が終わり、面会時間になると亮介がやってきた。
「おはよう」
「……おはよう、ございます……」
櫂斗は挨拶をすると、彼はベッド脇の椅子に腰掛ける。
「……今日は冷えるな。少し顔色が悪いけど、大丈夫か?」
「あ、はい……」
櫂斗は居心地が悪くて視線を泳がせると、亮介は苦笑した。
「前は敬語なんて、ほぼ使ってなかったぞ?」
「そ、そうですか? ……すみません……」
櫂斗は謝ると、亮介はクスクスと笑った。笑った顔は可愛いな、と思って、櫂斗はサッと血の気が引く。
(え、おれ……男性に向かって可愛いとか……)
何を考えているんだ、と考えを打ち消した。今一瞬、胸の辺りがキュッとした感情は、普通は女性に向けられるものなのに。
(やっぱり落ち着かない……)
櫂斗は窓の外を見た。外は猛烈な雨で、こんな中来てくれたのか、と思うとなんだか嬉しいような申し訳ないような気がする。
「櫂斗?」
静かな亮介の声に、何故か櫂斗はビクッと反応した。何で? と戸惑っていると、亮介は意外にも真面目な顔をして言う。
「もしかして溜まってる? 利き手も怪我してるし、誰かに頼む訳にもいかないよな」
「え、いや、そんな事は……」
亮介は立ち上がると、生理現象だから気にすんな、とベッドに乗った。そして、ためらいもせず櫂斗の股間を撫でる。
「……っ!」
「何も考えなくていい。出したらスッキリするから」
そう言って、亮介の手が下着の中に入ってくる。ここが個室で良かったと思うのと同時に、少し撫でただけで大きく変化したそこは、亮介の優しい手つきに、あっという間に追い詰められてしまう。
(やばい、ずっと触ってなかったからか、すごく気持ちいい)
櫂斗は左手でベッドのシーツを握りしめた。しかしやはり他人にイカされるのは抵抗があって、思わず亮介の手を掴んでしまう。
「ちょっと待ってくださいっ、やっぱり、ダメです……っ」
「大丈夫だ、生理現象だから我慢するな」
そう優しく言われて、櫂斗は堪らなくなり再び左手はシーツを掴む。
「イク……イク……っ、うう……っ!」
櫂斗は達してしまった。
男の手なのにイカされてしまった、と恥ずかしくなる。久しぶりに味わう快感に、櫂斗の分身はしばらく精を出し続けていた。
「……少しはスッキリしたか?」
櫂斗は精液をティッシュで拭く亮介を見る。事務的に言った彼は、純粋に櫂斗をスッキリさせたかったようだ。
「……はい……。あのっ、おれと来島さんって、本当はどんな関係だったんですか?」
櫂斗は気まずくて、服を直されながら無理矢理話題を振る。先日答えをぼかされて、気になったのを思い出した。
「……櫂斗、どうして記憶喪失になったか、考えたりしたか?」
「……え?」
そういえば、考えた事がなかった。自分がどういう人物かを知るのに必死で、そこまで考えが及ばなかったのだ。それも当然だろう。
「脳の損傷により記憶を失くしたり、精神的ショックを受けて記憶を封じ込めたりする場合があるそうだ。櫂斗はどちらだと思う?」
櫂斗はすぐに答えを導き出した。脳には奇跡的に損傷は無いと言われたし、何より記憶を失くす直前、櫂斗は自殺しようとしていたらしいからだ。
黙った櫂斗に亮介は、知らない方がいい事もある、と椅子に座った。しかし、それでは櫂斗と亮介の関係が分からない。
「おれと来島さんの関係性は、知らない方が良いと?」
亮介は頷いた。
すると、いつものように母親と波多野が二人でやってくる。また母親は亮介を見ると、あからさまに嫌な顔をした。
「またあなた……いい加減来るの、やめてもらえないかしら」
「ちょっとお母さん……」
櫂斗は母親を止めようと口を出す。けれど、亮介に目線で止められ、口を閉じた。
「俺は俺で、櫂斗の事を大事に思っています。これは誰から何と言われようと揺るぎません」
(……え?)
母親が驚いた顔をするのと同時に、櫂斗も驚く。
友達と聞いたら曖昧な答え方をした亮介が、櫂斗の事を大事に思っていると言う。友達以下ならそんな事は言わないだろうし、と櫂斗は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
しかし母親の反応は悪かった。やっぱり、と亮介を睨んでいる。
「何かあると思ったら、そういう事だったのね。男なのに、そんな事言って気持ち悪い」
母親のその言葉に、更に反応したのは波多野だった。
「何言ってるの? 人の事情も知らないで私に彼女のフリさせて」
「え?」
今度は櫂斗が反応した。どういう事だ? と追いつかない頭で一生懸命考える。波多野はため息をつくと、櫂斗をまっすぐ見据えた。
「あなたがピンチらしかったから手助けしたけど、もう限界よ。毎日お見舞い行く為に迎えに来るし、結婚と孫の話ばっかでもううんざりっ」
「ちょ、ちょっと波多野さん?」
母親が明らかにうろたえ始めた。波多野は更に畳み掛けるように言う。
「あなたが記憶が無いことをいい事に、私に彼女のフリをしてってそこのオバサンに頼まれたの」
確かにお見合いしてから連絡は取ってたけど、友人として、それ以上でもそれ以下でもないって何度も説明してるのに、と波多野は切れ長の目で母親を見る。
「だって、波多野さんだって、年頃の女の子じゃない……」
「余計なお世話よ。万が一私が男性が好きであっても、あなたのような親と関係は持ちたくないわ」
波多野は言い切ると、戸惑っている櫂斗を見る。
「私には大切な彼女がいる。あなたはゲイで、同じ境遇だったから仲良くなった。あなたの彼女でもなんでもないわ」
波多野はそう言って、ふう、と大きく息を吐いた。言うだけ言って、スッキリしたようだ。櫂斗はまだ理解が追いついていない。
「は、波多野さんまで……? 嘘よ……何で同性でそんな事言えるの?」
母親の声が震えている。同性同士で恋愛ができるとは、本気で信じられないようだ。
「……来たばっかりだけど、帰るわね」
ほら、行くわよ、と母親を引っ張っていく波多野は、とてもキリッとしていてかっこよかった。
病室のドアが閉まると、しん、と沈黙が降りる。
(おれが、ゲイ……?)
じゃあ、と櫂斗は亮介を見た。関係を曖昧に答えたこの人は、櫂斗の何だというのか。
「来島さん? おれとあなたの関係って……」
櫂斗がそう言うと、亮介は大きなため息をついた。
「櫂斗……それは知らない方が良い」
何故なら、いい記憶ではないだろうから、と亮介は言う。櫂斗はますます訳が分からなくなり、黙るしかなかった。
「でも、俺はすごく後悔してる……」
亮介は櫂斗の左手を取る。また先日みたいにゾワッとして振りほどきたくなるけれど、グッと耐えた。
亮介はそのまま床に膝をつき、櫂斗の手を自分の額に当てる。
「ごめん…………ごめんな……」
亮介の声が震えている。泣きそうなその声は、櫂斗の胸をギュッと苦しめた。しかし、何も分からないまま謝られても櫂斗は困惑するだけだ。
「来島さん……おれとあなたに何があったのか、教えてください」
亮介は櫂斗が入院している今日まで、ずっと優しい目で見ていた。大切にしてくれているのは伝わってきている。
けれど、亮介は首を横に振るだけだ。彼はどうして、こんなに苦しそうな顔をしているのだろう? 櫂斗はますます、亮介との関係が知りたくなった。
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