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15スレイの目撃

 ――賑やかな午後の酒場に、一人の男が入ってきた。  真っ黒なマントを身につけて、頭にはフードを深く被っている。一見怪しいこの男がまったく目立たないのは、酒場が賑やかだからこそだろう。  騒ぐ団体を尻目に、男はまっすぐにカウンターまで突き進んだ。  そこかしこから大きな声が飛び交い、ジョッキを打つ音がしてはけたたましい笑い声が届く。男は少し煩しげに眉を寄せた。 「マスター」  男が呼ぶと、カウンターの中に居た中年の男が顔を上げる。 「ここは情報屋も兼ねていると聞いた。……知りたいことがある」  男は数枚の紙幣を取り出し、テーブルの上に乗せる。マスターと呼ばれた男はそれをすぐにしまうと、「何が知りたいんだ?」とサービスの酒を置いた。 「……真っ黒な瞳の男を追っている。知らないか」 「黒……ここらでは見ねえ色だな。ああでも、うちの系列の商人が王都の貴族の家に行ったとき、黒の瞳の男が居たってのは聞いたか。珍しかったから覚えてるよ、確か馬に乗ってったって話だ」 「……貴族」 「結構大きな家だ、厄介ごとは起こすもんじゃねえ」 「その貴族の名前は」  男がさらに金を出すと、マスターはニヤリと笑みを浮かべた。 「話が早いねえ。”グランフィード侯爵”って貴族のところだ。そこの息子に会ってた相手ってのが、その黒の目をしてたらしい」 「信憑性は」 「こっちも高い金出して大量に足生やしてんだ。こんなところで信用をなくすような情報は売らねえよ」 「…………感謝する」  男は酒を大きく呷ると、それをガツンとテーブルに戻す。 「グランフィード侯爵ってのはこの国では偉いさんだ。問題は起こすなよ、忠告だ」 「……こちらの世界の話なぞ知らん。我々も手段は選んでいられない」  失礼する、と付け足すと、男はくるりと背を向けた。しかし突然大量に摂取したアルコールがきいたのか、男は平気そうに踏み出した矢先、一歩進んだだけで力なく倒れた。      * 「で、数日ゆっくりさせるみたいなことをマスターが言ってたから、たぶん今くらいに王都に向かってるんじゃないかな」  レシアのいれた紅茶を一口含んで、スレイは優雅な仕草でカップを戻した。  かつてのお見合い相手であるスレイ・リックフォールがシグラたちの居るローシュタイン伯爵邸を訪れたのは、ほんの少し前のことだった。  約束をしていたわけではない。直前に連絡があったわけでもない。本当に何の予定もなく、シグラがいつもどおりクガイやレシアといちゃいちゃしながら着替えをしていたら、いつの間にか来ていただけである。  天気がいいからか、今日はテラス席を用意された。シグラがやってきた頃にはすでにスレイは紅茶を飲んでいたし、サンドイッチはすべてたいらげ、すでにお菓子まで食べていた。  正面に座ったシグラはスレイの話をすべて聞き終えて、食われそうだったお菓子の最後の一つを口に放り込む。一つだけでも食わなければと必死だった。 「んー……あいはほうほはいはふ」 「食べてからしゃべりなよ……」  ――スレイが聞かせたのは、彼が国境付近の酒場で見かけた、怪しい男の話だった。  黒の瞳という気になる単語が出たものだから、スレイは聞き耳を立てていたという。そもそもこの国で黒の瞳は見ない。だいたいの人は薄い色をしているし、グランフィード侯爵家、なんて友人の家まで出てきては、さすがにスレイも聞き流せなかったようだ。 「せいぜい気をつけなよ。あんまり外に出ないとか」 「ふんふん」  頬にお菓子を詰め込んだシグラが、緊張感もなく頷く。  後ろに控えていたレシアのほうがまだ焦っている様子だった。 「……きみさあ……何か変わった? 瞳の色、そんなじゃなかったよね?」 「……別に何も変わりませんよ」  紅茶を一口飲んで落ち着いたのか、シグラはようやく一息つける。 「雰囲気も違う。前はもっと……張り詰めてた感じかなぁ」 「張り詰める?」 「何に追われて生きてんだろうって不思議なくらい、切羽詰ってた感じ。愛想笑いばっかりでつまんない男だった。いい噂聞かないしね」  今回のお見合いに関して、スレイが一番興味を示していなかったように思う。シグラのことを嫌っていそうな雰囲気だったのも、彼いわくの”愛想笑いばっかりでつまらない男”だったからだろうか。  ローシュタイン家が従う、なんてことにも引っかからなかったから、よほど良いところの家の人間なのだろう。 「そうだ。きみ、ゼレアスと何かあった? ゼレアスが最近ぼんやりしてはため息ついて、気持ちが悪いんだよね。ちょっとうっとりしてるのが余計に目に余るというか」 「別に何も」 「ふぅん。……ルジェもルジェで、今度きみが家に遊びに来るんだってはりきってたし……オレ抜きにしてずいぶん楽しくやってるんだねえ」 「まさか」 「結婚には興味ないんじゃなかった?」 「そういえば手紙届きました? あなたのところにも送ったんですが……あれが本心です」 「ああ、あれか。あれね。あれ送られて二人とも食い下がったってことか……」  馬鹿だなあ、とでも言いたげに、スレイは遠くを見つめていた。 「オレはさあ、ローシュタインとか本当にどうでも良くて」 「でしょうね。そんな感じします。ありがとうございます」 「いいえ。……ところでそのノート何?」 「これはメモです。これから事情聴取をしようかと思ったんですが、スレイには必要ないですね」 「事情聴取?」  シグラはまだまだオメガを紹介することを諦めていない。  実は昨日、クガイに紹介されて例のサロンに顔を出してきた。そこのホストは隣国の知らない人だったけれど、メンバーにはしっかりとした家柄の人たちが集まっていたようだから、有力で大きいコミュニティなのだろう。  オメガはやはり粒揃いで、見せてもらったプロフィール情報だけならばゼレアスやルジェと合いそうなオメガも数人居た。今回スレイも結婚に乗り気なら紹介しようと思ったのだが、その必要はなさそうである。 「なかなか変な子だな、本当。……まあいいんだけど、ところで結婚式はいつにする?」 「…………え?」 「結婚だよ、結婚。お見合いしただろ。あれ? 今理由言わなかった?」 「ローシュタインはどうでもいいとは聞きましたけど」 「そうそう、そこまでは言った。そっから……あ、きみがノートなんか取り出すから最後まで説明できなかったんだ。一回謝って」 「え、すみません」 「いいよ。まあそれで、ローシュタインとかオレ的にはどうでもいいんだけど、あの二人が妙にきみに構うからさあ」  嫌な予感がする。  シグラがちらりと横目に振り返ると、控えていたレシアが緩やかに頭を振っていた。 「人のものってよく見えるでしょ? だから、結婚しよっかなって」 「……一回、一回プロフィールを教えてください。お名前と年齢と身長と体重を手始めに」 「えー……スレイ・リックフォール、28歳。189センチの85キロ。これでいいの?」 「好みのタイプは」 「さあ……オレ人のものしか狙ったことないからなあ」  最低だー!  頭の中で大声で叫ぶと、シグラはすぐに情報をメモに書き足していく。  要注意人物だ。ゼレアスやルジェなんかまだまだ可愛いほうである。スレイに関しては完全に愉快犯だし、まともな恋愛をできない可能性も高い。  こんな男にオメガちゃんを紹介なんかしたら、そのオメガちゃんが不幸になってしまうのでは……。  そんなことに思い当たってしまえば、シグラの手もピタリと止まる。シグラはオメガたちを救いたい。幸せになってほしい。その一心で、それなら近くに三人ほどアルファが居るのだしと差し出す心づもりだった。  しかしスレイに関しては、紹介するだけ不幸になる者を増やす結果にしてしまうのではないだろうか。 「人妻が好きとかですか?」 「んー、面白いことが好きだから、刺激は求めてるのかもねえ」 「そのスタンスでよく今まで刺されずに生きてこられましたね」 「だってオレ王弟の子どもだからね。しっかり守られてるし、兄さんが家継いだから結構やりたい放題なんだよね」  スレイがどうしてこのお見合いに参加させられたのかがなんとなく理解できた気がした。  自由奔放な王弟の子ども。誰にも咎められることなく生きてきて、兄が家を継いだために重責もない。本人は結婚するつもりもなくふらふらとして、悪戯に人のものばかりに手を出す。 (……それなら周囲の大人がいいかげん落ち着けって見合いさせるのも分かる……)  そんな立場だからこそ、スレイは最初っから「ローシュタイン家には興味がない」という態度を貫いていたのだろう。  その後もゼレアスやルジェのように何かを仕掛けることもなく、きっと今日だってあの二人がシグラに興味を示しているからちょっと手を出してやろうと思っただけで、誰かがシグラを探していたというのを教えたことのほうがおまけだったのだ。 「一番タチが悪い……」 「勃起の話? オレ、アルファだからでかいししっかり勃つよ?」 「そうじゃなくて」 「えー、試してみたくない? アルファとのセックス」  ――正直、セックスは気持ちがいいから好きだ。クガイともゼレアスともしたが、アルファに貫かれる快感は強烈だった。レシアには挿れたほうだったが、オメガのナカはまた格別で、シグラもとろけそうなほどには気持ちが良かった。  セックスは気持ちがいい。シグラはここに来る前から性には奔放だったが、バース性があるからかこの世界でのセックスのほうが格段に気持ちがいいのは間違いない。  セックスはしたい。でも結婚はしたくない。  恋愛に縛られるのが嫌なシグラにとって、結婚とは地獄の契約である。 「セックスはしたい」 「じゃあしよう」 「結婚は嫌ですよ」 「えー。オレ、結婚しても束縛とかしないよ?」 「結婚という契約自体に束縛性を感じるので無理です。というかそんなに結婚にこだわらなくていじゃないですか、興味ないでしょ本当は」 「全然ないよ。でもゼレアスとルジェが欲しがってるから、オレもお手つきしたいなって」 「一番友達にしたくない」  こんな男と出会ってしまったゼレアスとルジェには同情しかない。これまでも恋人が出来るたびに冷や冷やしていただろう。あの二人が28まで独身なのはまさかスレイが居たからではないかと、そんなことまで思ってしまうほどである。 「……でもオレ、あの二人よりきみに利益を与えられるよ」 「……僕に?」 「オレは、きみの”世界”を知ってる」  潜められた声は、少し離れたところにいたレシアには聞こえなかったようだ。  シグラが探るようにスレイを見つめた。しかしスレイは思考を悟らせない微笑みを浮かべて、シグラの反応を観察しているだけである。  何の確信があるのか。この世界の人間がどうして、”シグラ”の”世界”を知っているのか。嘘をついているとは思えない瞳だったから、シグラには何も測れない。  張り詰めたような空気だったからか、レシアが一歩を踏み出した。それを横目に確認したスレイは、すぐに「じゃあさ」と口を開く。 「今日はちょっと趣向を変えてみようかな」 「…………趣向?」 「あの執事くん、オメガでしょ。分かるよ、オレはオメガもたくさん食ってきたから。それも彼は、ちゃんと男を知ってるオメガだ」  その言葉に、レシアはほんのりと頬を染める。 「教えたのはきみだろ?」 「……それより、さっき言ってたことの意味は、」 「知りたいなら、オレの目の前で彼とセックスしてみてよ」 「…………ん?」  スレイがレシアを呼びつける。不穏な空気の中、客人に呼ばれた手前行かないわけにもいかないレシアは、おずおずとそのテーブルの側に立った。 「オレ、人がセックスしてるの見たことないんだよね。だから好奇心。大丈夫、孕んだら嫌だからオレはオメガには絶対触らないし……まあもしかしたらきみには触るかもしれないけど」  シグラとしては別に、気持ちが良ければ誰に見られてもスパイス程度に楽しめるけれど――レシアはどうだろうかとシグラがそちらを見上げると、緊張しているのか、レシアの表情はすっかり強張っている。 「突然そんなことを言われても……」 「いいじゃん。オレは楽しい、きみは気持ちい、彼も気持ちい。誰も損しないし」 「シグラ様……私は、シグラ様のためならば大丈夫です」  シグラがスレイの言ったことを「知りたい」と思っていると分かって、気を遣ったのだろう。  すっかり腹をくくったような顔をしたレシアが、困ったように笑っていた。

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