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不確かな約束③

「いらっしゃいませー!」  店の中は今日も暑い。  暖簾をくぐると厨房の中の熱気をうけ額に汗が滲んだ。 「はい、チャーシュー大2丁あがり!」 「はい!」  大盛りに盛られたチャーシューの上に葱とメンマをトッピング。器から溢れそうなスープを溢さないようにおぼんにのせた。  これで最後の注文だったはず。  客のテーブルから戻って小さなため息をついて、皿洗いを始めた。  この店の昼時の客入りはなかなかのものだ。サラリーマンの他、学校に近いせいか学生も多い。今日は一層客入りがよい。時計を見あげると時間は14時を回っていた。 「おお!入った!」 「すげーな!アイツ!」  ふと聞こえた声に目を向けるとカウンターに並んで座る学生2人。その制服には見覚えがあった。 そりゃそうだ。3年前まで自分がきていたものだから。  彼らがそろって見ている視線の先は店におかれた小さなテレビだった。  14インチの小さな画面に映る、今、まさにアタックを決める選手の姿。後ろに見えるのは『春の高校バレー』の大きな文字。  ……そういえば今って、そんな時期だったっけ。  皿洗いの手を止めて、しばしその映像に目をとられる。  大きな歓声とともにスパイクが決まる。駆け寄る仲間と軽くハイタッチして、高く右手をあげる姿。 「すげーなぁ!あの7番。ほとんど外さないぜ?」 「お前しらねぇのかよ!あれ1年だぜ!俺たちと同じ!」 「ええ!?マジで!」    横から先ほどの学生の会話が聞こえてくる。だてにバレーの名門とまで言われるような高校ではないようだ。  ……あいつみたいな奴もいるもんだな。  映像を再び見上げた。再びアップになったのはバックラインからサーブを決める、7番の後ろ姿。 「……」  しばらく言葉を失ってしまった。背格好は似ていない。髪型も雰囲気も何もかも違う。  なのに…… 「お!また入った!」 「今年もいけるな、全国」  さっきまではっきり聞こえた会話が急にぼやけた。  俺の視界に映っていたのは何度もサーブを打って首を傾げる、あの時のままのあいつの姿。  ………イヅル 「おい、何してんだ。洗いもん溜まってるぞ!」 「あ、スミマセン」 「……それ終わったら休憩な。とりあえず休め」 「はい」  間近で怒鳴られてハッと顔を向けた。険しい顔の店長がすぐ隣にいてようやく我に返った。あまりの客入りに疲れたとでも思われたのだろうか、店長の気遣いに弁解をしようとしたが頭がうまく働かなかった。  ドクンドクンといまだに大きく鼓動が響いている。  ーー2年前。  イヅルからメールがきたときは、スマホを持つ手が震えた。内容は見なくてもわかった。おそらくもう自分の目標を達成したということだろう。  ……正直、焦った。  どうしたらいいのかわからなかった。だって、俺はまだ何もかもが中途半端なままだったから。  まだ就職もしてなければバイトすら決まっていなかった。目指したい道はなんとなく見えてきていたが何も形になってはいない。  ……まだ、早いと思った。  だからメールは返さなかった。  番号も変えて、自分から敢えて連絡をたったんだ。  なのに……  ――こんなことで狼狽えてどうすんだ。  小さくため息をついて、蛇口をひねった。冷たい水の刺激。今まで考えていたことを全て流しきるように皿洗いに集中した。 「らっしゃい!」  ふと聞こえた店長の声。  昼の時間はもう終わりだったはず……と時計を見れば、あと数分だった。ちらりと店長に目を向けると、早くオーダーをとれと顎で合図される。皿洗いを中断し、暖簾をくぐった。 「らっしゃいませー。ご注文は」 「……え」  グラスの水を持ち店内にでた瞬間、驚愕したような声が聞こえた。やけに聞き覚えのある声だと思った。低くて穏やかで心地よい、声。  ……幻聴か。  全くさっきまであんなことを考えていたのがいけなかった。そんなことを思った自分に軽く笑いながら顔をあげた。 「ヒナ……?やっぱりヒナだよな……?!すげー……なんだこれ……」 「え……」  思わず手にもっていたグラスを落としそうになった。  それは幻聴でも幻覚でもなかった。今の今まで考えていたヤツがいきなり目の前に現れていたんだ。これで驚かないはずがない。  だいたい、イヅルは都心のチームに所属しているはずだ。こんなところにいるはずは…… 「ヒナ……本当にヒナだ……すげー、なんで?マジで…」 「お、まえ……どうして……なんでこんなところにいんだよ……」  馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返すイヅルに、ようやく出たのはそんな言葉だった。  無意識に一歩後退りしたが、手が素早く掴まれる。確かにある暖かい感触。夢でも幻でもないようだ。 「試合。今、こっちでやってんだ。明後日には帰るけど」  そこまで言ったイヅルが優しく笑った。  瞬間、ようやく収まりかけていた鼓動が再びバクバクと早まって、頭の置くまで鳴り響いた。  ……本当に、イヅルだ。  すぐそこにイヅルが……イヅルがいる。  これが現実だと実感したとき、俺は咄嗟に顔を下に向けていた。腕さえ掴まれていなければすぐにでも、ここから駆け出して逃げ出したい気持ちだった。  何も考えられない。何も言えない。ただ、今すぐ立ち去りたい。 「ヒナ?」 「おい、休憩はいっていいぞ!」  固まったままの俺を見かねてか、暖簾の奥から店長が口を挟んできた。俺とイヅルの様子をみて何かさとってくれたようだ。  店長の配慮に戸惑いながらも、仕方なく俺はイヅルと店の裏にでていった。

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