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不確かな約束⑤
会場からホテルまでの中間地点。ちょうどそこは俺たちが通っていた高校だった。
坂道を上がった場所にあるそこは、ホテルまでの道からはそれている。通りすぎるだけ……そのはずだった。
けれど実際にそこに通りかかるとそのまま通りすぎることなんてできなかったんだ。
……懐かしい。何もかもが。
ここを毎日のように行き来して朝練をした。この坂道を上って辛い練習を終えると、教室にはいつもアイツがいた。
「……」
気付いたら、毎日通った長い長い坂道を一気にかけあがっていたんだ。
途中、母校の制服を着た学生と何度かすれ違った。チラチラとこちらを伺う視線。ようやく見慣れた門と校舎が見えてくる。そこにたどり着くと一瞬だけ立ち止まり再び走り始めた。
それ以上いたらそこから動けなくなってしまいそうだから。
でも、たった数秒間そこにいただけで、俺の胸の中に高校時代の出来事が途切れ途切れによみがえった。
……会いたい。
また、あの頃のように。
くだらない話をして笑い合いたい。
胸の奥にじわじわと感じる痛み。それがすぐにかなえられない願いだとわかっているから。
ため息を一つはいて坂道をのぼりきった。大きな道路に突き当たる。せっかくここまであがってきたんだ。どうせ進行方向だしあそこにも寄っていこう。
そんな軽い気持ちで向かったのは学生時代によく利用したラーメン屋だった。
これほど偶然に驚いたことはない。運命なのかとも思った。
まさかそこでアイツに会うなんて微塵も思っていなかったんだから。
◇
『調理師を目指す』
頭に手拭いを巻いたヒナが笑った。それはいつも髪がどうのこうの言っていたあの頃では想像できない姿。はっきりと言い切った言葉も、固まった意思を表すような強い眼差しも、あの頃とは違う。
……変わったな、お前。
それはとても嬉しくもあり、なぜだか少しだけ寂しくもあった。
俺は……どうだろう。
俺はヒナの目にはどう映っているんだろうか。
そんな疑問を飲み込んだ。
「……それにしてもさ、ほんとになんでここなんだ?なんかお前ってそういうとここだわりそうなのに」
「あー……まあ、いろいろとさ、考えて……」
「?」
なぜかヒナの言葉の歯切れが急に悪くなった。視線を泳がせて明らかに動揺しているようだ。
こういう素直なところは変わっていないな。
「いろいろってなんだよ。教えてくんねぇの?」
「いや、そういうわけじゃ……ない……けど……」
「ヒナ?」
「……っ、あ~~っ!もう!」
顔を覗きこむように近付けると、ヒナが驚いたようすで目を開いた。すぐに視線をずらして、照れ隠しのように声を荒げる。頭にまいていた手拭いを外して、小さく折り畳んだり広げたり、落ち着かない。そうしてしばらく沈黙が続いた後、ようやくヒナが言葉を発した。
「……なんか……なんだろうな。ただ、懐かしかったっつーか……ほら、俺ら学生んときよく行ってたろ?覚えてもらってたっつーのもあったし、それに……」
そこで一旦言葉を区切って、こちらを向いたヒナと視線があう。
「……ヨユーなかったから、さ……」
「え?」
ボソリと。
小さな声で呟いた隣の顔に目を向ける。折り畳んだ手拭いで顔を覆って、再び俺から視線をそらせた横顔。
でも、わずかに赤くなった耳までは隠せていない。
「とにかく早く……早くバイトして、資格とりたかったから。とって……お前に会いたかったから……。」
「ヒナ……」
……やっぱり、ヒナはヒナだ。
少し成長しただけ。何も変わっていない。
そう感じたら堪らなく胸が熱くなった。
「つーかさー、まだ会うつもりなかったのになぁ~……」
そういって苦笑するヒナにつられて、俺も笑った。話を聞けばバイトをはじめて2年たって、もうじき試験だそうだ。
……2年もここでヒナがバイトをしていた。
なんだか想像がつかなかった。だって俺の中のヒナは、まだあの時のまんまなのだから。
遅刻ばかりしてるんじゃないだろうか。
つまみ食いしたりしなかったんだろうか。
そんなことを思うと、声にだして笑いが漏れる。
「?何笑ってんだよ、イヅル」
「や、なんでもねぇよ」
「なんでもなくねぇ。なんだって!」
「なんでもねぇってば」
くだらない言い合い。もちろんお互い本気じゃない。口元には笑みが浮かんだ。
本当にあの頃に戻ったようだった。離れていた時間など微塵もかんじない。ずっとこうして過ごしていた気がする。
そんな錯覚を抱いたときだった。
「……あ、わり。そろそろ行かなきゃ」
携帯を取り出して、時刻を見るなりヒナが申し訳なさそうに呟いた。途端になんとも言えない焦燥感が胸の中に沸き上がる。
これで……このままでいいのか?
何か言うことがあったんじゃないのか……?
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