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不確かな約束⑥
「あ……あのさ!なんでお前調理師になろうと思ったんだ?」
立ち上がろうと膝に手をおいたヒナにふいに投げ掛けた疑問。
……何を言ってるんだ俺は。
引き止めたい一心でそんな言葉をつい口にしてしまった。
ヒナはバイト中だ。戻らなければいけないことはわかっている。たんなる時間稼ぎにしかならない。迷惑だ……でも……。
ヒナは少し困ったように携帯をもう一度見て、まだ少し余裕があるのか口を開いた。
「理由とか……よくわかんねぇけど……なんか、さ……」
いいにくそうに口籠もる。頬が少し赤く見えるのはまだ先ほどのが残っているから……それだけだろうか。
携帯を閉じ、ヒナが立ち上がる。
ああ、もうこれで行ってしまう。
……また俺はヒナからの連絡を待っているしかないのか?
そんな思いに胸の中を葛藤が渦巻く。
「なんか……お前、いつもハンバーガーばっか食ってただろ?」
うなだれるようにうつむいた俺に向かってさらりと言われた言葉。咄嗟に顔をあげると、きゅっと頭に手拭いをまきなおして、苦笑する姿が視界に映った。
「……なんてな!や、お前、どーせ今だってちゃんとした飯とか食ってねぇんだろ?」
「あ、ああ」
「やっぱりなぁー!お前、一応プロなんだろ?体調管理も仕事のうちなんだぞ」
「ああ、……え?」
先ほどの一言を流すようにヒナが続けて喋りだした。不自然なくらい早口だし、赤くなった頬が今度は目に見えてはっきりわかる。
それでも俺はさっきのヒナの言葉が頭から離れなかった。
『お前いつもハンバーガーばかり食べてただろ?』
呟かれた言葉が頭の中をぐるぐると回った。
……それは一体どうゆう意味だ?
俺がいつも食べていたから……?
俺が……
俺の、ため……?
「……じゃあ、な」
「ーー……っ」
意味深な言葉にはっとしたところで聞こえた一言。その言葉を言い残してヒナが店へと戻っていく。
ーー早く。
早く声をかけなければ。
……でもなんて?
『またな』
そう言えばまた……いつものように過ごす日々が始まることはわかっている。
ここであったことは、たんなる偶然。まだ会うべきときではなかった。なかったことにして、俺はまたヒナからの連絡を待ち続ける日々。
少し冷たい風が吹いた。
ヒナの後ろ姿が遠ざかっていく。
……こんなチャンスをなかったことにしていいのか?
運命じゃなくて偶然だなんて
そんな言葉で片付けて、本当にいいのか……?
これで別れたらもう会えないかもしれない。
もしヒナが試験に落ちたら……
受かってもそれが彼の納得のいく姿じゃなかったら……
そうじゃなくたって、明日、明後日の保証なんてどこにもないんだから。
「っヒナ!」
気付いたら立ち上がって声をかけていた。店に戻ろうとしていたヒナがふと足を止める。
「……明後日の試合、これないか?」
意を決して告げた言葉に、ヒナは視線を泳がせた。明らかに動揺しているようだ。そりゃそうだろう。さっきまでは地雷を踏まないようなお互い探り合いの会話しかしてなかったのだから。
3年前の約束を破るような、こんなことを言われても困るだけだろう。
案の定、俯いて呟かれたのは言いにくそうな言葉だった。
「あー……でもバイトあるし……」
「14時からだから。多分夕方までいるし……待ってる。」
「イヅル……」
迷ってるのはわかった。
断るべきだ。そう思っているはずのに、ヒナは即答しなかった。
……ヒナも俺と同じような気持ちなんだろうか。
視線がしばらく交差して、そのままヒナは何も言わずに、店の中に戻っていった。
結局、電話もメールもきかなかった。
いや、聞けなかった。
でも……
「ふぅ……」
俺はヒナが店に戻って数分した後小さく息を吐いて、そうして来た道を戻るべくゆっくりと立ち上がった。
先ほどよりも太陽が雲に隠れて、涼しい風が吹いた。なんだか清々しい気分だ。
ーー明後日。
ヒナは必ずくる。
信じている。
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