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第2話

 広めの浴室だ。男ふたりでも窮屈には感じない。  こういうことをすると見越して、田辺はこのマンションを選んでいた。まだドライな関係から発展してもいないのに、未来に希望を繋ごうとしたのだ。夢を見ることに躊躇しないところが、田辺にはある。 「朝ごはん、なに?」  長いキスの合間に、大輔はひっそりと相手を見つめながら問いかける。答えは甘い吐息になってくちびるに触れた。 「目玉焼きとベーコンとサラダ。それからクロワッサン」 「ヤクザの朝は、おしゃれだねー。ソタイに食わせるモーニングじゃねぇよ」  笑いながら答えた大輔のくちびるを、田辺の親指が静かになぞった。  大輔は県警の組織対策本部に所属する刑事だ。そして、田辺は関東随一の大組織・大滝組(おおたきぐみ)に関係するヤクザ。  本来は、追う者と追われる者だが『情報をやりとりする協力者』という名目がある。 「大輔さん、少し、黙ろうか」  田辺の指先が、するりと大輔の下腹をくだっていく。萎えたはずのものは、田辺のキスで熱を持っていた。指に絡め取られると、昨日の夜が物足りなかったと言いたげに膨らんでいく。  大輔も、田辺の欲望へ手を伸ばした。    こちらはもう脈を打つほど硬い。 「朝から、おまえ……。エロい」 「寝顔でマス掻こうかと思った」 「やめろよ。顔射で起こされるなんて最低だ。……っ」  田辺の指が的確に動き、大輔の息が乱れる。快感へ集中すると、すぐに射精欲が募った。 「……あっ、……はぁっ」 「あんたがエロいから、俺がこうなるんだよ」  田辺の腰が、大輔の手筒の中で揺れる。手を動かしてやろうと思っても、与えられる快感が強くてうまくできない。 「あ、あっ……。ちょっ、とっ……」  手の動きをゆるめてもらいたかったが、田辺は受け入れなかった。 「寝起きでイクところ、見せて。立っていられる?」 「無理……っ」  答えると、田辺はシャワーヘッドの向きを変えた。水流が壁を打つ。大輔はそこへ追い込まれた。温まった壁が背中に当たる。 「あやっ……」  片手で田辺の性器を握ったまま、もう片方の手で首筋を誘う。舌を絡めながら胸が触れて、根元からしごかれる。欲望で膨らんだ先端が田辺の肌とこすれ合い、大輔はたまらずに背をそらした。伸び上がると、またくちびるを吸われ、田辺の手筒に射精を促されていく。  絶妙な動きに身を任せながら、大輔は快感でまなざしを濡らす。  性感の熱がじりじりと身の内を焼き、そのせつなさに耐えかねて田辺に訴えかける。  キスをしたまま、互いの手を入れ替えた。それぞれに自分のものをしごきたてながら、視線を交わし、くちびるを貪り、ゴールへ駆けあがる。 「んっ、ん……」  射精の瞬間、大輔は顔を背けようとした。そのあごを、田辺が押さえてくる。  欲望の溢れた目で見つめられて、腰が震えた。熱のかたまりが下腹から溢れ出し、息を詰めて見つめ返す。田辺の目元も歪み、互いの肌に白濁した体液が降りかかる。 「……大輔さん」  息を乱した田辺のキスは、欲情の滾りを見せたわりに落ち着きがあって優しい。いつものことだ。 「あや……」  呼び返した大輔は、肩で息を繰り返す。 「うん」  くちびるを閉じたまま、田辺が満足げにうなずいた。  田辺の下の名前は、恂二(じゅんじ)だ。『恂』の字に『あや』の読みはない。田辺は書類上に出ない情報源だから、漢字表記をあいまいに覚えていたのだ。大輔が『絢(あや)』の字と混同して間違え、そのままになっている。  田辺も、そう呼ばれるのが好きだと言った。  本心かどうかは一目瞭然だ。田辺の顔には穏やかな微笑みが浮かび、ほかの誰も使わない呼び名を喜んでいる。  胸の奥がざわめき、大輔は指先で田辺の首筋を撫でた。そして、ゆっくりと耳たぶを揉む。くすぐったそうに身をよじる田辺が、やがて笑い出す。 「……朝ごはん、食べないとね。……遅れるよ。前に置いていったシャツは洗ってある。アイロンはかけてない」  あんまりピシッとしていると、女でもできたんじゃないかと部署の同僚たちがおもしろがってうるさくなるからだ。 「うん……」  離れがたくて、大輔はなおも耳たぶを揉んだ。田辺の手に引き剥がされ、いたずらをたしなめる瞳で見つめられる。 「来週は、二連休だから」  大輔が言うと、 「それまでは泊まりに来ない?」  田辺はなに食わぬふりで返してくる。  とっさに言葉が詰まった。答えられない大輔を見て、田辺はすぐに首を振った。 「嘘だよ、嘘。来週まで待って、たっぷりしよう。腰が立たなくなるぐらい、かわいがるから」 「……おまえ、それは……ダメだ」  大輔は急にしどろもどろになってうつむいた。仕事上の駆け引きだと思っていたときはさらけ出せた欲望も、深い関係になり、いざ恋人として付き合い始めると恥ずかしくてたまらなくなる。  田辺のかわいがり方を思い出して困惑する大輔のあご先が男の指でくいっと持ちあげられた。キザな仕草にさえ、ときめいてしまう自分のうかつさが疎ましい。  けれど、一方では、震えるほどに心が燃えている。 「そっちこそ、反則スレスレだ」  女泣かせの甘い目元をした田辺が、ヤクザらしい獰猛さでギラリと瞳を光らせた。それは一瞬のことだ。すぐに理性的な表情に戻り、無理強いせずに引く。  どちらが、本当の彼なのか。大輔はあまり真剣に考えたことがない。  田辺が生業にしているのは詐欺だ。切った張ったがあるわけじゃない。それでも組織で生きていくことはたやすくないから、獰猛さも、鋭さも、内に秘めている。  それは当然のことだった。優しいだけの男は、周囲に食い潰されて終わる世界だ。  ギラつく本心を、めいっぱいの上品さで隠している田辺を引き寄せ、大輔はまっすぐに視線を向ける。二面性のあるまなざしの複雑さが、単純に生きてきた大輔には眩しいほど魅惑的に思える。  もう一度キスがしたくなって、強引に引き寄せる。  紳士的な冷静さを剥ぎ取ってやりたいと思ったが、なんとか耐えてやり過ごす。  ここでキスしたら、少なくとも午前中は出勤できなくなる。それは困る。大輔にとって仕事は命の次に大事なものだ。  いままではそうだった。しかし、不動の一位が揺らぎ始めている。  どれぐらい、この気持ちが伝わっているのだろうかと考えながら目で追う。  なにも言わずにシャワーを掴んだ田辺は、互いの身体を流し始めていた。

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