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第6話 「ドレッサージュの君」
「あの……っ、レナードは、その後……「あの方」とは、どうなったのですか?」
「あの方?」
「その……昨夜、ぼくにお話しいただいた、方です。あなたが、ずっと探していると」
「ああ……」
初夜明けの朝食の席でする話題ではないかもしれないが、オデルは勇気を出して伴侶へ切り出した。まだ「ドレッサージュの君」という固有名詞を口にすることはできなかったが、オデルはレナードよりも早く起き、入念に顔を洗い、身支度をして身の振り方を決めると、果敢に気持ちを強く持つことにした。
レナードの愛情がオデルに向けられなくとも、金銭的援助を含む多大な貢献で、ローズブレイド公爵家を救ってくれた事実は変わらない。さらに、初夜に誘惑にも負けず、オデルの処女を守った上で「ドレッサージュの君」という秘密も、誤魔化さずにちゃんと伝えてくれた。オデルはそれを借りだと思っていた。与えられた恩を返すためにも、オデルはレナード自身はもちろん、彼の想い人のことも認められるようになりたいと思った。
貴族社会の中には、大っぴらにできない関係を持つ者もいると聞く。当主としての義務を果たし、子をもうけたあとで、正式な伴侶とは別に愛人を持つ例も皆無とは言えない。レナードが「ドレッサージュの君」を見つけたあと、オデルと離縁するかはわからないが、少なくとも伴侶である間は、レナードの幸福追求の権利を許容ようになりたいと、オデルは手探りを試みていた。
「昨夜の話の、続きが気になって……。途中で眠ってしまわれたので……」
オデルがおずおずと尋ねると、レナードは意表を突かれたように目を瞠った。
「すみません、不覚を取りました……私の方が先に落ちてしまうとは……。格好悪いところを見せましたね……」
「いえ。別に……お気になさらず。それより、その」
「ああ、オデル」
弁解をはじめたオデルに、レナードがはにかむように笑んだ。意表を突かれ、オデルが黙ると、ゆっくり首を横に数回、振りながら、レナードはため息とともに呟いた。
「私の気持ちを知っているのに、あなたは、少し意地悪です」
「そ、うでしょう、か……。あの、は、話したく、ないのでしたら、無理には……」
「いいえ。ただ、少し驚きました。そんなあなたのことも、好ましいです。……オデル」
「っ」
名前を呼ばれると、狼狽する。レナードの静かな低い抑揚は、心臓に悪い。重ねて、恋敵となる地位にいるオデルが「ドレッサージュの君」のことを気にすることを、牽制だと捉えられはしないかと、細心の注意を払う必要に気づく。レナードの表情を慎重に観察するが、そこには新鮮な驚き以上の感情は存在しないように見えた。
「朝からこの話題は、少し刺激が強すぎやしませんか?」
「そう……だったでしょうか……? す、すみません、つい」
確かに、褥の中でした話を外へ持ち出すのはルール違反かもしれない。そんな小さなことにすら気が回らず、慌ててしまう自分を、オデルは後悔すると同時に、誤解されないよう最低限の線を引くことだけはすべきだと決めた。
「ぼくは、ただ……あなたのことを、ちゃんと知っておきたいと思っただけなのです。例えばこの先、不測の事態が訪れても、心構えがあれば、乗り切れると思うのです。ですから」
決して敵ではないのだと、レナードに理解して欲しい。ローズブレイド公爵家を救ってくれた恩を仇で返す真似はしないと、少しでいい。愛されていなくともいい。信頼が欲しかった。
「オデル……私は困ってしまいます」
「あの、ぼくは、眠ったことを責めているわけではないのです。それに、答えたくなければ別に、無理には……」
「わかっていますよ」
赤面したオデルを視界に入れたレナードが、表情を緩ませる。
「あらたまって訊かれると恥ずかしいですから、これ以上は許していただきたいのですが……」
レナードは満ち足りた顔を綻ばせ、はにかんだ。逸らされた話題を元に戻すのは礼儀に反する。レナードの主張にオデルは納得するしかなかった。
(こんな顔、初めて見る……)
その瞬間、つと胸が痛むのを自覚した。ないとおもっていた嫉妬心めいたものが、心に暗い影を落とす。レナードの想いは昨夜、しっかりと思い知ったはずだ。これ以上、悪いことにはなるまいと思ったが、気まずい空気を払拭したくて顔を上げると、鳶色の双眸がオデルを包むように優しい光を湛えていた。途端に鼓動が速くなる。
(おかしい……こんな、の)
散々、政略結婚だと高を括った対応をしてきたことへの、罰だろうか。女王陛下のお気に入り、という言葉を頼りに記憶を手繰り寄せてみたが、レナードより年下の、高位にいる貴族の嫡子のアルファ、という条件で絞り込んでも、心当たりが多すぎた。
オデルの第二性別が判明すると、ローズブレイド公爵家の血筋からオメガが出たことに、女王は心を痛めておられると伝え聞いていた。頻繁に開かれていた王室主催のお茶会にも、出席を見合わせることが多くなったオデルを、女王がどう感じていたかを知る術はない。ただ、借金まみれになってしまった直後の夜会には、ローズブレイド公爵家は招待されなくなっていた。父の体調と、オデルがオメガであることを慮っての、陛下のご配慮によるものだと、あとから手紙とともに伝えられ、経済的に助けられたことは確かだったが、溝を感じる程度には、オデルが参ってしまったのも事実だ。オデルが代理で出席する道すら拒まれたと感じ、それこそが、オメガを排出したローズブレイド公爵家に対する隠れたメッセージではないか、と疑心暗鬼にならざるをえなかった。
おまけに、イングラム男爵家の血と財産を手にしたローズブレイド公爵家は、最早、女王の言うところの、純粋で正当な貴族の血統とは認められなくなってしまったのかもしれなかった。
「オデル?」
「あっ、はい……」
物思いに耽ってしまったオデルに、レナードが優しい声で主張した。
「あなたが覚えていてくださって、嬉しいです。オデル。……できればこれから先も、私の寝物語に付き合っていただけますか?」
「ええ……。ええ、もちろんです」
強張らない程度に取り繕い頷いたオデルに、レナードはしんみりした顔をした。これで「ドレッサージュの君」に関する話題は、ふたりの間で共有して良い話だとみなされたことになる。オデルが内々に「ドレッサージュの君」とレナードとの絆を認めたとして、本当に信頼し合える関係になれるかどうかは、正直わからない。だが、伴侶が認めた関係性に昇格したことが嬉しいのだろう。レナードは「ありがとう、オデル」と歯を見せて笑った。
あまりにも明け透けなレナードの言動に、暗澹たる気持ちになりかけたオデルは、密かに自分を叱った。現状、ローズブレイド公爵家は、レナードに縋り付くようにして助けてもらっているのだから、これぐらいは許容しなければ。
自分から話を振ったのだ。オデルは少し弱気になり、顧みなくていい過去を思い出した。バレット・アシュリーとの過去を、オデルはレナードに話していない。贖罪を果たす意味においても、レナードに尽くそうと思う気持ちに嘘はなかった。
花嫁にも、恋人にも、なれないとしても、せめて友人に。
良き理解者に。
相談相手に。
抱き合えなくとも、そうした関係を築くことは可能だと、オデルは信じようとした。
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