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第14話 フレイムトラスト社
イアンに電話したその足で、フレイムトラスト社を訪れたオデルが受付で名を名乗ると、すぐに奥へと通された。
教育が徹底されていて、対応が早い。一方で、オデルの名を聞くなり、じろじろと好奇の視線を向けられて居心地が悪かった。新聞社が特ダネにしている飯の種が、わざわざ根城を訪ねてくるとは何事かと思われたのかもしれない。
二階の編集室でしばらく待っていると、編集作業室と書かれたプレートのある扉を開け、イアンが出てきた。
「オデル、歓迎しますよ。ゆっくりしていってください」
振り返ったオデルへ笑みを見せたイアンが、ガラス窓から中が見えるつくりになている「編集長室」と記された扉を開け「こちらへどうぞ」とオデルを招いた。
「ありがとうございます、イアン。締め切り前だと聞きました。忙しいのでしょう?」
オデルがおずおずと切り出すと、イアンは肩を竦めた。
「やれやれ、サボろうとしているのがバレた」
二言目にはこの調子で冗談を言うイアンに、オデルは思わず釣られて笑ってしまう。場をほぐそうと気遣ってくれるイアンに、オデルは感謝するとともに単刀直入に切り出した。
「例の件、どうでしたでしょうか?」
「ああ。まずはこれを。こいつは、相当まずいことになっていますよ」
「そうですか……」
イアンが言うことなら、信頼できる。オデルは暗澹とした気持ちになりながら、イアンから渡された調査書を眺めた。タイトルには「アシュリー商会について」とある。ロイヤル・アスコットから一週間が経っていた。オデルはあの後、レナードには内緒で、イアンにアシュリー商会の内情を調査できないか依頼していた。レナードには話せないと言うオデルに、イアンは渋ったが、結局、調査を自ら引き受けてくれたのだ。
「結論から言うと、とてもじゃないが、自力で立て直すのは難しいでしょう。よほど大口の投資家から資金を融通できれば話は別ですが……この手の事例は、すぐ潰れます」
イアンは自ら紅茶を淹れながら、話し続けた。
「アシュリー商会の代表のバレット・アシュリーですが、ロイヤル・アスコットで、顔の利く貴族相手に商談を持ちかけていたそうです。それも、かなりしつこくね。おれが知っているだけでも、爵位持ちが五人、餌食になっています。いずれも、運転資金を融通してくれたら、半年後には倍にして返すとか……」
「……」
沈黙するオデルに、イアンは進言した。
「悪いことは言わない。アシュリー商会はやめておいた方がいいです。投資なら、別口を紹介しますよ」
芳しい茶葉の匂いが、イアンから渡されたカップから立ちのぼる。こうしている間にも、バレットの会社の借金が嵩んでいるのだと考えると、寒気がした。
「……お願いがあります、イアン」
身投げを匂わせたバレットの投げやりな匂いが、あれから脳裏を離れない。見ぬ振りをすれば、見殺しにしたことになりはしないだろうか。それとも、離れていった初恋を、繋ぎ止めようとする、愚かな行為だと嘲われるだろうか。
オデルは薬指から、あの歪な形の指輪を抜いて、イアンの前に置いた。
「この指輪を担保に、お金を借りられないでしょうか?」
「何ですって?」
驚くイアンに、オデルは付け足した。
「理由は言えません」
レナードにも話せない。イアンにも、言えない。バレットにだって、余計な真似を、と軽蔑されるかもしれないとわかっている。だが、かつては親密だった人の窮状を知りながら、放っておくのは、バレットを死へ追いやることと同義ではないか。
持つ者の傲慢だと蔑まれるかもしれない。手切れ金だと思われる可能性もある。きっとプライドを傷つけることになる。でも、命はひとつしかないものだ。
「それ……レナードに貰ったものでしょう?」
「はい」
「ふむ……」
しばらく考え込んだイアンを前に、オデルはきゅっと唇を引き結んだ。部屋の空気が重たく沈む。インクの匂いに、休みなく動く輪転機の音。タイピング音が部屋の外から漏れてくる中、イアンは深く深呼吸をすると、頷いた。
「いいでしょう。小切手でいいですか? 幾らぐらい必要でしょうか?」
何も聞かずに頷いてくれたイアンに、オデルは安堵し、茶器を机の上へ置いた。震える指をかばい、握りしめる。大きすぎる決断をしたことの代償を、考えないよう努めた。
「ありがとうございます。その……この指輪の値段を、イアンならご存知なのではないかと思うのですが」
結婚する際の持参金としてレナードから提示された金は、すべて借金と利子の返済に充ててしまっていた。ローズブレイド公爵家の財産は、レナードが不良債権とともに引き継ぎ、すべて精算していたが、共同相続である以上、公爵本人、つまりレナードの許可なく、一部であっても動かすことはできない。
「もし可能なら、底値で預かっていただけませんか。お金はなるべく、早く返します」
できるなら指輪の代金の八割をアシュリー商会にやり、残りの二割を運用に回し、利益を返済に充てる。オデルの決断に、イアンはしばし思案顔だったが、やがて了承した。
「では指輪の代金と、一万ポンドの小切手を別で切りましょう。きみには二枚の小切手、指輪の分と一万ポンドの分を預けます。何に使うかは詮索しません。記事にもしませんから、ご安心を」
「えっ、そんなには……!」
額面に驚いたオデルが顔を上げると、イアンは強張った表情を緩めた。
「借金の怖さは、きみが一番よく知っているはずだ。返却にも元手が要るでしょう。期限は特に定めませんから、有意義に使ってください。出世払いということにしておきます」
「恩に着ます、イアン……」
指輪の正確な金額は、小切手を入れられた封筒が閉じられていたため、わからなかった。だが、おそらく貴族の邸が優にひとつ買えるぐらいの額だろうと察しがついた。二通のうち、指輪の代金をバレット宛てに郵送し、一万ポンドを元手に、返済金をつくる。バレットの命と、アシュリー商会の社員らの当分の食い扶持が賄えるなら、どう思われようとかまわなかった。
「このことは、あの……」
おずおずと最後の願いを口にしようとするオデルを察し、イアンは肩を竦めた。
「レナードには内緒、ですね。大丈夫。おれは嘘と冗談が得意ですから、黙っていますよ」
「……すみません」
こんな我が儘を、何も聞かずに呑んでくれるイアンに、感謝を述べようとすると、止められる。
「謝ることはありません。きみは堂々としていればいいのです。どんな理由があるかは知りませんが、そんな顔をするのでは、友人として協力しないわけにはいきません。大丈夫。他言はしませんよ。あいつにも、誰にも」
さすがにこのことを知ったら、レナードも怒るだろう。イアンもそれがわかっているのか、声が少し上ずっていた。それでもオデルの判断を止めず、理由も尋ねずにいてくれるのは、いずれ、それがレナードのためにもなると信じてくれているからだ。
「何、いつか、借りを返してくれれば、かまわないですよ。おれは懐の広い人間なのでね」
「ありがとうございます、イアン」
罪悪感を振り切るかのように礼を言うオデルに、イアンは軽く頷き、笑ってみせた。
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