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第24話 我が儘(*)
「ぁ……ん、んく、っ」
レナードの膝に体重を預け、オデルは甘い快楽を我慢していた。
「そうですか、イアンが……」
「ぁ、あっ……、っので……、あなたの、好み、を……っ」
オデルがイアンの話をはじめた時、レナードはどこか上の空だった。シャツの上からオデルの胴体を柔らかく撫で、オデルが少しばかり具体的なことを尋ねはじめると、レナードは、問いには直接、答えず、オデルの胸の飾りに行き着いた。
「レ、ナード……?」
「彼の言うとおりかもしれませんね。しかし、それについて言及されるのが、そもそも悔しいですし、なぜきみは、私という伴侶がありながら、先にイアンを選ぶのですか……? 少し、妬けます。私が気分を損なうことを、見抜かれているのも、不愉快です」
そう続けながら、レナードはオデルの粒を、きゅっと少し乱暴に摘まんだ。
「ぁ、んっ、はぁ、っく、ぁん、っ……」
その夜のレナードは、いつもより少しだけ、意地が悪く感じられた。オデルを膝の上に乗せたまま、シャツの上から温もりを味わうように撫で、互いの熱を確認するのは変わらなかったが、いつもなら、もう少し注意深く、もう少し柔らかく、優しささえ感じるのに、まるでオデルがしたことへの意趣返しを、多少の手荒さとともにしているような気さえした。
「レ、レナー……ッ、それ、だ、め……っ」
「それに、私のことを、拒絶など」
「ぁ、ん……っ」
「そんな風に教えた覚えは、ないのに」
円を描くように尖りの周囲をさすりながら、音を上げる時を待っているようだった。たまに先端に触れるが、そのまま指先で掻かれると、オデルは想定以上に乱れてしまう。
「ぁ、ぁっ……! こ、れ以上、は、ぁっ……っ!」
下肢が震え、腰の奥から熱が迫り上がってくる。レナードに気付かれるまでは、オデルは昂りを見せまいとして、はだけられたシャツの裾を両手で掴み、興奮による変化を隠すよう努めた。だが、これ以上されたら、決壊してしまいそうだった。
「ん、ふぁ……っ、ど、すれ、ば……っ」
もうどうすればレナードを宥められるのか、わからない。普段なら、分水嶺を見極め、手加減してくれるレナードが、今宵は虫の居所が悪いのか、オデルの何かが癇に障ったのか、少し暴君的な仕打ちをしてきていた。快楽に緩んだ頭でオデルは高みへ上昇しながら崩壊してゆく自我を、どうにかかき集めようともがくことしかできない。
「イアンに悩みごとを打ち明けるのは、もうやめなさい、オデル」
「はぁっ、ん、な、っで……?」
「きみが、私の伴侶だからです。伴侶の私を差し置いて、イアンに打ち明けるなんて、まるで……悔しいではありませんか。にしても……イアンの奴」
「っ……く、ぁ……ぁっ、で、も……、ぁっ……!」
反論の色を少し見せただけで、尖った二箇所を同時に潰される。
オデルのそこは、毎夜にレナードの愛着を得た場所に相応しく、いやらしく突き出ていた。そこを、ふに、くにゅ、と柔らかな仕草で弄られ続けると、もっと尖ってしまう。
(むすっとしている……? レナードが……?)
不機嫌な色を隠そうともせずに、オデルが快楽のあまり頭を振るのさえ、容認される。
「それより、今日は……まだ、耐えられますか?」
少しぶっきらぼうに尋ねられ、オデルは引き結んでいた唇をほどいた。
「が、まん……して、ま、す……」
「まだ、できそうですか? オデル?」
「っ……」
正直、つらくて仕方がない。降伏すれば、楽になれるなら、とうの昔に白旗を上げていただろう。しかし、レナードに罪滅ぼしをしたかったし、時々、仄めかすレナードの声が、さらなる高みの存在を指している気がして、途中で降りることができなくなっていた。
「正直、もう……つらい、です。あまり……眠れない夜、も……あります」
声が掠れ、上手く発声できないとしても、嘘も隠しごとも、レナードの前ではなるべくしたくない。一方的に愛される中、悦びに目覚め、オデルは時々、自分を省みるようになった。愛が、与えられるだけのものではないと、今ならわかるし、拒むことなど考えられないが、求めすぎてしまう自分に羞恥を覚えながら、この状態から抜け出すために欠けている何かを、オデルはずっと探っていた。
「でも、それは、レナードも……同じかも、しれない、ので、我慢を……すみ、ませ、ん」
「そうですか……」
珍しく強引さと剣呑さが滲むレナードの声に、オデルは夜毎、苛まれ、何度も目覚めては、身体の奥の熱を持て余す日々を強く思い出していた。レナードの回復が一定水準まで達すれば、きっと気持ちも変わり、許してもらえる日がくるかもしれない。愛を交わす夜がくることを信じながら、もう両手で数える回数以上に先送りにされている。その夜が、くることだけを夢に見ていた。
「あの、……ご、ごめん、なさ、い……レナード?」
オデルの言葉に上の空な雰囲気のまま、最小限しか答えようとしないレナードに、危機感を覚える。やり方を間違ったことは、すぐにわかった。だが、謝罪の言葉を口にすると、レナードは嫣然と微笑んだ。
「……身体もできてきたようですし、今宵から、少し……進みましょうか?」
「い、いいのですか……?」
声が弾んでしまうのは、望みが少しだけかなったからだった。だというのに、レナードは、まだ余裕さえ浮かべた表情で、オデルを包むように凝視する。期待のこもった視線を浴びたオデルが頬を染めると、レナードは我が儘を言う時にする仕草で、首を少し傾けた。
「今夜は……きみがしたいことだけを、する、というのは如何ですか?」
「ぼく、の……?」
「はい。たまには、君の気持ちと、身体を……優先したいです」
「それは……どう、すれば……」
丸投げに近い形で示された提案に、オデルは戸惑い、腹の底の熱が暴れるのを抑えようとした。立場が逆転することで、これまではレナードの欲望を受け入れるだけでよかったオデルが、今度は自身の欲望をひけらかさねばならなくなったことに思い至る。
これは、主張と同時に、相手を思う訓練でもある。
オデルはごくりと喉を鳴らした。
「レナード、に……触れても、いい、ですか?」
「はい、オデル」
快く許可が下り、ほっと肩から余分な力が抜けた。が、レナードの鳶色の眸がオデルへ捧げられるように向けられると、動悸が速くなる。身体を使う会話のようなもので、オデルがしたいことを実行するには、レナードがされたいことと、されたくないことを想像する必要があった。自分の欲望を押し付けることなく、呼吸を合わせ、相手に触れるのだ。レナードとともに心地良くなるには、相手とともに自分を肯定することが、必要だと気づく。
幸い、材料は十日以上に及ぶレナードとの交歓で揃っているはずだった。オデルはしばらく考えたあとで、喉元に巻いていたネクタイを外し、レナードに差し出した。
「あの、これで……視界を隠して欲しいのですが、駄目……でしょうか?」
思い切って提案すると、レナードは不思議そうな顔をした。
「駄目ではありませんが、私が目を閉じた方が、きみは好きなのでしょうか?」
「は……」
素朴な質問に、オデルは耳が染まってゆくのを感じながら返答する。
「恥ずかしいので……ぼくが。あなたに、見られていると思うと、落ち着かなくて……。あの、ぼくは、レナードに触れたいのですが、見られていると、緊張しすぎてしまうので……ですから」
あたふたと言葉を尽くすと、レナードは頷いてくれた。
「わかりました。きみの言うとおりにしましょう」
オデルから受け取ったネクタイが、レナードの視界を塞ぐ。鳶色の眸。見つめるだけで愛を語る視線が遮断され、些か頼りない状態になったレナードに、オデルはそっと手を伸ばし、柔らかそうな髪に触れた。
いつもオデルがされているように、鳶色の髪を梳く。
癖毛ぎみで、わりと頑固だ。オデルの指に一瞬だけ従順だが、すぐに跳ねてしまう髪を、ゆっくり襟足にかけて指で梳いた。レナードにこうされると、オデルは背筋がぞわりと反応し、平静ではいられなくなる。アルファにとってはあまり意味のないうなじの毛を指に絡め、それから、オデルはレナードの利き手を持ち上げ、自分の心臓部分に持ってきた。
片手で心臓にレナードの手を重ね、もう片方の手をレナードの背中に回すと、抱き寄せて、ぐに、と弾力のある耳の軟骨部分まで確かめるように触れ、言葉を発した。
「あなたを——愛しています」
眠れなくて、怖い夢を忘れてしまうぐらい。
「あなたが、ぼくの傍にいてくれて……それだけで、ぼくは、とても暖かい、です……」
囁きを発すると、心臓に重ねられていたレナードの手が一瞬、びくりとする。きっと、鼓動の速さも強さも、ぜんぶわかってしまっている。だから、こうすることでしか伝えられないことを、とオデルはレナードを抱き寄せた。
「ぼくを……選んでくれたお礼を、まだ、言っていなかったですよね……? どんな時も、手を離さずにいてくれて、感謝しています。レナード……ぼくは、あなたが好き、です……とても、表現、できない、くらい……」
きっと視線を絡めたら、正気でいられなくなってしまう。そのままぎゅっと抱くと、レナードの指先が少し震えていることに気づいて、オデルは頬にそっとキスをした。触れるだけで離れるが、再びくちづけると、レナードの身体が少し震えている気がして、次第に少し意地悪な気持ちになってしまう。
少し触れるだけだが、いつもなら平気なはずの反応が、混沌とした身体の内部の状況が、手のひらを通して伝わるはずだった。下肢も緩やかに反応しているのを自覚したオデルは、レナードの手のひらを胸から腹へ滑らせ、やがて覚束ないまま、布越しに緊張している自分の下肢へと接着させた。
「ぼくは、こうなっています……。あなたと、お揃いなら、嬉しい、です……っ」
勇気を持って言葉を紡ぐが、レナードの身体が一瞬、強張ったぐらいで、視界を塞がれたレナードが何を感じ、考えているのか、オデルには読めないままだった。心臓がはち切れそうに動いている。頬が熱く、身体が痺れて、視界も若干、潤んでいる気がした。
「こう、しても……いい、ですか……?」
レナードの心臓に、自分の心臓を重ねるように、隙間を埋めるように抱擁した。
「嫌なことは、ありませんが……」
戸惑いを孕んだレナードの声の奥に、少し猥雑な甘さを感じるのは、オデルの状態が通常とは違うせいだろうか。それを、もっと引き出したい。レナードを乱したい欲が、次第にふわりとオデルの心に芽生えた。
背中に回した手で、レナードのごつごつと肩甲骨の浮き出た逞しい身体を引き寄せる。
「ぼくは……こうしたい、です……っ」
「オデル……?」
「あなたが……好き、です、レナード」
「……」
沈黙を返すレナードに、知ってもらいたくて言葉を尽くすのが、心地いい。
「誰かをこんなに好きに、なれるものなんですね……? あなたに触れるだけで……あなたに、触れられているだけで、心が、踊ってしまいます……。きっと、ぼくは、あなたといる、だけ、で……っ」
言葉を紡ごうとすると、緊張と興奮でどもってしまいそうになる。オデルが発言を重ねようとした時、レナードの指先が唇を封じた。
声を奪われたオデルは、もどかしくて破裂してしまいそうな心臓を、レナードのそれに重ねた。そのまま腰をそっと、レナードの触れている指先へ押し付けるように振ってしまう。
「ご、めん、な、さ……っ」
着衣越しに、屹立してしまっているそれを、そっと圧を加えると、それまでとはまったく違う、桁違いの快楽がオデルを痺れさせた。
「ぼく、は……っ」
背徳的で、禁欲さえまともにできない愚かな自分をひけらかすのが、屈辱的でいて、どこか心地いい。あさましく欲深い、底なしのオメガだと噂されれば、否定するようにオデルは自分を制御してきた。だけど、レナードに暴かれ、開示されるなら、いい。我が儘なオデルを、そのうちレナードはきっと察してしまうから、そうしたら、ふたりで墜ちてゆける。
「こんな……っ、で、ごめ、な……さ、ぃ……っ」
謝罪の言葉が出てきてしまう。
嫌われたくない。
でも、一方で、墜とされたいと願ってしまう。
オメガだからというよりも、レナードに対する反応だと、オデルは薄々、気付いていた。
恥ずかしくて、消えてしまいたい。
揶揄されて、強いられて、征服されたい。
どっちつかずの衝動が身体の内側で荒れ狂い、次第にオデルを狂わせてゆく。一方で、一度、甘い味を覚えてしまったオデルは、腰を擦り付け得る快楽を、止められないでいた。
「っ……く、は……ぁ、ん……っ、レ、ナード……ッ」
縋るように名前を呼び、苦しさを訴える。やがて唇がほどけ、愛しい伴侶の名前を口にしながら、オデルは高みへと上りはじめようとした時だった。レナードの指先が、そっとオデルの唇を撫でたのは。
「……駄目ですよ、オデル……私の自制心を試すきみは、いただけません」
静かに放たれた言葉は、オデルを凍らせるに十分だった。その声が掠れ、揶揄の趣を孕んでいることに気づかないまま、オデルは心音を跳ねさせた。
「ぁ……っ」
レナードの指先が、そのまま下へと降りてゆく。頤を越え、鎖骨と肋骨を横切り、臍から、まっすぐに、意図したのかわからないまま、オデルの興奮の源へ。衣類の上から少し触れられただけなのに、背筋がぞわぞわして、先走りが滲んでしまっているのがわかった。
「いけませんね……今夜のきみは、とても悪い子です」
「ぁ……」
冷静を装っているのが、はっきりわかるレナードの視界を覆っていたネクタイが、はらりと外れる。その布越しに、眦を朱に染め、鋭い目つきをしたレナードの表情を見た時、オデルは初めて、人が乱れる姿を見ることに快楽を覚えることに気づいた。レナードの気持ちを推測しながら、握り導いた両手ともを離す。レナードの低く制御された情念の滲む声音に叱られるたびに、甘く温かい何かが、心の底から湧き出すのがわかった。
「レナ……ッ、ごめ……っんぅ!」
謝罪の言葉を捻り出そうとした時だった。心臓の上辺りの肋骨を押され、やにわにバランスを欠いて、ベッドへ背中から崩れ落ちた。気づくと、レナードが覆いかぶさり、目隠しのネクタイがはらりとオデルの首元へ落ちかかる。同時に視界いっぱいに鳶色の眸が広がり、オデルは思わず目を瞠った。
「レ、ナー……ド……?」
迫りくる眸を見た瞬間、心臓が一際、大きく跳ねた。鼓動と呼吸が連動せず、不規則に速さを増してゆく。ほとんど喘いでレナードと視線を絡めると、その虹彩が黄金色がかり、縦に細く、獲物を狙い澄ました獣の形へと、鋭く変化してゆくのがわかった。
(きれい、だ……)
オデルがレナードの体重を少しでも支えようとして、肩を押すと、その強さにはっとしたレナードが、突然、動きを止めた。
「驚かせてしまいましたか……? すみません、これは……アルファの発情の兆候なのです。怖がって、当然です。今宵はここまでに——……」
レナードの、滲んだ声がする。同時にふわっとオデルの鼻先を、アルファのフェロモンが強く香った。薔薇に例えられたオデルのフェロモンよりも、ずっと豪奢で、華やかで、暴力的で、支配的な匂いに絡め取られたオデルは、自身にも、また変化の兆候が表れていることに気づいた。
「レナード」
身体を起こそうとするレナードの両襟を、無意識のうちに掴んだオデルは言った。
「ぼくの目も……こうなって、いますか?」
「オデル……」
「きれい、で……食べたくて、欲しくて、あなたと……ひとつになりたくて、欠落している」
見惚れたまま、ほろほろと言葉が転がり出ていたことに気づく頃には、レナードが眉間を寄せ、奥歯を噛み締めているのがわかった。
「私の自制心を……」
「ぼくの自制心は、あなたのものです、レナード」
痛いところを突くつもりはなかったが、オデルがうっとりと陶酔した口調になると、レナードはしばらく俯き、じっと何かを考えているようだった。
「オメガが皆……こうでは、ないと思います。でも、ぼくは……あなたに壊されたい。食べられたい。ぼくを、奪って、潰して、くしゃくしゃに、つくりかえてしまうことが、あなたの愛なら、ぼくは……っ、レナードに、そう、されたいです」
「っ……」
その瞬間、がくりとレナードの体重がオデルに掛かった。息が詰まり、身動きが利かない。だが、その状態になって初めて、レナードの心臓もまた、オデルの鼓動と重なるかそれ以上に速く打ち付けていることがわかった。
「きみは……。オメガが皆そうではないのはわかっていますが、無茶ばかりする」
耳元で囁かれるレナードの声は、つらそうに潰れていた。なのに、悦びの色を帯びていて、オデルは混乱してしまう。やがてぎち、と音を立ててレナードに掴まれた両腕の皮膚に、爪が食い込む気配がしたが、それすら甘かった。
「っぅん……!」
「きみの……せいにはしません……が」
苦しげに呻いたレナードが、次の瞬間、オデルに食いつく衝動を抑えつつ、牙を剥く。
「もう、我慢の限界です……オデル」
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