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第20話 秘密の代償

 フレイムトラスト社の号外は飛ぶように売れたようだった。  あれからさらに七日が過ぎ、バレットは、ようやく傷が塞がりかけたことが確認できると、医師の助言を押して、早朝に手配した馬車でローズブレイド公爵邸を後にしたとのことだった。  バレットが号外を読んだ形跡はなかったが、スキャンダラスに煽り立てる見出しのわりに、新生ローズブレイド公爵と新興ジェントリによる決闘は『命知らずのベータが紙一重でアルファに敗北』と、果敢に挑んだことへの好意的な論調が展開されていた。中折りの三面には、ガジャージュ伯爵による第二種性別への問題提起をおこなう些か過激なコラムも載ったが、読めば、ベータはもちろん、スキャンダラスな存在として取り扱われがちなオメガについての擁護論的主張が展開されており、結果的に世間を沸かせる結果となった。  世論がおさまるまで、まだしばらく時がかかりそうだったが、周囲の者らには、あの社交界の寵児を迎えたがゆえに起きた時代錯誤な事件という認識が定着したらしく「新生ローズブレイド公爵を婿に迎えたがゆえの、薄幸なオメガの波乱万丈な恋」という印象を抱いた者が多くいたようだ。結果的に同情票を獲得したオデルは、複雑な気持ちにならざるをえなかった。  一方、医師の治療を受け続けるレナードは、まだオデルと同じ二階の主寝室を固辞し、書斎の脇の客用寝室に引きこもったままだった。  遠乗りのギャラリーたちは皆、決闘が終わるとあっさり解散し、それぞれの領地へと散っていった。商談の成果より、土産話を督促されるようで、茶会や夜会に引っ張りだこだと挨拶状で嘆いているアルファが多かった。レナードのビジネス上のパートナーでもあるイアンが、毎日「仕事を押し付けられた」だの「おれだけ時間外労働だ」だのと零しながらも、訪ねてきてくれるおかげで、オデルもその手伝いを微力ながら申し出て、下を向いている暇などなくなってしまった。 「終わった……! 帰れるぞー!」  レナードの占領する客用寝室から出てくるなり、イアンはそう宣言し、伸びをした。この後、フレイムトラスト社の記事のチェックが待っているため、車で会社まで折り返すようだったが、近頃は訪問の頻度も週三回ぐらいに落ち着きつつあった。 「いつもありがとうございます、イアン」  午後の遅い時間に邸に寄ってくれるイアンを労うオデルに、イアンは軽く微笑みかけ、急に何かを思い出したように「おっと、そうだ」と言い、止まった。 「レナードが、珍しくきみに会いたがっていますよ。おれが帰ったら、訪ねてみるといい」 「レナードが?」  レナードはどこにも出かけずに、日々、仕事漬けだった。オデルと会うのも億劫らしく、扉から顔を覗かせて様子を見ても、すぐに「おやすみ」と言われてしまう。体調が良いわけでもないようで、眉間に皺を寄せて「すみませんが」と拒絶されるので、近頃は気を使い、あまりオデルからレナードへ話をする機会も減っていた。  致命傷を避けられたとはいえ、全身傷だらけで、跡が残る。継ぎ接ぎの身体を気にしているのかもしれなかったが、まだ動くのに無理があるのは明らかだ。そんなレナードを押し切り、我が儘を言う勇気はオデルにはなかったが、この状況を耐えられたのは、レナードとの約束があったからだ。  叱ってくれると言われた時、不覚にもときめいてしまった。レナードにもイアンにも秘密にしているが、その時を、オデルはずっと密かに待っている。 「それと、オデル。きみにひとつ謝らなくては。レナードから、例の指輪の話が出ると思いますが、素知らぬ振りで、あっさり頷くことをお勧めしますよ。あいつ、どんなルートを使ったのか、きみの指輪を担保に、おれが小切手を切ったことを知っていたようで」  そう言ったイアンは、懐から歪に縒れた封筒を取り出し、オデルへ返した。中を確認するまでもなく、担保にした指輪が入っていることが、膨れ上がった形状でわかった。オデルは中身を確認するまでもなく、自分の懐へそれを仕舞うと、頷いた。 「そうですか……、わかりました。ぼくが撒いた種です。助言どおりにしてみます。イアン」  イアンが何かとレナードのその日の様子を仔細に教えてくれるおかげで、必要以上にオデルも不安にならずにいられた。だから、イアンが責められるようなことがあれば、ちゃんと説明して、庇ってやらなければならないと思っていたところだった。 「長い間、ぼくとの約束を守ってくれたこと、感謝します」  オデルが心からの礼を言うと、イアンは妙にもぞもぞした表情をした。 「誓って、おれから何かを言ったわけではないのですが……あいつ、いったいどういう手を使ったのか、きみがバレット卿へ送った金のことを、ほぼ正確に掴んでいました。バレット卿がここの邸を去ってから、しばらくして、見覚えのある封筒がサイドテーブルの書類の山の上に置かれていて……ベータの置き土産だと、おれに向けて言うんですから。あれには肝が冷えました」 「それは……」  バレットとレナードの絆は切れたはずだが、どういう手を使ったら、そんなことになるのだろう。しかも、オデルには何ひとつ、知らされていない。動揺するオデルに、イアンはため息とともに言った。 「時々、レナードはよくわからない経路で、とんでもないことを仕出かすんですよ。千里眼みたいなところがあってね。おれが話さなくても、ある程度の経緯を知っているようでしたから」  笑って肩を竦めるイアンに、オデルは重い役目を負わせてしまったことを詫びた。 「すみませんでした、イアン。ぼくも、それについては初耳で……。気を遣わせてしまいましたね。今後、もし、レナードから何か訊かれたら、洗いざらい経緯を話していただいてかまいません。もう、終わったことですし、ぼくも折を見て、ちゃんと説明します」 「いや、おれはきみの心配をしているんですよ」 「ぼくの?」 「あいつは……愛情表現が些か特殊というか、棘があるというか……、きみに、とばっちりがゆくのを心配するぐらい、愚直なくせに、捻くれているところがありますから」  そう言ったイアンは頭を掻いて、困った顔をした。いつからか見当もつかないが、もしかすると自分たちは、レナードの手のひらの上で踊っていたのかもしれない、とオデルは思った。 「大丈夫です、イアン。ぼくからレナードの手を離すことは、ありません。絶対に」  もう、レナードの気持ちがまっすぐこちらを向いていることを、オデルは疑いなく知っている。遠回りをしたとしても、方向さえ間違えなければ、レナードがいる場所へ辿り着けるはずだ。 「察してやってくれとは言いませんが、できれば……あの捻くれ者を頼みます、オデル」  去り際にそう呟くと、イアンはその日、申し訳なさそうに邸をあとにした。

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