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第22話 性愛遊戯(*)

 しばらく抱き合っているうちに、レナードが深呼吸をした。  オデルも呼吸をしようとしたが、心臓が煩く鳴るばかりで、いくら吸っても酸素が足りなくなっていた。 「あ……の、レナード……」 「はい、オデル……?」 「あの、そろそろ……」  オデルが限界を訴えたが、レナードは素通りして囁いた。 「……きみは本当にいい匂いがします。眠っている間も、ずっと傍に置いておきたいぐらいです。ああ……この、芳醇な香り……薔薇すら、きみには及ばない」  抱き竦められると、鼓動は速まるばかりで、内臓が飛び出しそうに打ち付けていた。胸を内側から叩くこの音が、レナードに響くとまずい。オデルは内臓がじわりと疼くのを、どうにか制御しようと身動ぎするが、熱が暴れて今にも内部から崩壊しそうで、どうにもできなかった。 「こ、困り……ます、レナード……」  本当は、こんなこと、言いたくない。せっかく仲良くなれたのに、水を差すことはしたくない。でも、これ以上は身体がもたなくなってしまいそうだった。 「私は困りません」 「ぼ、ぼくが……っ、困、るの、です……っ、あなた、を……好き、過ぎ、て……っ、身体が、こ、壊れ、そうで……っ」 「人が愛しさのあまり崩壊死した例は、私の知る限りありません。大丈夫でしょう」 「でも……っ」 「きみをもう少し補給させてください、オデル。もう少しだけ……」 「ん……っ」  オデルが願えば大抵のことは聞いてくれていたレナードが、今日は違う。身体が治ってきたのはいい傾向だと喜びこそすれ、困ることがあるとは考えもしなかったオデルだ。が、心臓は暴れるばかりで、指先が痺れてチリチリする。このままいたら、酸素不足で気を失ってしまいかねないと、思わず喘いでしまう。 「お願いです……っ、レナード、ぼく……っ、これ、だ、と……っ」  息ができない。同時にレナードの後れ毛が頬を掠め、ふわふわと心地が良くて、気が遠くなる。 (もう——)  もうもたない、と思ったその時、ふとレナードの拘束が和らいだ。 (終わっ……た?) 「あ……」  だが、レナードは一時的にオデルを抱く腕を緩めたが、まだ逃がそうとはしていなかった。 「……お願いがあるのですが、オデル」  些か深刻そうな顔で、レナードがオデルを覗き込んできた。頼みごとはたくさんしてきたが、されたことは少ない。 「あ、な……何、でしょう? ぼくに、できることなら……」  オデルが快く承諾しようとすると、そっとレナードが袖を掴み、ねだった。 「膝に、乗っていただけませんか?」 「え? でも……」  傷が開いたら、医師が正気を失ってしまいかねない。あれだけの傷を拵えて、この容体であるのは、奇跡のようなものなのだと懇々と諭されたことを、レナードだって忘れていないはずだ。だが、レナードは言い出したら聞かず、オデルもそれを少し嬉しいと感じてしまう。 「きみの重さを感じたいのです。下半身に傷はありませんから。きみが良ければ、もう少しだけ……少しだけ、一緒にいてください」 「わ、わか、り、ました……」  本当に大丈夫かを何度か確認したあとで、おずおずとオデルがレナードの向こう側へ手を付いた。そのまま、そっと腿の上に横座りに体重をかけると、そのまま強く抱きしめられた。 「ああ、オデル……!」 「っぁ……!」  うなじの匂いを鼻先でかがれる。 「レ、ナード……ッ、ぁっ、も……っ」 「あと少し」 「っん」 「少しだけ」 「っ……」 「少し、だけです……、もう、少しだけ……」  オデルはくにゃりとなってしまわないよう、全身に力を込めるが、衣服越しに重ねた肌の温度に、とても正気ではいられなくなる。ぐらぐらと視界が揺らぎ、心臓は破れそうに暴れて、両手をぎゅっと握った傍から、力が抜けていってしまう。 「は……ぁ、レ、レナード……」 「もう、少し……きみが、とても好きです、オデル……」  愛を囁く吐息が、オデルの耳朶を優しくくすぐる。純粋に、まっすぐに、愛してくれようとしているレナードは、オデルにとって、かけがえのない存在だった。 「手……手を、繋いで、ください……っ、ぼく、が……どこかへいってしまわないよう……」 「はい」 「ど……どう、すれば……ぼくは、許される、でしょうか……? 許されなくても、あなたのことが、ぼくは……っ」 「はい、オデル……知っています。きっと、きみが……でも」  レナードはオデルの首元に顔を埋め、そっと囁いた。 「本当なら……契約上、私のものになってくれたことに満足すべきですが、今は……いつか、私を愛してくれないだろうかと、夢を見てしまいます……過分な望みだと、わかっていますが、それでも私は……」  その望みなら、もうかなっている。  が、愛を言葉にしても、レナードはきっと信じないだろう。 「ぼくは、あなたを愛し……」 「いいのです。言わないで。どうか、少しの間だけ、このまま……。夢を見させてください、オデル」 「……っ」  オデルが詫びようとする気配を察すると、レナードは首を横に振り、穏やかに詫びた。 「謝るべきは、私なのですよ、オデル。きみに正面から告白して、振られる勇気がなかったばかりに、回りくどい手段を使って、外堀から順に埋めて、決して断れない条件を付けた上で、きみを手に入れようとして……。だって、あのローズブレイド公爵家の嫡子ですから……尻込みして、二の足を踏んだのです。きみがオメガだとわかって、ローズブレイド公爵家が財政的に窮地にあると知って、舞い上がったのも事実なのです。強引な手段を取った報いです」 「それは……っ、違います……!」  甘く残酷な告白に、オデルは意を決し、レナードの手を取った。 「それでもあなただけでした。ローズブレイド公爵家と、ぼくの家族を……ぼく自身を救ってくれたのは、あなただけでした。なのに、ぼくは……っ、あなたを、見ようとしてこなかった。視野が狭く、心が浅く、あなたの本心に気づこうとすらしなかったぼくは、本当に愚かでした。それに……っ」  オデルはレナードの手を両手で持ち上げ、その甲にくちづけた。 「ぼくは、あなたを愛しています、レナード。ずっと、愛していることに気づかなかったけれど、こんなの、考えるまでもなかった。ぼくはレナードが好きです。オメガだから、とかではなく、あなたがアルファだから、でもなく……ただ、レナードと過ごす未来が続けばいいと、願ってしまいます。正面から、こんなことを誰かに言うのは初めてで、上手く、伝わらないかもしれないけれど……」  目が潤んでいるのが、レナードに見られなくて良かった、とオデルは思った。発情の予兆だと、身体の節々が甘く疼くのでわかる。だとしても、ここでレナードに触れずに身を引く選択はしたくなかった。互いに互いを制御できずに引き裂き合ってしまわないよう、今までずっと気をつけてきたが、完璧だったレナードの中身を知るにつれて、オデルは未知の衝動が、内部で吹き荒れるのを感じた。それは自分を制御できなくなるかもしれない、暴力的なものですらあった。 「……本当に?」 「こんなことで、嘘は言いません……」  レナードに応えようと言い切ると、しばらくの間、覚束ない沈黙が続いた。  やがて、オデルが握っていたレナードの手がそっと引っ込められた時、失敗を悟ることになったとしても、それが傷となっても、今度はオデルが与える順番だ。拒まれたオデルが、どうにか失望を隠し、その場をやり過ごそうと新たな未知を探る束の間に、今度はレナードが、そっとオデルの身体に触れた。 「……っ?」  着衣越しに、シャツの上から触れられているだけだったが、びくりと身体が跳ねてしまう。レナードの指先はするりと生地をなぞり、やがて膨らみのない胸へとたどり着いた。 「私が……こんなことをしても、その方がいいですか?」 「っ」  そのまま指が辺りを這い回り、やがて膨らみかけた粒を見つける頃には、何を意図しているかが、オデルにもわかりかけていた。 「私が、こうしても……いいと言いますか?」 「っは、い……っ」  肯定すると、頬が燃えるように熱くなる。だが、否などあろうはずがなかった。が、探るように、確かめるように布越しにでも触れられると、鼓動が乱れ、オデルはとても平静ではいられなくなる。レナードの指は胸の印を把握すると、すぐその周囲を撫で、たまに引っ掛けるように爪と指の先端で撫でたり、突ついたり、潰したりを繰り返した。 「きみを、こうして……こうしていても……、きみは私を、好きだと言いますか……?」 「んっ、は、い……っ、ぁ、っく、す、好き……で、す……っ」 「どんな風に?」 「ぁ……ぁ、っ」 「……教えてください、オデル……?」 「っ……ん、ふ、ぁっ……っ、ぁ、心地、良く、て……んっ、ぁ、甘、くて……は、ぁっ、い、いい……っ、匂い、が……レ、ナード、の……っ好き……、で、す……っあ、っ……いぃ……っ、で、す……っ」  信じられないような甘い声が出て、次々に秘すべき言葉が、オデルの唇から飛び立つ。 「いい、ですか……?」 「ぃ、です……っ、レナード……ッ」  胸を弄られながら鼓膜に届くレナードの甘い声を拾うだけで、理性がひしゃげていってしまう。レナードの指が、何度も胸にある飾りを柔らかく潰すたびに、何かが体内で弾ける。やがてそれが膨れ上がり、下肢に変化が訪れる頃には、レナードに耳朶を噛まれていた。 「ぁあっ、それ……っ、ず、るい、です……っ、ぼく、ばかり……っ」  とうとう耐えられずに抗議の声を上げると、レナードはそっとオデルの拘束を解いた。 「ぁ……」 「今日は、この辺にしておきましょうか……? オデル」 「は……ぃ」  レナードに線を引かれ、やっと自分の立場をオデルは自覚した。乱れてしまったことが恥ずかしく、衣服でどうにか興奮を隠し、その裾を両手で握りしめる。その仕草を不満と捉えたのか、レナードは、やがてオデルへ額をもたせかけ、顔の見えない状態で呟いた。 「……傷が治ったら、きみが欲しい……オデル」  ずっと速く打ち過ぎている鼓動が、束の間、乱れる。  未来へ進むのが、舞い上がってしまいそうになるほど嬉しい。こんなことは初めてで、オデルは少しの躊躇と不安を、一時に飛び越えたがる本能を叱らなければならなかった。 「レナード、あの、ぼくも……っ」 「今すぐに、返事をしてはいけません。ちゃんと、考えてください、オデル」  砂糖菓子のような誘惑を目の前に吊るされて、我慢を強いられるようなものだ。しかし、オデルがちゃんと返事をするのを、レナードは待っている。 「わ、わかり、ました……」  やっと、それだけを言い切ると、レナードはオデルの後れ毛をそっと梳いた。 「こういうことは、ちゃんとしなくては。今すぐに、きみを抱いてしまいたいところではありますが……流儀に反するのは、いけません。さ、もういってください。夜も更けてきました。また明日……明日も、きみに会いたいです、オデル」 「っ……喜んで。……レナード」  ぎこちない体勢で体の変化した部分を布で隠しながら、どうにかオデルはレナードのベッドから下りた。後ろ髪を引かれる思いで踵を返したオデルに、背後から優しげな声がかけられる。 「よい夢を、オデル」 「あなたも……レナード」  扉までの距離が遠い。名残惜しくて、振り返れば甘えてしまいたくなる。でも、レナードが、まだだと言うのなら、まだなのだ。明日からはきっと、これが続く。どれぐらい続くかはわからないが、レナードと一緒に時がきたと判断できるまで、きっとずっと、こうして何かを育んでゆくのだろう。  部屋から出たオデルの身体の内では、熾火が消えていなかった。  顔を覆ったオデルは、そのままずるずると扉の前に座り込むと、しばらく動くことができなかった。

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