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第3話
その機会は思ったより早く訪れた。
魔狼は一年を通して王国に出没したが、夏から秋にかけては群れで襲ってくる。王都のある平原にも、辺境の森にも、湖のほとりにも。群れになった魔狼はより強力になる。猟師も魔術師も、単独では対処できなかったから、双方ともに気が進まない協力体制がしかれた。クラウス・クリムゾンも派遣された土地の猟師と協力するよう、上から命令された。
赤頭巾たちはその命令に不満だったし、猟師の側も、赤頭巾が報酬や涙石を横取りするのではないかと警戒していた。だが、魔狼襲撃の一報を受けて向かった先で、クラウスはあの猟師、ライナー・グレイに再会したのだ。
ライナーは他の猟師たちも一目置く腕利きだったが、連携してかわるがわる襲ってくる二頭の魔狼に苦戦していた。クラウスはライナーに覆いかぶさった一頭の頭蓋を魔術で吹き飛ばした。穢れた血糊が自分の頭巾やマントを赤黒く染めたが、気にならなかった。借りを返したかったのだ。涙石を零して魔狼が動きを止めると、ライナーは魔狼の下から這い出し、銃弾をもう一頭の心臓に撃ちこんだ。クラウスは二頭の魔狼の浄化を終えると、残された涙石をふたつとも猟師に差し出した。
「これを取ってください」
「なんで?」
ライナーは不思議そうな表情になった。
「僕は必要ありませんから」
初対面のときと同じ言葉でこたえると、ライナーは笑い出した。
「なんだよ、それ。俺はべつに――まあ、いいか」クラウスの手から涙石のひとつをとり、光にかざす。「きれいな石ころだよな。ひとつだけもらおう。魔狼は二頭いたんだから、分ければいいんだ」
髪や顔は魔狼の血で汚れているのに、ライナーの笑顔は爽やかだった。クラウスは思わずひきこまれてみつめ、心臓が跳ねるのを感じた。だが表向きは冷静を保って、残った涙石を握りしめた。
「わかりました。そういうことにしましょう」
これで借りは返した、とクラウスは思った。だがその日から、ライナー・グレイの笑顔はクラウスの心に棲みついて、離れなくなった。
猟師ライナー・グレイは、クラウスより十は年上のベテランだった。猟師には定住する者とが放浪して暮らす者があったが、ライナーは後者だった。猟師のあいだでは腕利きで知られていて、厄介な魔狼が出ると応援に呼ばれることもある。出身地や家族のことは誰も知らなかった。
クラウスがライナーについてたずねると、猟師たちは意外な表情をむけ、赤頭巾たちはどうして汚い連中のことを知りたがるのかと訝しんだ。次に魔狼の群れがあらわれたとき、クラウスは志願してその地方へ行き、再度ライナーに出会った。
ライナーとの魔狼退治はクラウスを苛立たせることも多かった。主にその、穢れをいとわない体当たりの方法のせいで。いくら猟師は汚れ仕事だといっても、彼らとて魔狼の血にまみれたいはずはない。血は洗い流せても穢れは溜まり、毒となる。
魔術師は穢れを浄化できたが、たとえ浄化したとしても、ライナーのように多くの傷跡が残る人間に魔狼の血が与える苦痛は大きいはずだった。ライナーはクラウスが汚れないように気をつかったから、なおさら苛立ちはつのった。
「ライナー、浄化を受けていますか?」
ある日クラウスは宿屋におしかけ、猟師を問い詰めた。
「ああ、村でやってもらってる」
「そいつはまともな魔術師ですか?」
魔術師はライナーの襟をつかむ。肩口に暗い色のあざが浮かんでいる。
「あのな、」
「黙っててください。僕が浄化します」
「俺は赤頭巾に浄化してもらうほど上等の人間じゃ……」
「上等もなにもありませんよ。あなたは僕の……魔狼退治の相棒なんです。穢れはちゃんと落とさないと」
クラウスの言葉にライナーの眸が揺れたが、ほんの一瞬のことだった。魔術師が恐れた通り、ライナーの傷跡は膿んでいた。浄化のあとはあったが、完全ではなかった。位階の低い魔術師が雑にやったにちがいない。手っ取り早くやってしまおうとクラウスはライナーを寝台に押し倒した。
「おい、クラウス――」
「こんなになるまでほうっておくなんて許しませんよ」
手っ取り早い浄化には魔術師の体液がいちばんだ。クラウスはライナーの傷跡に口づけし、丹念に舐めて癒していった。最初は抵抗していたライナーだったが、太腿の内側にある傷跡まで口づけされると黙りこみ、かわりに甘い吐息をついた。このやり方が快感をもたらすことをクラウスは忘れていたが、うつ伏せで背中をふるわせているライナーをみつめるうち、暗い欲望がつきあげてくるのを覚えた。このままこの人を喘がせ、おのれの欲望でつらぬいたら……。
ハッと我に返り、クラウスは歯を食いしばった。膿はなくなったが、傷跡が消えることはない。この人はいったいいつ、こんな傷を負ったのか。クラウスはそう考えることで自分の欲望から意識をそらした。
だがそれが、クラウスの喜びと失望のはじまりだったのだ。
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