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第4話

 一度自覚すると、あとは坂道を転げ落ちるようだった。いや、恋によって天へ上るような気持ちといえたかもしれない。  ライナーと話し、ライナーと魔狼を退治するたび、クラウスの心は喜びで軽やかに踊り、別れるときは重く曇った。クラウスは積極的にあちこちの地方へ志願し、猟師たちと協力して魔狼に相対した。大きな群れがいる場所では必ずライナーに会えた。  傷跡を舐めて癒したあの日以来、ライナーの傷跡が膿んでいることはなかった。クラウスの所業に懲りたのかもしれないが、ライナーが穢れで苦しんでいないのならいいとクラウスは思うことにした。ライナーと魔狼を追うことはクラウスの喜びであり、活力になったが、任務が終わって別れたあとは欲望の行き場に苦労した。  ライナーに告げようかとも、何度も考えた。ライナーは自分のことを悪く思ってはいない。ライナーも自分を友人だと思っているはずだ。  それには自信があった。赤頭巾の魔術師と猟師の関係としては類のないものだ。だが告白して、避けられてしまったら?  彼と共に魔狼を追えなくなるくらいなら、今のままでいい。  それでも夜眠るとクラウスはライナーを抱く夢をみた。微笑んでいる年上の男にクラウスは口づけする。ライナーはクラウスの愛撫に呻き、嬌声をあげ、快楽を受け入れる……。  そして数年が過ぎた。  辺境の森に魔狼の巨大な群れがあらわれたのは、秋の終わりのことだった。  冬から春にかけて魔狼の動きは鈍くなるもの――そんな常識をくつがえすような、途方もない大集団である。  亡国の危機を感じとった王はすばやく決断を下し、国をあげて魔狼を退けにかかった。赤頭巾と猟師は本格的に共闘することになった。年老いて悪知恵のまわる魔狼に率いられた群れはあまりにも大きく、手強かった。赤頭巾も猟師も、これまでのわだかまりを気にする暇はなかった。  大作戦が続けて展開され、クラウスとライナーはもちろん戦いの中にいた。春が来て夏がすぎた。秋も深くなり、やがて冬になろうというころ、やっと王国は群れをあやつる老獪な魔狼を殺し、浄化することができた。  王国の人々は歓声をあげ、あちこちで祝いが行われた。大勢の集まる祝いの席にクラウスとライナーも並んで座っていた。ふたりが友人同士であることは、いまでは他の猟師や赤頭巾にも自然に受け入れられていた。  人々は笑い、歌い、飲み食いし、気の合う者同士で去っていった。周囲が静かになってもクラウスはまだライナーの隣に座っていた。彼にとって今回の戦いは、ライナーの間近にいられる願ってもない機会だった。同じ宿屋に寝泊まりし、野営した。作戦をめぐってライナーと口論したり、冗談をいって笑いあったりした。  何年もずっとライナーを想いつづけていたが、もはやこのままでいい。一年のあいだにクラウスはそう思うようになっていた。どちらかといえば、自分にそういいきかせていたのかもしれない。赤頭巾と猟師として、このまま共にいられればいい。  しかしライナーはちがうことを考えていた。 「クラウス」 「なんです?」 「俺はこれで引退する」  一瞬、自分の耳が信じられなかった。クラウスはぎこちない動きで隣に座る男をみた。 「なぜ?」 「なぜって……もう、俺の役目は終わりのような気がするからさ。長く猟師をやりすぎた」  ライナーもどこかぎこちない調子で笑った。いつもの微笑みだ。だが、いつもはクラウスをほっとさせたり、嬉しい気持ちにさせるその笑みが、今は恐ろしいものにみえた。 「どうして? あなたはまだ引退なんてする齢じゃない!」 「そう思うか?」  ライナーはまた微笑んだ。目尻に浮かんだ皺にクラウスはハッとした。最初に会った時から何年経っただろう。 「この戦いはさすがに疲れた。何度浄化しても傷に響く」 「駄目です」思わずクラウスはいっていた。 「僕はどうなるんです?」 「どうなるって、立派な赤頭巾じゃないか」  ライナーは呆れた口調でこたえた。 「いつまでも猟師の俺にくっついていてどうする。昔の借りはとっくに返してもらったよ」 「そんなこと――」クラウスは口ごもった。 「とっくに忘れていました」 「中央に戻ったら出世して、いずれ指導部に入ることになるさ。時々俺のことを思い出して、あんな猟師もいたと――」 「ライナー」  クラウスの強い口調にライナーは口を閉じた。 「なんだ」 「あなたが好きです。ずっと……好きでした」  ついにいってしまった。口に出した瞬間そう思ったが、後悔はなかった。  クラウスはじっとライナーをみつめ、目をそらさせまいとした。眸と眸がぶつかるようにあわさって、最初に目をそらしたのはライナーの方だった。   「……知ってたよ」 「どうして引退なんていうんですか。あなたはまだやれる。あなたと一緒なら僕は何でもできる」 「クラウス、あのな……」 「あなたが好きです。ずっとあなたをこの腕に抱きたいと思っていた。それがだめでも――」  突然肩に手が置かれた。ライナーの顔が自分の胸に埋められている。心臓のあたりにささやく声が響いた。 「俺も……それが本望だ」  クラウスはライナーの顎をもちあげた。眸のなかに浮かぶ欲情の影をみて、電撃を受けたようにびくりとした。

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