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第2話王子と騎士【1】

 ジャレッドが高らかに産ぶ声を上げたのは、ヴィエボに悲劇が訪れる十九年前。柑橘の蕾が白い花を咲かせる初夏の頃だ。  漆黒の髪に、翠がかった碧眼。ヴィエボ王家の血を濃く受け継いでこの世に生を受けた赤子は、それはそれは可愛らしかった。  ジャレッドが生まれた当初、国王アンデレ・ブルー・ヴィエボと、王妃マルティーナの間には既に、六歳上のイーノクがもうけられていた。  第二王子であったジャレッドは、王位を継ぐ者として厳しい教育を受けていた兄とは異なり、欲しがるものは何でも買い与えられ、オモチャで溢れた専用の遊び部屋が用意されるなど、多少の我儘とわんぱく具合には目をつぶって育てられた。  しかし部屋の中でじっとしているのが苦手な子どもで、世話係の目を盗んでは窓から外へ抜け出し、街を散策して回るのが大好きだった。  一人で外へ出ては危険だと、いくら言い聞かせても聞かず、大人たちはついに諦め、監視を兼ねた護衛の騎士を一人つける事にした。  白羽の矢が立ったのは国境守護部隊『ゲーニウス』、元小隊長、ギルという名の男。  ギルの実家はしがない食事処であったが、食事をしにきたゲーニウスの騎士に、恵まれた体躯を見初められて入隊を果たしていた。  ゲーニウスは、ヴィエボ国軍の中でも別格に優秀な部隊だ。  この当時、周辺には大小合わせて十四の国がひしめき、隣接する国々の領地争いは絶えず、国境付近は常に騒がしかった。  そんな中ヴィエボは、「自らは他を侵さず、護りを崩すな」との方針を徹底的に貫いていた。それは欲を出せば必ずその隙を突かれるという先代からの教えであり、教えに従い、小国ながら強国に助けを乞うことも吸収されることもなく国土を維持してきた。  ゲーニウスは護りの(かなめ)。  選りすぐりの精鋭が集められ、本来は平民がどう努力しても入れる部隊ではない。毎年、幼少期より特別訓練を受けてきた騎士家系の子どもから、もしくは位の高い貴族から厳しい審査を得て選ばれる。  国の紋章入りの軍旗とは別に双頭竜が描かれた隊旗が与えられ、ヴィエボ国内での地位価値はすこぶる高いと言えた。さらに小隊といえども、ゲーニウス内で自身の部隊を持てるのは士官クラスからが普通。まさに異例中の異例の大出世であった。  大柄で見事な身体付きのギルの代名詞は大剣。  彼が愛用していた大剣は、柄の部分も合わせると二メートルをゆうに越す長さがあり、刃幅は成人男性の頭ほど。岩を振り回しているかのような重さの大剣を軽々と奮い、敵を薙ぎ倒すギルの勇姿は、大地に降り立った破壊神さながらの迫力があった。  しかしながら戦闘時に重傷を負い、岩のような重さの大剣は二度と持てぬ身体になった。とは言え、五体満足で日常生活に支障はなく、一般的な大きさの剣であれば扱える。  後ろに控えているだけで圧倒され、ひと睨みされれば、大人でもちびりそうになるような大男。用心棒にはうってつけだった。  かくしてゲーニウスを引退した彼とジャレッドは出逢い、二人は思いがけず良い主従関係を築く。  平民からの叩き上げである彼には高い教養はない。けれども見た目さながらの豪胆さと、生まれ持っての忍耐力を持ち合わせていた。  殆ど子守と同意なこの任務にも嫌な顔ひとつせず、それだけでなく幼な子の無邪気な悪戯にも辛抱強く付き合ってくれた。  その甲斐あってか、最初こそ不平を垂れていたジャレッドもしだいに懐き、ギルの言うことであれば・・・・・と素直に聞き入れる場面も増えた。  片時も離れず、幼いジャレッドを肩に乗せて歩くギルの姿は微笑ましく、王宮で暮らす皆が目を細めて彼らを見守った。  出逢いから数年、ジャレッドはギルに護られながら幼少期少年期と過ごし、外見の幼さは蝶が羽化するように滑らかに抜け落ちていった。  しなやかで中世的だった少年の身体は筋肉がついて雄々しさを増した。これはギルとの修練の賜物である。    内面の成長も著しく、十二歳を迎えたあたりから自身の身の振り方を模索するようになっていた。    ジャレッドは非常に純粋で心優しく育ち、ヴィエボ国の民を心から愛している。  昼間は王宮内に家庭教師を呼び、作法、言語等の基礎教育に加え、軍事、政治等の専門教育を受け、第二王子として国のために何が出来るのかを真剣に思い悩んだ。  空いた時間にはギルに剣技の稽古をつけてもらい、騎乗での戦闘訓練も行ってきた。  ギルへの尊敬の念は大きい。  ひいては騎士となって軍を率い、国を支えていきたいという理想が、ジャレッドの胸の内に薄らと出来あがっていた。  そんな王子と護衛騎士の関係に変化の兆しが現れたのは、ジャレッドが十八歳を迎えた年。  悲劇が訪れる、わずか一年前の些細な出来事からだった。 「ジャレッド様、宜しいでしょうか」  書斎の扉の向こうから馴染みのある声がかかり、ジャレッドは紙上に落としていた視線を上げた。 「ああ、入れ」  返事を返すと、見上げるほどに背の高い男が半身を屈めて扉をくぐる。男は王宮勤めの騎士にのみ与えられる、胸に王家の紋章がついた軍服を身につけている。 「やあギル、いちいち確認しなくてもいいのに」 「そういうわけにはいきません」  ギルは首を振り、ジャレッドの手元に視線を向けた。 「お勉強の最中でしたか?」 「ただの伝記物語だよ、ちまたで流行っているらしい」  そう言うと、ギルが本を凝視したまま言葉を詰まらせる。 「どうしたギル」  とジャレッドは首を傾げた。 「・・・・・・いえ、ジャレッド様は庶民の本もお読みになるんだなと」 「ははは、そんなくだらない。庶民のものであるだなんて気にしたことはないな」  突拍子のない言葉に苦笑しつつ、彼の顔を見る。長年築き上げた信頼の深さを表すように、ギルの面立ちは渋みを増してより頼もしくなった。  ジャレッドとは対照的なプラチナブロンドの髪を短く整え、襟足は刈り上げている。瞳は淡褐色、見方によっては琥珀にも映る。切長で鋭い眼差しは、獲物を生捕る姿さえも凛として絵になる純白の大鷲を思わせた。  三十後半に差し掛かろうとする歳を感じさせない、壁のように頑丈な身体つきも健在だ。 「幼い頃にギルが街を見せて回ってくれたお陰だよ」  視線を上げたギルと目が合い、ジャレッドは微笑む。 「俺はヴィエボ国の良さを身をもって知ってる。この地に住む人々の心は清らかであたたかい。土壌も豊かで、水も豊富だ。緑溢れる景色は美しい。だから俺はヴィエボの全てを愛しているし、自分の手で護りたいと思った。君のようにね、ギル」 「ジャレッド様・・・・・・、私には勿体ないお言葉です。けれど・・・・そうでしたね、貴方は素晴らしい人だ。今しがたの失言は忘れてください」  ギルは優しい顔をして首を垂れた。 「うん、それで何か用があったんだよね?」  ジャレッドの問いかけに、ギルは取り直して姿勢を正す。 「はい、マルティーナ様がジャレッド様を探していらっしゃいました」 「母上が?」 「お兄様の、イーノク王太子殿下の結婚披露パーティに関するお話かと思われます」  合点がいった途端に気が重くなる。 「んー、それは、面倒なやつだな」 「なぜです?」  来春、王太子イーノクと他国から呼び寄せた姫との間で婚姻の儀が執り行われる。相手は鉄鋼採掘の盛んなヨハネス王国の第一王女ジネウラ。  結婚を持ち掛けてきたのはヨハネス側からであった。  聞いたところによると、ジネウラがイーノクに一目惚れし、彼女の父であるヨハネス国王に直々に頼み込んで為された話であるらしい。  我が国としては、貴重な鉱山を数多も保有する貿易大国との縁談話を断る理由はない。向こうの気が変わってしまう前にと、直ちに見合いの準備が進められた。  ジネウラの行動力には驚かされたものの、顔合わせの席で見かけた彼女は楚々とした性格の淑女だった。  古来より妖精の血が混じっているヨハネス王家の女性は小柄で、可憐な顔立ちをしていて器量がいい。イーノクも一目見て彼女を気に入り、滞りなく婚約に至ったのだ。  ジャレッドも兄の結婚自体は喜ばしく思っている。問題はそこではなかった。 「母の部屋に行ったら最後、戻ってこられないぞ?」 「ああ、なるほど、たしかに」  ギルは何かを察して頷く。 「イーノク兄さんのついでって、母上がやたらと俺にも縁談の話を進めてくるんだよなぁ・・・・・・、この前なんてどこの国だよって遠い地のお姫様の話をされて困ったよ」  小競り合いを繰り返していた近隣国同士の関係がようやく落ち着きを見せ、ここ二、三年は戦も無い。よって、断絶していた他国の王族貴族との交流も再開された。   兄の結婚は、その恩恵に預かるものだ。  そこでジャレッドは、母である王妃マルティーナが自分にも同じ恩恵を授けようとしているのではないかと睨んでいた。  母の部屋に行ったら最後、結婚披露パーティに誰それが来るとか、どこの国の娘がどうとか、母の気がすむまで話に付き合わなくてはならない。 「はあ・・・・・、いい加減にしてってギルからも母に伝えてくれない?」  溜息をつく主人に、ギルは弱りきった表情を見せる。 「申し訳ございません、恐れ多い事です。とてもじゃないですが出来ません」 「ちょっとでいいんだよっ、俺が困ってるみたいだって一言・・・・・・」  そう詰め寄ると、とうとうギルの目は切腹を申し付けられたかのように慄いた。

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