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第5話悩みの種【2】

 しかしその夜、ジャレッドの寝室は殺伐(さつばつ)とした空気に包まれていた。 「誠に申し訳ございませんでした、なんとお詫びを申し上げたら良いでしょうか」  女中頭が絨毯に膝をつき深々と頭を下げる。  彼女はグレイヘアを前髪ごと低い位置でひっつめ、険しい表情をしていた。若々しかったころの面影を残しつつも、歳に応じた深いシワが顔全体に刻まれている。  横ではスカートの裾を握り締め、さめざめと涙を流す若い女が立ちすくむ。 「頭を上げてくれクララ、俺が悪かったんだ。彼女を咎めたりなんかしない」    シルクの天蓋の内側でジャレッドは大きな溜息を吐くと、ベッドに沈み込んだ。 「ですが僭越(せんえつ)ながら、ジャレッド様のお相手の選定は私めがマルティーナ様より直接うけたまわった責務。この様な事態になってしまい、大変に不徳の致すところでございます」 「ほんとにもういいんだ・・・・・。それよりも、この失態のことは誰にも他言せぬよう頼む」  ジャレッドは頭を伏せて生唾を呑み込んだ女中頭クララに念を押す。 「誰にもだ、クララ」 「しかし、それは」 「クララ・・・・・いや、お願いだ、ばあや」  苦しげなジャレッドの声に、老齢の女中頭は苦虫を噛み潰した。 「だから最初に私をお呼びになったのですね? そのように頼めば、私が絶対に口外しないと分かっておいでだった」 「・・・・・ああ、許してくれ、時期を見て自分で言うからさ。ばあやにも、彼女にも迷惑はかけないと約束する」  クララは眉を顰めて目を閉じる。しばらく瞑想し、それから苦悩の表情は崩さず、声色だけを和らげた。   「まったく困ったものです。坊ちゃんにそこまで言われては仕方がありませんね」 「・・・・・ありがとう、苦労をかける」  ジャレッドは弱々しい声を出す。 「ではこれにて私共は下がらせて頂きます」  短く返事を返すと、衣擦れと足音が消え、静かに扉が閉められた。  ジャレッドは寝室で一人になった。  シーツの上に閨事を行った形跡はなく、乱れているのは寝巻きの釦がわずかに外れているくらいだ。  ———最悪だ。  結論から言うと、大失敗だった。  ジャレッドは情けなくて死にたくなった。男なのに、柔らかく豊満な女の裸に何も感じないのはおかしい。どうして自身の分身は反応を示してくれなかったのか。  それどころか触れられた瞬間に強烈な(おぞ)ましさで鳥肌が立ち、吐き気がした。胃の内容物が煮えたぎるように体内で暴れ、余りの気持ち悪さに相手の女性を突き飛ばしてしまった。  けれど、やはりか、との思いが湧いてくる。  ジャレッドは横向きに寝転がり膝を抱えた。  寒々しく冷えたこの身体を、抱いて欲しいと(こいねが)う相手が脳裏に思い浮かんでしまう・・・・・・。  幼い頃は、泣いて我儘を言う自分を寝かしつけて、同じベッドで眠ってくれたこともあったっけ。厚い胸板に頬をくっけて抱き付くと、そっと引き寄せて頭を撫でてくれた。 「ギル・・・・・・」  今もはっきりと思い出せる。ギルは・・・・・・力強い手のひらをしていた。  ジャレッドは後頭部に指先で触れ、包み込んでくれたギルの手の大きさ、熱さ、弾力のある骨張った手のひらの感触を思い起こした。  触れられていたのが、その手だったら。  想像した瞬間にジャレッドの身体は、かあっと熱くなった。  もしも自らの心のままに、身体を委ねてみたらどうなるのだろう。見て見ぬふりをしていた気持ちを、せき止めていた感情を、受け入れたとしたら楽になる? それとも辛くなる?  心臓の音が耳に痛い。どくどくと脈を打つ想いが、まるでそこに乗り移ったみたいに、欲望と興奮が一箇所に集まってくる。  ・・・・・・こんなんじゃ、我慢なんかできっこない。  ジャレッドはぎゅっと目を閉じた。指先は首筋を流れ、胸を超え、へその横を伝って下る。  下生えの茂みを掻き分けると、くったりと横たわっていたジャレッドの男性器には熱がみなぎり、いつの間にか硬い幹となって直立している。浮き出た血管が脈々と鼓動し、パンパンに腫れた丸い先端からは雫が滲んでいた。 「・・・・・・ふあ・・・・・んっ」  シーツの上で背中を丸め、ジャレッドはぬるりと指に蜜をまぶし自身を握り込んだ。 「ん、は・・・・・・う」  くちゅくちゅと夢中で擦り上げる音が部屋に響き、先走りの粘着音が卑猥に耳を犯すのに任せ、気持ちを高めていく。 「あ、あ、きもちいい・・・・・・ギルぅっ!」  込み上げる射精感に合わせ、ジャレッドは名前を噛み締めた。とたんビクビクと腰が震え、根本から先端までを一気にしごき上げると、包んだ手のひらの中に(たぎ)った熱がとぷとぷとあふれ出た。 「・・・はあ・・・・・・はあ、・・・・・・ぐすっ、ごめんなさい」  ジャレッドはぐずぐずと鼻をすすり、名残惜しく精液を絞り出す。  強がったように見えていても、ジャレッドだって十八歳の少年。大人でもなく子どもでもない、それでもまだまだ未熟な年齢だ。  冷静に冴えていく頭に、例外なく襲ってくる虚無感は耐えがたかった。  こんな気持ち、たとえ自分が受け入れても、受け入れてもらえないのなら抱えているだけ無駄というもの。手のひらを汚す欲望は真っ白で、とても罪深い。  だがすでに手遅れだった。ギルへの恋心は確実に形を成してしまっている。それはきっとこれからも、受け止めきれずに幼い胸の内でとぐろを巻くのだろう。  この気持ちはいつ何時(なんどき)のたうち回り、自身の手に負えなくなるのだろうか。 「・・・・・・ぐす、ぐす、うあ・・・・・・、あ、ひぐっ、うあああ!!」  気づけばジャレッドは大声で泣き叫んでいた。  感情が溢れ、想いが溢れ、辛い、苦しい、切ない、胸が熱くなって引きちぎられそうな、そうゆうのを全部伝えてやれたらどんなにいいか。  ジャレッドは涙を流しながら枕を噛み、ふとした拍子に呼んでしまいそうな男の名前を押し殺した。  泣けば飛んできてくれるなんて、そんな可愛らしい年齢はとっくに過ぎてしまっているというのに・・・・・・。  馬鹿馬鹿しい。 「・・・・・・ル・・・・・好きだよ」  たった一人の部屋の中で、ジャレッドの声は虚しく響く。  ———その後、ジャレッドがやっと眠りについたのは、太陽が顔を出し空がしらみ出した朝方のことだった。

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